【秋田県男鹿市】『男鹿の秋風』 菅江真澄の歩いた男鹿半島をたどる。ー第1回 寒風山・本山 信仰の山を巡るー
目次
菅江真澄(すがえますみ/1754年~1829年)。江戸時代の紀行家で、主に北日本、北海道を旅し、その風景や人々の生活、習慣などを、色づけされた図絵(挿し絵)とともに書き残しました。48歳の時に秋田に入り、76歳で亡くなるまで秋田の各地をくまなく歩き著作を残しています。日本で最初の民俗学者とも称されていて、秋田県の藩校「明徳館」に納められた著書『菅江真澄遊覧記』は国の重要文化財に指定されています。
菅江真澄は[男鹿の五風]と呼ばれる、5冊の男鹿半島紀行記を残す
菅江真澄が男鹿半島に足を踏み入れたのは1804年。久保田城下(秋田市)から北上し、初め男鹿半島の南海岸や寒風山、八郎潟(大潟村)を巡り、その後能代(能代市)方面へ歩きました。その体験は『男鹿の秋風』としてまとめています。
男鹿半島が大いに気に入った真澄は、1810年に再び訪れます。その時の見聞録は、『男鹿の春風』『男鹿の涼風』『男鹿の島風』『男鹿の寒風』という4冊にまとめられました。この『男鹿の春風』『男鹿の涼風』『男鹿の島風』『男鹿の寒風』、それに最初の『男鹿の秋風』を含めた5冊は[男鹿の五風]と呼ばれ、江戸時代の男鹿半島を知る上で大変貴重な資料となっています。
ここでは、菅江真澄の男鹿での足跡を[男鹿の五風]に沿いながら3回に分けてたどっていきます。第1回は1804年に初めて男鹿半島を訪ねた『男鹿の秋風』です。
国指定重要文化財の『菅江真澄遊覧記』は、個人所有のため閲覧できませんが、後世の書家により『菅江真澄遊覧記』をそっくり移し書きした写本が数種類残っており、秋田県立博物館や国立国会図書館、国立公文書館、全国の図書館などで閲覧することができます。
本稿は秋田県立博物館蔵写本や国立公文書館蔵写本、国立国会図書館蔵写本および2000年に出版された現代語訳本などを参照しながら書き進めます。江戸時代の日付は但し書きがない限り、真澄が記した日時(旧暦)です。
参照
- 秋田県立博物館 菅江真澄ライブラリー(写本)
- 国立国会図書館デジタルコレクション 秋田叢書 別集 第1 (菅江真澄集 第1/写本)
- 国立公文書館 真澄遊覧記(明治8年写本)
- URL:国立公文書館 真澄遊覧記
- 平凡社刊 菅江真澄遊覧記5 内田武志・宮本常一編訳2000年8月9日刊
- ※菅江真澄の著述の引用は『平凡社刊 菅江真澄遊覧記 内田武志・宮本常一編訳』に基づいています。
男鹿半島の南海岸と内陸を歩く『男鹿の秋風』
1804年8月14日に久保田藩(秋田藩)の居城、久保田城下の宿泊先を出発した真澄は、土崎湊(秋田市土崎港)に1泊し、翌15日には男鹿半島方面に徒歩で出発します。最初の目的地は、八郎潟沿いにあった天王村(てんのうむら/潟上市天王)で、しばらくの間ここを拠点として男鹿半島を巡ります。八郎潟は、もともと男鹿半島の向けの付け根にあった湖で、現在ではほとんどの湖面が干拓されてしまい、一部だけが八郎湖(大潟村)として残るだけになりました。
寒風山で[鬼の隠れ里]や「新玉の池」を見学
8月21日には寒風山(かんぷうざん/標高335m)に登り、その景観に感激します。下山途中に「石倉とか、隠れ郷といってたくさんの岩が山のように落ち重なっているところ」を見学。ここは今でも[鬼の隠れ里]として観光名所になっていて、鬼が住んでいた場所だそうです。
寒風山は、もともとは約3万年前から約1万年前まで活動した火山で、現在は活動を停止しており活火山として登録はありません。[鬼の隠れ里]は、大昔の噴火の際に、地中から押し出されてきた溶岩が山のようになり、その重みに耐えられずに崩壊してできたもので、中に3畳ほどの空間があり、これが鬼の住み家だそうです。
空間は江戸時代にもあり、真澄一行は「みな頭ばかりさし入れてのぞき込むばかり」で、気味悪がって誰ひとりとして入らなかったようです。近くには「硯水(すずりみず)という硯の形をした石のくぼみに水がたまっていた」という石があったと記していて、この硯水は、今でも常に水をたたえ、枯れることがないと伝わる[弘法大師の硯石]のことと考えられています。
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- 施設名称:鬼の隠れ里/寒風山
- 所在地:秋田県男鹿市脇本富永字寒風山62-1
- 電話番号:0185-25-3055
- 寒風山回転展望台/展望台レストラン
- 営業期間:3月下旬~11月末ごろ
- 休館日:営業期間中は無休、12月初め~3月中旬
- 入館料:
- 回転展望台/おとな 550円、小中学生 270円
- ※回転レストランは入館料なしで利用可
- URL:寒風山回転展望台/展望台レストラン
- アクセス:
- 公共交通機関/JR男鹿線男鹿駅から寒風山観光タクシー(予約制)で約20分
- 車/秋田自動車道昭和男鹿半島ICから約40分
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その昔女性が身を投げた、大蛇が住むと伝わる[新玉の池]
下山途中に寒風山の麓にある「昔玉姫という方が身を投げた」と伝わる[新玉の池]に立ち寄りました。
