【福島県】「福島交通」はこうして生まれた&福島交通発起人の子孫が「飯坂線」に乗ってみた
福島県の福島市内を走る、福島交通株式会社の鉄道路線「飯坂線」は、福島駅と飯坂温泉駅を結んでいます。
福島交通は、そして飯坂線はどのような経緯で生まれたのでしょうか?
福島交通 飯坂線とは?
「飯坂線」は福島市の福島駅から飯坂温泉駅までの12駅、9.2kmを結ぶ、私鉄の「福島交通」が運営する路線です。
「飯坂電車」や「いい電」といった愛称がつけられています。
また、いい電のロゴには「いい」を「良い(GOOD)」とかけて「GOOD TRAIN」という英字が振られています。
福島市内の通勤・通学の足であると共に、名前通り飯坂温泉への足にもなっています。
車両は、首都圏で活躍してきた元・東京急行電鉄(現:東急電鉄)の1000系電車が2017年から活躍しています。
1000系に代替わりする前の7000系電車も、やはり東急から導入された車両でした。
福島交通の直系の前身「信達軌道」
飯坂線が開業したのは今からちょうど100年前、大正時代の1924年のことでした。
しかし、福島駅と飯坂温泉を結ぶ鉄道の計画や、現在飯坂線を運営している福島交通という会社のルーツは、もっと昔までさかのぼるので、簡単に紹介します。
明治時代の1887年に、日本鉄道という会社が現在のJR東北本線にあたる鉄道を開通させ、福島駅が開業しました。
すると、地元の有力者によって福島駅と飯坂温泉を結ぶ鉄道が計画されました。
当初は資金不足によりなかなか実現に至らなかったものの、発起人である地元の信夫郡(現在の福島市など)および伊達郡(現在の伊達市など)の有力者と、実業家として知られる雨宮敬次郎(あめのみや けいじろう)らがタッグを組むことで、実現へこぎつけていくことになりました。
私事ではありますが、発起人である伊達郡の有力者の一人は、筆者にとっては母方の4代前の先祖にあたり、曾祖父・祖父も伊達の出身でした。
また、偶然ではありますが、筆者の父も飯坂線沿線の出身でした。
そのため、筆者自身は福島県に住んだことはないのですが、訪れたことは何度もあり、飯坂線に親近感を覚えています。
1907年に「信達軌道株式会社」に特許状がおり、1908年には福島駅前から東北本線の東側を北進し、当時の長岡村で西に方向転換し、飯坂温泉の方(湯野)へ向かう路線が開業しました。
現在の道路で言えばまずは国道4号、続いて国道399号に沿って走る路線でした。
なお「信達軌道」は、信夫郡と伊達郡を結ぶことから名づけられました。
参考地図:福島交通飯坂東線 路線図-鉄道歴史地図
その後、信達軌道は他社の合併等を通じて、主に阿武隈川の東岸で路線を拡大していきます。
1925年には「福島電気鉄道」に改称します。
飯坂線の誕生
一方、1918年になると、福島・清水・飯坂を結ぶ「飯坂軌道」が計画されました。
後から計画が出てきたこちらの路線の方が、現在の飯坂線にあたります。
(というわけで、筆者の先祖は「信達軌道の発起人」ではあるものの、飯坂線とは実は全く関係がありません)
飯坂軌道は、1921年に「福島飯坂電気軌道」に社名を変更し、1924年4月には現在の飯坂線が開業しました。
同年10月には「飯坂電車」と再度改名しています。
開業当時は、福島駅前から現在の美術館図書館前駅までは、現在のルートよりも東側の道路上の軌道を通っていた、つまりは路面電車でした。
飯坂電車と福島電気鉄道は、飯坂温泉への集客を競い合ったこともありましたが、1927年に福島電気鉄道が飯坂電車を合併しました。
これを機に、旧・福島電気鉄道の路線は「飯坂東線」と呼ばれ、旧・飯坂電車の路線は「飯坂西線」と呼ばれるようになります。
1942年には飯坂西線が、福島駅前ではなく福島駅構内に直接乗り入れるようになり、現在の飯坂線と同様の形になりました。
戦中・戦後にバス事業を強化していった福島電気鉄道は、1962年に社名を「福島交通」に変更しました。
ここでようやく現在と同様の社名になったのです。
福島交通のその後
福島電気鉄道改め、福島交通が誕生してからおよそ10年後の1971年には、路面電車であったために道路交通の障害になるとされた飯坂東線が廃止されました。
ここまでの解説でご覧いただいたように、福島交通という会社の成り立ちから考えると、飯坂東線が本流で、飯坂西線は傍流といえる路線でしたし、開業したのも飯坂西線の方が後でした。
しかし、傍流の方の路線だけが生き残ったのです。
その後、1986年に会社から交通(鉄道・バス)事業を分離する形で、新たな「福島交通株式会社」が発足し、2009年には「みちのりホールディングス」という持株会社の傘下に入って、今に至ります。
