「鳥潟会館(旧鳥潟家主屋)」の座敷からは素晴らしい庭園が眺められる ©大館市

【秋田県大館市】戊辰戦争による戦禍を免れた大館市の歴史的建造物

久保田藩の支城大館城の城代は佐竹西家

大館市は、江戸時代には隣接する鹿角地方(鹿角市、小坂町)が南部藩(岩手県・青森県の一部)の領地だったこともあり、久保田藩(秋田藩)の最前線基地として重要な役割を担っていました。江戸時代初期には南部藩と境界を巡って争いが絶えず、最終的には江戸幕府によって藩境が定められたという歴史があります。

大館には久保田藩の支城として大館城があり、1610年に久保田藩初代藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)のいとこ小場義成(おばよしなり)が城代に任命されました。小場家は3代目城代義房(よしふさ)が佐竹姓を名乗り、以降明治時代になるまで大館を治めています。大館城の佐竹家は、久保田城の佐竹家に対して佐竹西家と呼ばれ、人々から親しまれていました。

大館城絵図
大館城絵図 所蔵:秋田県立博物館

戊辰戦争の激戦ですべてを焼き尽くされた大館

無風状態だった久保田藩に明治維新という暴風が吹き荒れます。薩摩藩、長州藩、土佐藩による新政府に対し東北の各藩が反発し、東北の全藩に北越(新潟県)の6藩を加えて奥羽越列藩同盟が結成され、1868年の旧歴4月から閏4月(新暦の5月から6月)には会津藩や庄内藩などの同盟軍と新政府軍との武力衝突が勃発し、内戦状態に入ります。戊辰戦争東北戦線の始まりです。

当初は一進一退だった戦いは、時が経つにつれて新政府軍が優勢になってきます。一枚岩だったはずの同盟軍の中には新政府軍に説得され、同盟を離れる藩も現れます。久保田藩もその中の1つで、隣接する亀田・本荘・矢島の各藩とともに新政府軍に加わります。

久保田藩などの寝返りに激怒した同盟側は、久保田藩を敵と見なし南からは庄内藩、東からは南部藩などが攻勢をかけてきました。特に大館は強力な南部藩からの攻撃にさらされ、町中が火の海となり、大館城や城下町ばかりでなく、農村部までも焼き尽くされてしまいます。

久保田藩の軍勢はどんどん西へ後退し、瀕死の状態でしたが、新政府が援軍を送り込み本拠地久保田城の寸前で同盟軍を押し返すことができたのです。


戊辰戦争でも奇跡的に焼けずに残った「大館八幡神社」

大館八幡神社
大館八幡神社の拝殿(覆家)。建物の中に国指定重要文化財の「正八幡宮」と「若宮八幡宮」が鎮座している ©大館市

この秋田戦争といわれる戊辰戦争の内戦は、最終的には新政府軍の勝利に終わるのですが、大館には悲惨な傷跡が残されました。そんな中に奇跡的に焼失せずに残った建物があります。大館八幡神社にある本殿の建物です。


佐竹氏代々の守護神“八幡様”

石清水八幡宮本社
佐竹氏が守護神として崇拝する八幡様の本社、京都府八幡市にある国宝「石清水八幡宮本社 楼門」

佐竹氏はもともと源八幡太郎義家(みなもとのはちまんたろうよしいえ)の実弟で、奥州で起きた後三年合戦(後三年の役・1083年~1087年)で活躍した源新羅三郎義光(みなもとのしんらさぶろうよしみつ)につながる家系であることから、戦いの神である八幡様を信仰していました。秋田へ国替えする以前に領主だった常陸国(ひたちのくに/茨城県常陸大田市)では、1161年に京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう/京都府八幡市=やわたし/国宝)から分霊を受け、馬場八幡宮(常陸太田市馬場町)を、また、1417年にも鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう/神奈川県鎌倉市)からの分霊を受け、若宮八幡宮(常陸太田市宮本町)を建立し、佐竹氏の祈願所としていました。

1602年に佐竹氏が秋田へ転封(てんほう/国替え)になった際も、馬場八幡宮と若宮八幡宮の分霊を持参し、久保田城内に祀っています。久保田城内には「正八幡社(しょうはちまんしゃ/小八幡社)」と「大八幡社(おおはちまんしゃ)」がありました。1819年に建立された正八幡社の本殿は、現在千秋公園内の彌高神社(いやたかじんじゃ)に移築され本殿として使われています(秋田県指定重要文化財)。