今も寒風山のビューポイントとして知られる[新玉の池]ですが、今に伝わる伝説は、真澄の聞いた物語と少し違っています。『男鹿の昔ばなし』によると、“庄屋に言い寄られたお玉という娘が、庄屋から逃れるために池に身投げして大蛇になった”ようです。新玉の池伝説はもうひとつあります。本来の玉の池は寒風山の噴火口にありましたが、水が枯れてしまったためそこに棲んでいた大蛇が麓の池に移り住んだというものです。
INFORMATON
- 施設名称:新玉の池
- 所在地:秋田県男鹿市男鹿中滝川寒風山横通
- 電話番号:0185-24-4700(男鹿市観光協会)
- アクセス:
- 公共交通機関/JR男鹿線羽立(はだち)駅からタクシーで約8分、スカイパーク寒風山展望台から徒歩で約1時間
- 車/秋田自動車道昭和男鹿半島ICから約35分
脇本から潮瀬崎を経て赤神神社のある門前に
8月24日には海沿いの脇本(わきもと/男鹿市脇本脇本)へ行き、生鼻崎(おいばなさき)で中世の城郭[脇本城跡](真澄は大平城と呼んでいる)などを見学しています。生鼻崎からは鳥海山(ちょうかいさん)や飛島(とびしま/山形県酒田市)それに大平城という名のもとになった太平山(たいへいざん/秋田県秋田市)が眺められ、その景色に見入っていました。
翌日海岸沿いを西へ移動、船川(男鹿市船川港)、尾名川(女川=おんながわ/男鹿市船川港女川)、椿が生い茂る椿の浦(男鹿市船川港椿)を経て潮瀬崎がある男鹿半島最南端の港、小浜の浦(男鹿市船川港小浜)に到着します。
船川港椿は、今でも椿が多く咲き、港近くの能登山一帯に咲く椿は、国内では自生する北限とされ、国の天然記念物の指定を受けています。
小浜では天候が悪く、8月27日の昼頃になってようやく外出し、塩瀬崎で奇岩を目の当たりにします。潮瀬崎を初めて見た真澄は、「眼を驚かすばかりの潮瀬の岬の眺め」で奇岩群を「筆にもことばにも尽くしえない景観だった」と表しています。
日積寺(赤神神社)へ参拝し、古代からの伝説に思いをはせる
門前(もんぜん/男鹿市船川港本山門前)に到着した真澄は、本山(ほんざん/標高715m)中腹にある日積寺(にっしゃくじ/現赤神神社)に参拝します。
日積寺は、真澄も書いているように、漢(中国古代の国)の武帝と5匹のコウモリの伝説(赤神伝説)が伝わり歴史ある寺院です。平安時代には多くの末寺(本山に付属する寺社・宿坊)を抱えて男鹿半島山岳修行の中心地として栄えていましたが、江戸時代には「いまは吉祥院・長楽寺ばかりが残っている」と書かれているように、大変寂しくなっていました。
日積寺は明治時代に廃寺となりましたが、その後[赤神神社]として存続し、室町時代建立の五社堂(国指定重要文化財)や5人の鬼が一夜にして造ったと伝わる999段の石段が残っています。
※5匹のコウモリ伝説や九百九十九段の石段の詳細は【男鹿半島の鬼たち-ナマハゲは何故刃物を持って人々をいましめるのか-ナマハゲは神様って本当??-】を参照してください。
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- 施設名称:赤神神社・五社堂・999段の石段
- 所在地:秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川35 (赤神神社)木
- 電話番号:0185-24-9220(男鹿市観光文化スポーツ部 観光課)
- アクセス:
- 公共交通機関/JR男鹿線男鹿駅から男鹿市バス男鹿南線で門前駐車場バス停下車
- 車/秋田自動車道昭和男鹿半島ICより約40分
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寒風山麓の名所を訪ね、男鹿から能代方面へ旅を続ける
真澄は日積寺の参拝を終え、元来た道を引き返し、いくつかの村を巡り8月30日には男鹿紀行の拠点天王村に到着。しばらく逗留後、9月4日に八郎潟沿いを能代方面に出かけていきました。
9月6日には男鹿半島の付け根にある鮪川(しびかわ/男鹿市五里合鮪川)にある、[滝の頭(たきのかしら)]という、岩の間から清水が流れ出る湧水群を見学しています。
滝の頭周辺は、寒風山から流れ出た溶岩の先端部にあたり、今でも岩の間から多くの清水が流れ出ています。湧水群の中でも最も大きく池の状態になっているのが[滝の頭]です。湧水は現在でも男鹿市の飲料水や農業用水として使用されており、大切に保護されています。
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- 施設名称:滝の頭
- 所在地:秋田県男鹿市五里合鮪川34(男鹿市滝の頭水源浄水場)
- 電話番号:0185-46-4105
- 見学可能時間:10:00~15:00
- 定休日:年中無休
- アクセス:
- 公共交通機関/JR男鹿線男鹿駅からタクシーで約20分
- 車/秋田自動車道昭和男鹿半島ICより約30分
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菅江真澄が歩いた男鹿半島には散策できるよう90か所にも及ぶ標柱や説明板が設置
菅江真澄が男鹿半島を歩いた道は[菅江真澄の道]として整備され、何らかの関わりのある場所83か所に標柱が、8か所には詳しい説明板が設置されています。男鹿半島散策の一助として活用してください。