八幡馬IC

【青森県八戸市】南部の馬産地に伝わる郷土玩具で日本三大駒の一つ「八幡馬」

農耕や戦、交通手段など、昔は人々の生活と切り離すことができなかった

東北地方には優秀な馬産地が多く、その面影はおのずと各地の伝統工芸品にも表れます。

八幡馬(やわたうま)もその一つで、福島県郡山市の三春駒、宮城県仙台市の木下駒とともに「日本三大駒」の一つに数えられる郷土玩具です。


八幡馬とは?

並ぶ八幡馬

古代から優秀な馬産地だった八戸市

八戸市を含む南部地方はその昔、糠部郡(ぬかのぶぐん)と呼ばれ、奈良時代の初頭には既に優秀な馬の産地として朝廷に認知されていました。

時代が進み鎌倉時代、鎌倉政権と奥州藤原氏の戦い「奥州合戦」の結果として周辺は南部氏が統治するようになり、以降この地で生産される馬は「南部馬(なんぶうま)」と呼ばれ、その優秀さから全国各地で重宝されるようになりました。

そんな馬と馴染みが深い土地で、愛馬の順調な生育を願って彫られた木彫り馬が八幡馬の起源と考えられています。

櫛引八幡宮の住所から名づけられた八幡馬

その後ほどなくして、地域一帯から多くの信仰を集めていた櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)の例祭で参詣者のお土産として木彫りの馬の玩具が売られるようになり、「八幡の神社で売られている馬っ子」という認知が進むと、そこからそのまま名前が付けられ「八幡馬(やわたうま)」と呼ばれるようになりました。

以降、八幡馬は地元農民の農閑期の副業として作られるようになり、この地に定着したといわれています。

八幡馬の見た目

八幡馬の見た目は、花嫁の輿入れの際の乗馬の盛装を表しているといわれ、主に松材を素材として馬体に黒(鹿毛)、赤(栗毛)、白(芦毛)を基調とした色が塗られています。

向かい合う八幡馬

伝統的なものは千代紙で装飾され、あぶみ(鎧)や手綱などの馬具をあらわす点星を描かれますが、現在は千代紙を模した柄を馬体に直接描くものが一般的になっています。

輿入れの際の乗馬の盛装というその華やかな見た目から、八幡馬は縁起物として、結婚・新築・卒業・出産など、人生の節目のお祝い品や記念品として、現在でも広く親しまれています。

八幡馬<Information>

  • 名  称:株式会社 八幡馬
  • 住  所:〒031-0071 青森県八戸市沼館2丁目5−2
  • 電話番号:0178-22-5729
  • 公式URL:https://www.yawatauma.co.jp/

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櫛引八幡宮の八幡馬

八幡馬の発祥の地である櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)は、南部家初代の南部光行(なんぶ みつゆき)が、六戸の瀧ノ沢村に社殿を造営し、自身が南部姓を名乗るきっかけとなった甲斐国(現在の山梨県)の南部庄から八幡宮を遷座し、その後、櫛引村の現在地に再度遷座したといわれています。

櫛引八幡宮

日本有数の馬産地だった地に鎮座する神社だけに馬との関わりが深く、旧暦の8月14日から16日の3日間に行われる秋季例大祭では日本の古式弓馬術である流鏑馬(やぶさめ)の神事も奉納されます。

そんな櫛引八幡宮の境内では奉納された多くの八幡馬を見ることができます。

御神馬と刻まれた八幡馬の石像

「御神馬」と刻まれた台座の上に、鎮座する八幡馬の石像。注連縄をまとっています。

櫛引八幡宮の黒い八幡馬

拝殿脇に鎮座している黒い八幡馬。こちらも注連縄をまとっています。

櫛引八幡宮の赤と白の八幡馬

遠目にしか見ることができませんが、本殿入り口にも赤と白の八幡馬が確認できます。

この他にも様々な場所に八幡馬を見ることができるので訪れた際は探してみてください。

伝統技法「鉈彫り」名人といわれた故大久保直次郎さんの技を受け継ぐ八幡馬

八幡馬制作の伝統技法「鉈彫り(なたほり)」の唯一の職人であり、名人と謳われた大久保直次郎さんが2022年に逝去され、八幡馬の一つの伝統が潰えてしまうかと思われましたが、大久保さんの娘である大久保優子さんが八幡馬作家として父の遺志を受け継がれています。

大久保優子さんの八幡馬

櫛引八幡宮で購入できる大久保さんの作品は全高3cm程度と小さいですが、伝統的な千代紙による装飾が施され、グンと胸を張った堂々とした八幡馬は力強さを感じます。

櫛引八幡宮<Information>

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