【岩手県】一から九まで「戸の付く地名」一戸・二戸編 始まりの一戸は縄文遺跡の街、二戸に九戸城跡があるのはなぜ?

岩手県北部から青森県東部にまたがる広大な地域は糠部(ぬかのぶ)と呼ばれ、そこには九つの「戸の付く地名」が存在していました。

その歴史は奥州藤原氏からとも、それ以前から始まったとも言われていますが、「戸の付く地名」は現在でも市町村名として残されています。

その成り立ちにまつわる話や「戸」の歴史などのほか、今に残るそれぞれの「戸」の街の様子などを、この先複数の記事でご紹介していきたいと思います。

まず初めは岩手県一戸(いちのへ)町と、となりの岩手県二戸(にのへ)市についてご紹介します。


広大な糠部郡への入り口の戸「一戸」

一戸町役場
一戸町役場

盛岡から車で国道4号線(奥州街道)を北に向かい、4号線最高地点の十三本木峠(中山峠あるいは奥中山峠)を越えた先の奥、中山高原が一戸町の入り口です。

東北自動車道なら盛岡ICから一戸ICまで1時間ほど、鉄道ならば盛岡駅からIGRいわて銀河鉄道に、やはり1時間ほどで一戸駅に到着します。

萬代館
昔の映画館の風情が漂う萬代館

町内には世界遺産の縄文遺跡のほかに、国登録有形文化財の映画館「萬代館」などの歴史的建築物があり、古き良き時代の風情が残されています。

一戸町内
一戸町内の各所に旧奥州街道が残されている

また町内には昔の奥州街道の一里塚などがそのまま残されているほか、4号線バイパス沿いには一戸南部氏の居城だった一戸城跡の一部が公園として残されています。

世界遺産の御所野遺跡(ごしょのいせき)

御所野遺跡
駐車場から見た入口ゲート

国の史跡でもある縄文時代の環状集落遺跡の御所野遺跡は、2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界遺産に登録されました。

御所野遺跡
入口から遺跡や博物館につながる道

広い台地上にある遺跡は史跡公園として開放され、中に入れる竪穴式住居などが集落として再現されていて、4月末から10月末までは予約なしで無料ガイドに案内してもらえます。

御所野遺跡
復元された集落跡は芝生がきれいに管理されていて歩きやすい

自然に囲まれた園内はピクニック気分で楽しめて、博物館もあるので家族連れで丸一日のんびり過ごせる史跡公園です。

御所野遺跡
住居の中もしっかり再現されていて入って見学できる

また、博物館内にミュージアムショップがあり、縄文文化関連グッズや一戸町のお菓子や工芸品などのお土産を買うことができます。

御所野遺跡<Information>

  • 名称:御所野遺跡
  • 所在地:岩手県二戸郡一戸町岩舘
  • 電話:0195-32-2652
  • 開園時間:火曜~日曜9:00~17:00(博物館展示室への入場は16:30まで)
  • 休館日:月曜(祝祭日の場合はその翌日)、年末年始
  • URL:御所野遺跡公式サイト

GOOGLE MAP


一戸と二戸の間に数多くある名所や史跡

馬仙峡
馬仙峡の男神岩

両戸をつなぐ馬淵川(まべちがわ)流域は「馬仙峡(ばせんきょう)」といい、「男神岩」「女神岩」と呼ばれる巨大な夫婦岩や、女神の悲恋伝説が伝わる「明神ヶ淵」などの名所が点在しています。

大崩崖
二戸市内から一望できる大崩崖

砂岩の一枚岩が露出した「大崩崖(おおほうがけ)」は、国道やIGRの車窓からや二戸市内の高台や展望台などから一望できます。

鳥越観音
4号線バイパスに立つ鳥越観音の大鳥居、観音様に鳥居というミステリー

そのほか縞模様の地層が観察できる天然記念物の「浪打峠の交叉層(なみうちとうげのこうさそう)」や、9世紀初め建立の鳥越観音や旧奥州街道跡の一里塚など、貴重な史跡が残されています。


四方を山に囲まれた要衝「二戸」

二戸駅
「なにゃーと」の展望塔から見た二戸駅と大崩崖のある石切場(いしきりば)方面

二戸市は人口約2万3千人の岩手県北の基幹都市で、馬淵川と安比(あっぴ)川の流域に沿う形で市街地が発展した山間の都市です。

東北新幹線の二戸駅にはIGR二戸駅が併設されているほか、岩手県盛岡市と青森県八戸市は東北自動車道から分岐する八戸自動車道で結ばれています。

また、近隣の浄法寺(じょうぼうじ)町・一戸町九戸村軽米(かるまい)町とは、二戸市を中心として星座のカシオペア座に似たW形を形成する位置関係にあり、それらとの交通の要衝です。