正八幡宮
久保田城内にあった「正八幡宮」の社殿(1819年築)は、現在は千秋公園(秋田市)内の「彌高(いやたか)神社」社殿となっている ©旅東北

大館城内2か所の八幡宮は国の重要文化財

大館城に赴任した小場義成は、佐竹氏の慣例に従い八幡様を祀り守護神としています。1687年には4代目城代佐竹義武が城内に正八幡宮と若宮八幡宮の2社を建立し、大館を守る鎮守総社としました。正八幡宮は石清水八幡宮、若宮八幡宮は鶴岡八幡宮の分霊を祀っています。

正八幡宮
大館八幡宮の「正八幡宮」(手前)と「若宮八幡宮」(奥) ©大館市

正八幡宮の本殿と若宮八幡宮の本殿は1か所に並んで建っていて、左側が正八幡宮、右側は若宮八幡宮です。建物は、1687年に建てられたものがそのまま残っており、現在は大館八幡神社の神殿として、2つの本殿を保護するために建てられた覆屋(おおいや)の中に鎮座しています。一対のように並ぶ本殿建物は、江戸時代初期の貴重な神社建築として国の重要文化財に指定されています。 2棟の造りは同じで、“柿葺流造方一間向拝付(こけらぶきながれづくりはういっけんこうはいつき)”(注釈参照)と呼ばれる、伝統的な神社造りになっています。また、2棟にはさまざまな彫刻や紋様など施されていますが、1棟ごとに違う装飾になっています

注釈
  • 柿葺:日本の伝統的な屋根の作り方で、“柿(こけら)”は板や木片を意味します。木片を何枚か重ねて竹釘で留めて下から葺き上げていきます。屋根材には椹(さわら)や杉、檜などが使われますが、檜を使った場合は檜皮葺き(ひわだぶき)と呼んでいます。
  • 流造:屋根の前面が後ろ側より長く下に伸びていて、庇(ひさし)のようになっている神社にはよくある造り。平安時代に完成されたといわれています。
  • 方一間:4本の柱で支えられた真四角の部屋。柱の間を一間(いっけん)といい、必ずしも幅は一間(1.8m)ではありません。
  • 向拝:流造屋根の張り出した屋根の下に設けられている参拝者が拝礼をする場所。

Information

  • 施設名称:大館八幡神社(正八幡宮/若宮八幡宮)
  • 所在地:秋田県大館市字八幡1
  • 電話番号:0186-42-1328
  • 参拝自由
  • URL:大館八幡神社(正八幡宮/若宮八幡宮)
  • アクセス
    • 公共交通機関/JR奥羽本線・花輪線大館駅から路線バスで約20分鳳鳴高校前バス停下車約3分
    • 車/東北自動車道十和田ICから約30分

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江戸時代の民家が基礎となって増改築された鳥潟会館主屋

鳥潟会館主屋
江戸時代の建物をそのままに増改築された旧鳥潟家の主屋 ©大館市

戊辰戦争の際大館の建物はほとんど焼失してしまいましたが、大館八幡神社とともに難を逃れた貴重な建物があります。

鳥潟会館主屋」は、大館城の城下町から北に離れた旧花岡町(大館市花岡町)で江戸時代以前から肝煎(きもいり/肝入り/世話役)を務めていた鳥潟(とりがた)家の主屋です。建物は江戸時代中期に建てられたといわれていて、1936年(昭和11年)に鳥潟家が敷地内に新しい庭園を造園した際に、現在の「鳥潟会館(とりがたかいかん)」の位置まで曳家(ひきや/建物を現状のまま移動)されました。その後、旧主屋は増改築されてしばらくの間鳥潟家の主屋として使われたのですが、1951年(昭和26年)に旧花岡町に寄贈され、「鳥潟会館」として一般公開されています。

