福島県相馬地方には1000年余の歴史を持つといわれる『相馬野馬追(そうまのまおい)』と呼ばれる甲冑(かっちゅう)に身を包んだ騎馬武者たちが競う勇壮な祭りがあります。「甲冑競馬(かっちゅうけいば)」、「神旗争奪戦(しんきそうだつせん)」、「野馬懸(のまかけ)」など毎年7月の最終土日月の3日間にわたって開催される祭りに20万人もの観客が熱狂します。『相馬野馬追』は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
目次
400騎もの騎馬武者が死闘を繰り広げる
『相馬野馬追』は、江戸時代にこの地を治めていた相馬中村藩(奥州中村藩・中村藩・相馬藩・陸奥中村藩・奥州相馬中村藩)の領地で行われていた祭りで、現在の福島県の浜通り北部、相馬市(そうまし)、南相馬市(みなみそうまし)、浪江町(なみえまち)、双葉町(ふたばまち)、大熊町(おおくままち)、飯舘村(いいたてむら)、葛尾村(かつらおむら)の2市3町2村とほぼ重なります。
相馬中村藩は領地を地区割(郷)し、それぞれの郷から騎馬武者が氏神様である神社の神輿のお供として祭りに参加していました。現在でもその郷をほぼ受け継いだ、“宇多郷(うだごう/相馬市)”、“北郷(きたごう/南相馬市鹿島区)”、“中ノ郷(なかのごう/南相馬市原町区、飯舘村)”、“小高郷(おだかごう/南相馬市小高区)”、“標葉郷(しねはごう/浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村)”という5つの郷が覇を競います。

氏神様の神社は相馬中村神社(宇多郷・北郷の氏神)、相馬太田神社(中ノ郷)、相馬小高神社(小高郷・標葉郷)の相馬妙見(みょうけん)三社と呼ばれる3つの神社で、総計400騎あまりの騎馬武者たちが氏神の神社に集合し祭りが始まります。
『相馬野馬追』 スケジュール
1日目
【出陣・宵乗り】
[出陣]

朝8時過ぎから昼にかけて郷の氏神神社にそれぞれ集合し、祭りのメイン会場「雲雀ヶ原祭場地(ひばりがはらさいじょうち)」(南相馬市原町区)に向けて出陣。総大将は代々相馬中村藩の当主が務め、相馬中村神社で出陣式を執り行います。
[宵乗り]
「雲雀ヶ原祭場地」に到着した騎馬行列は、馬場潔(きよめ)の式を経て、翌日の「甲冑競馬」の前哨戦“宵乗り競馬”が開催されます。
2日目
【本祭り】
[お行列]

朝いったん南相馬市小川町地内に集合した騎馬武者は、雲雀ヶ原祭場地に向かって町内を歩きます。飾り付けた馬に甲冑を着けた武者が乗り、中ノ郷勢を先頭に隊列を組んで練り歩く「お行列」は、まさしく豪華絢爛な時代絵巻です。
[甲冑競馬]

騎馬武者たちは雲雀ヶ原祭場地に集結し、昼12時にホラ貝の合図とともに「甲冑競馬」の火蓋が切られます。甲冑に身を包んだ白鉢巻きの武者が馬にまたがり、先祖伝来の旗をなびかせ一周1,000mの競技場を疾走。競技は出場騎馬数によりますが、おおよそ10回前後、1レース10頭前後で争われます。
[神旗争奪戦]

「甲冑競馬」の興奮が収まらない中始まるのが、もうひとつの見どころ「神旗争奪戦」です。
花火により高く打ち上げられた2本の神旗を、数百騎の騎馬武者が一斉に奪い合います。神旗は合計40本、「神旗争奪戦」は20回行われ、祭りは最高潮に達します。
3日目
【野馬懸】

3日目は大切な神事、「野馬懸(のまかけ)」が相馬小高神社で行われます。由来は野生の馬を捕らえて神様に奉納するというものです。儀式や奉納舞の後、午前10時すぎに「野馬懸」が開始されます。
数十騎の騎馬武者により旧小高城内に追い込まれた裸馬を、白装束、白鉢巻きの御小人(おこびと)と呼ばれる若者たちが素手で捕らえ、神前に奉納します。古くから行われてきた「野馬懸」は、『相馬野馬追』が国の重要無形民俗文化財に指定される要因ともなった行事です。
「野馬懸」で無事野馬が奉納され、例大祭の式典が執り行われて昼前には3日間にわたる『相馬野馬追』は終わりを迎えます。
平安時代にさかのぼる『相馬野馬追』の歴史
『相馬野馬追』の起源は、1,000年ほど前の平安時代末期までさかのぼります。当時関東地方を支配していた豪族・武家の平将門(たいらのまさかど/903?年~940年)は、下総国(しもうさのくに)小金原(こがねはら/千葉県鎌ケ谷市・松戸市・柏市・流山市あたり)に多く生息していた野生化した馬を敵兵に見立てて軍事演習(野馬追)を行っていました。その際に捕らえられた馬は、氏神の妙見様(妙見菩薩を本尊とする信仰で、千葉県一帯に広がっていた)に奉納します。その後野馬追は下総国相馬郡を領土とした相馬氏(下総相馬氏)に受け継がれ、下総相馬氏の一部が奥州行方郡(おうしゅうなめかたぐん/福島県南相馬市あたり)に移り住んだことから、奥州の地で執り行われるようになったのです。

しかし、江戸時代になると幕府により全国の藩による軍事訓練は禁止されます。野馬追も軍事訓練という側面が強かったのですが、“神馬を妙見様に奉納する神事”という名目で規制の対象から外され明治維新まで続けられました。
消滅の危機を乗り越え、新しい形で復活した『相馬野馬追』
明治維新以降は一時野馬追が消滅しますが、1878年(明治11年)に奥州中村藩主催の行事から相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社合同の神事として復活しました。「神旗争奪戦」はその頃から始まった行事で、本来は野馬を追いかけて捕らえるかわりに、神旗を馬に見立てて争奪戦を繰り広げます。
「甲冑競馬」は、第2次世界大戦後に生まれた競技です。もともとは軍事的要素の強い野馬追ですが、戦後軍事的色彩を弱めるため始められました。平和の祭典の象徴が「甲冑競馬」だったのです。第1回は1948年(昭和23年)に開催されています。
『相馬野馬追』は、1000年以上の歴史の中で何回も中止される危機が訪れました。最近では東日本大震災、新型コロナの世界的流行で何度も中止や縮小開催に追い込まれています。
寂しくなった相馬の地に、2022年(令和4年)にようやく活気が戻ってきました。完全復活です(2022年7月23日~7月25日)。