経営が苦しい時期もあったものの、バス路線の再編や、経営合理化などが奏功し、近年は地方の交通事業者の中では順調な経営を行っています。
これからも福島市民や観光客の足として、福島交通は大きな役割を果たしていくことでしょう。
乗ってみよう! 飯坂線
ここからは2024年8月に筆者が実際に飯坂線に乗車した体験も交えて、飯坂線を紹介します。
飯坂線はJRの東北本線や東北新幹線、山形新幹線などが乗り入れる福島駅を起点としていますが、JRの各路線とは乗り場が別になっています。
福島駅のJRの駅ビルの隣に、ひっそりと福島交通飯坂線と阿武隈急行線の乗り場があります。
※阿武隈急行線:福島駅から、梁川駅、丸森駅などを経由して、宮城県柴田町の槻木駅までの54.9kmを結ぶ鉄道路線
飯坂線の乗車券はこのような自動券売機で購入します。
なお、飯坂線ではSuicaなどの全国交通系ICカードは使えません。
ただし、福島交通が独自に発行しているICカードの「NORUCA(のるか)」は使用できます。
大人1人と小学生1人、幼児2人までが1日飯坂線へ乗り放題になることに加えて、共同浴場の入浴や沿線店舗での特典までもがセットになった、800円の「いい電1日フリーきっぷ」なども発売されています。
飯坂線と阿武隈急行線は入口、改札、ホームも共用しています。
改札を入って右側の乗り場が飯坂線、左側が阿武隈急行線です。
同じ福島駅を起点としていることやホームを共用していることから、福島交通飯坂線と阿武隈急行線は似たような鉄道と思われがちかもしれませんが、そのルーツは全く違います。
福島交通はこの記事でご覧いただいたように、昔も今も民間が運営している鉄道事業者です。
電車を走らせるための電源(上空の架線にかかっている電気)は、日本の私鉄で一般的な直流1,500Vです。
対して阿武隈急行は、元・国鉄丸森線や、建設中だった路線を引き継ぐ形で1980年代に発足した、第三セクター方式の鉄道事業者です。
株式会社という形態ではありますが、福島県や宮城県、福島交通、福島市や伊達市などが出資しあっています。
JRではないことから私鉄と呼ばれがちですが、県や市が出資しているので、厳密には私鉄とは言えません。
阿武隈急行と、国鉄の後身であるJRとの関係は現在も途切れておらず、阿武隈急行の列車は福島駅を出発すると、矢野目信号場という分岐点までの4.7kmは、JR東北本線の線路を走ります。
また、宮城県側でも、槻木駅から東北本線に乗り入れて、仙台駅まで走る列車が運行されています。
その関係もあって、電化方式が東北本線と同じ交流50Hz・20,000Vとなっているのです。
筆者は朝一番に福島駅を出発する列車に乗りました。
飯坂線の列車は3両編成か2両編成で、筆者が乗った始発列車は8月5日に2両へ減車されたばかりでした。
車内に飯坂温泉と書かれたのれんがかかっている車両も。
福島駅の隣の曽根田駅では、1942年に現在の場所に移転したときに建設された駅舎が、今も使われています。
構内には役目を終えた7000系電車が保存されており、車内が「お休み処ナナセン」として開放されています。
2両編成の1号車の車内は運行当時の内装の休憩場所、2号車はワーキングスペースになっていて、電源コンセントやWi-Fiも整備されています。
お休み処ナナセンの利用そのものは無料ですが、飯坂線の有効な乗車券か曽根田駅の入場券などが必要です。
他にも、名前の通り福島県立美術館の最寄り駅である「美術館図書館前駅」や、
車両基地があるので鉄道ファンは立ち寄りたくなりそうな「桜水駅」に、
源義経に従った佐藤継信・忠信兄弟を生んだ佐藤一族の菩提寺である医王寺の最寄り駅「医王寺前駅」など、
短い路線ながらも見どころのある駅が点在しています。
福島駅から25分ほど乗車すると、終点の飯坂温泉駅に到着します。
温泉地らしい雰囲気のある駅舎です。
長い歴史を誇る名湯飯坂温泉は、駅から出てすぐです。
共同浴場や無料で利用できる足湯などが充実しているので、気軽に温泉を楽しむことができます。
まとめ
飯坂線は100年にわたって多くの通勤・通学客や観光客を運んできました。
そして、これからもその役割を果たしていくことでしょう。
沿線各駅の徒歩圏内に観光スポットが存在することに加えて、日中時間帯には車内に自分の自転車を乗せることができる「サイクルトレイン」を実施しており、飯坂温泉駅にはレンタサイクルもあるので、沿線観光の楽しみ方は様々です。
飯坂線に乗って、福島・飯坂の魅力を見つける旅に出てみるのはいかがでしょうか?