鳥潟会館」は鳥潟家第17代当主鳥潟隆三(とりがたりゅうぞう/1877年~1952年)が、京都から延べ1,000人もの大工や造園師を招聘して、主屋の増改築と庭園の拡張を行ったもので、完成まで約5年を要しました。旧主屋は土台や柱は昔のままに、京風の佇まいを取り入れて改築され、増築された部分には屋久杉などの銘木が使用されています。総床面積約791㎡(約240坪)です。旧鳥潟家住宅は秋田県の有形文化財に指定されています。

鳥潟隆三は京都帝国大学(京都大学)を卒業後スイス・ベルン大学に留学し、血清細菌学を学んだ医学博士で、平圧開胸術考案して、肺結核外科手術の向上に貢献しました。


鳥潟会館庭園は、昭和初期の代表的京風池泉回遊式庭園

池泉回遊式
池を中心に植栽や庭石、灯籠などが配置された京風の池泉回遊式庭園 ©大館市

鳥潟会館のもう1つの見どころは8,191㎡(約2,500坪)ほどある池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の京風庭園です。377㎡(約115坪)ほどの池を中心に、池を回遊しながら庭園を楽しみます。庭園には茅葺きの草庵茶室、茶室待合、四阿(あずまや)などが配置されていて、四季折々に美しい佇まいを見せてくれます。

Information

  • 施設名称:鳥潟会館(旧鳥潟家住宅)
  • 所在地:秋田県大館市花岡町字根井下156
  • 電話番号:0186-46-1009
  • 開館時間
    • 4月~10月/9:00~17:00(入館は16時30分まで)
    • 11月~3月/9:00~16:00(入館は15時30分まで)
  • 入館料:無料
  • 休館日:月曜日(月曜日が祝休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
  • URL:鳥潟会館(旧鳥潟家住宅)
  • アクセス
    • 公共交通機関/JR大奥羽本線・花輪線大館駅から路線バス「北陽中学校線〔繋沢経由〕」で約30分、鳥潟会館前バス停下車
    • 車/秋田自動車道大館北ICから約10分

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明治時代に建築された大館市を代表する歴史的建築

長岐邸武家門
大地主の長岐家が明治中期に秋田の旧佐竹侯別邸の門を模して建てた ©大館市

大館市は明治時代以降も大火などにより多くの歴史的建物が失われてしまいましたが、「北鹿(ほくろく)ハリストス正教会聖堂」(秋田県指定有形文化財)や大地主だった長岐(ながき)家の長岐邸武家門(大館市指定文化財)などの貴重な建物が残っています。


私財を投じて私邸内に建立された日本最古の木造ビザンチン様式聖堂「北鹿ハリストス正教会聖堂」

北鹿ハリストス正教会聖堂
ニコライ堂(東京都千代田区)を模して造られた日本最古のビザンチン様式木造聖堂 ©大館市

北鹿ハリストス正教会聖堂」は、熱心なキリスト教徒だった豪農の畠山市之助が1892年(明治25年)に私財を投じて私邸内に建てた聖堂で、「曲田(まがた)福音聖堂」と呼ばれていました。現在は盛岡ハリストス聖教会の所属となり、「曲田生神女福音会堂(まがたしょうしんじょふくいんだいせいどう)」として使用されています。

秋田杉で造形されたビザンチン様式の聖堂内には、日本初の女流洋画家山下りんのイコン(聖像画/大館市有形文化財)が飾られています。

北鹿ハリストス正教会聖堂
北鹿ハリストス正教会聖堂の外観 ©大館市

北鹿ハリストス正教会聖堂 (Information)

  • 施設名称:北鹿ハリストス正教会聖堂(文化財としての正式名称)
  • 所在地:秋田県大館市曲田80-1
  • 電話番号:019-663-1218(盛岡ハリストス聖教会)
  • 見学:要事前連絡
  • URL:北鹿ハリストス正教会聖堂
  • アクセス
    • 公共交通機関/JR花輪線大滝温泉下車徒歩で約30分、タクシーで約5分
    • 車/東北自動車道とICから約30分

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長岐邸武家門 (Information)

  • 施設名称:長岐邸武家門
  • 所在地:秋田県大館市比内町扇田字上扇田79
  • 電話番号:0186-48-2119(大館郷土博物館)
  • アクセス
    • 公共交通機関/JR花輪線仰木田駅扇田駅から徒歩で約15分
    • 車/東北自動車道十和田ICから約20分

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