この5市町村(浄法寺町は二戸市と合併)では1991年に「カシオペア連邦」が建国され、アカデミーやコミュニティFM放送などさまざまな活動で岩手県北のイメージアップが進められています。

九戸(くのへ)城と九戸政実

九戸城跡
九戸城跡

二戸にはかつて三戸南部氏が居城としていた福岡城がありますが、それ以前には九戸氏が居城としていたことから九戸城と呼ばれていました。

九戸氏は、南部氏の祖である源光行(南部光行:なんぶみつゆき)の六男、行連(ゆきつら)が始祖とされていますが、小笠原氏や二階堂氏が祖とする説もあり謎の多い一族です。

二の丸大手跡
二の丸大手跡から見る二の丸と本丸

戦国末期に九戸政実(くのへまさざね)が南部宗家への不満から兵を挙げ、豊臣秀吉に反旗を翻す形にまで発展した「九戸の乱」を起こしますが平定され、九戸城は南部信直(なんぶのぶなお)によって福岡城に改められました。

しかし、九戸氏を慕う領民はその後も九戸城と呼び続け、近年は九戸政実が「秀吉に喧嘩を売った男」として知られるようになったこともあって、二戸市も公式に「九戸城跡」として紹介しています。

九戸城跡<Information>

GOOGLE MAP


二戸にある「なにゃーと」ってなに?

なにゃーと全景
なにゃーと全景 出典:岩手県公式観光サイト いわての旅

二戸駅西口に併設の二戸広域物産観光センター「カシオペアメッセ・なにゃーと」の愛称で、その由来はこの辺の地域に伝わる民俗芸能盆踊り「ナニャトヤラ」です。

なにゃーと

物産センターでは北東北3県19市町村の特産品や土産品が購入できて、郷土料理を味わえるレストランがあり、展望タワーからは二戸市内と「大崩崖」などの眺望を楽しめます。

なにゃーと<Information>

GOOGLE MAP


金田一温泉と座敷わらし

緑風荘
再建された緑風荘

金田一温泉は神経痛や皮膚病などの効能で知られ、馬淵川のほとりに9軒の温泉宿があります。

温泉街の一番奥にある緑風荘(りょくふうそう)には「座敷わらし」が現れ、見た人に幸運をもたらすと言われています。

亀麿神社
亀麿神社 出典:岩手県公式観光サイト いわての旅

2009年に火災で全焼しましたが、施設敷地内にある亀麿(かめまろ)神社(亀麿は座敷わらしの名前)だけが焼け残り、地元では「座敷わらしが神社に逃げ込んだので焼けなかった」と話題となりました。

なお、緑風荘は2016年に再建されましたが、今では宿泊予約が取りにくい人気宿です。

金田一温泉・緑風荘<Information>

  • 施設名称:緑風荘
  • 所在地:岩手県二戸市金田一長川41番地
  • 電話番号:0195-27-2131
  • URL:緑風荘公式サイト

GOOGLE MAP


金田一城跡が四戸城跡というのは本当?

八坂神社
金田一城跡のすぐ下にある八坂神社への入り口の鳥居 現在城跡は農地になっていて道が分かりにくいので要注意

温泉街から離れた市街地に金田一城跡があり、別名を四戸(しのへ)城とも呼ばれています。

この地が「四戸」だとする説があるものの、四戸氏が本来の四戸から金田一に移ったことで四戸城と呼ばれるようになったとして、九戸城の場合と同じ経緯ではないかとする説が有力です。

金田一城跡<Information>

  • 名称:金田一城跡(四戸城跡)
  • 所在地:岩手県二戸市金田一舘73

GOOGLE MAP


まとめ

一戸も二戸も馬産地としての遺跡はほとんどなく、その地形からは蝦夷(えみし)の攻撃に備える要害であった可能性が高いと思われます。

ただ、二戸市金田一には「駒焼場」と呼ばれる地名があり、かつて馬産地であった名残ではないかと考えられています。

二戸市から奥州街道(国道4号線)を北上すると、すぐ北に青森県との県境があり、その先が南部宗家発祥の地とも言われる三戸(さんのへ)です。

(三戸編へ続く)


その他の記事