
福の神は実在した!?仙台四郎の伝説!【宮城県仙台市】
仙台にはかつて、福の神が実在したことを知っていますか?彼の名は『仙台四郎』
今でもその御利益にあやかりたいと、写真を飾る店舗が後を絶たないという仙台四郎。どんな人物だったのでしょうか、そしてどんな幸せをもたらしてきたのでしょうか?
仙台四郎の人となり
仙台四郎は江戸末期に現代の仙台市中心部、青葉区役所付近の「櫓下」と呼ばれていた場所に居を構えていた仙台藩の鉄砲鍛冶職人・芳賀家の4男坊として生まれたといわれています。このことから当時は「櫓下四郎」とも呼ばれていました。
7歳の時に、広瀬川に落ちて意識不明になってから知能の発達が遅れてしまったのですが、その人柄の良さから誰からも愛され、立ち寄る店で食べ物をもらったりしていました。

毎日のようにぶらりぶらりと市街を徘徊し、人を喜ばせることが大好きだった仙台四郎は、店先に箒が立てかけられていると勝手に店の前を掃き掃除したり、水の入った桶と柄杓を見つけると、今度は水撒きまでやってしまいます。
するといつからか、四郎が掃除や水撒きをやってくれたお店は突然商売が繁盛するという噂が立ち始めます。
このことから、仙台四郎は「生きている福の神」として皆に喜ばれるようになったと言われています。
また、鉄道好きだったことでも有名で、1887年に東北本線の仙台駅が開業すると毎日のように駅を訪れ、人に切符の施しを受けては鉄道に乗って白石市や福島県、山形県まで漫遊していたと言われています。
仙台四郎がもたらす幸せ
仙台四郎が訪れた店は、商売繁盛したと言われています。逆に、仙台四郎をいじめた店は、没落したと言う伝説もあります。
素直な性格をしていた仙台四郎ですが、気に入らないお店にはどんなに手篤く招待されても行こうとはしませんでした。下心や野心のない、真面目な商売をするお店を選んで訪れていたと捉えることが出来ます。そんな他人のために努力を欠かさない人々に幸福を与えるのが、仙台四郎の能力だったのかもしれません。
皆に愛された仙台四郎は、1902年(明治35年)頃に福島県の須賀川にて47歳で死んだといわれています。しかしはっきりとしたことは分かっておらず、当時から有名人だったにも関わらず墓所も不明です。
しかも昭和になってからも目撃談があったということですから、本当に神様だったのかもしれません。
その後も福の象徴として仙台で語り継がれています。
仙台市街のアーケード商店街、クリスロードの中にある三瀧山不動院では、寺社にも関わらず仙台四郎を併せて祀っています。
商店街の全ての店に平等に幸福がもたらされるように、仙台四郎は今もぶらぶらと商店街を歩いているのかもしれません。

仙台四郎グッズは、仙台の各土産屋で販売しています。中でもブロマイドは商売繁盛の御守りとして商売人に人気のお土産です。
仙台のお土産にプレゼントすると喜ばれるかもしれませんよ!
仙台四郎<Information>
- 名 称:仙台四郎(三瀧山不動院)
- 住 所:宮城県仙台市青葉区中央2丁目5−7(三瀧山不動院)
- 電話番号:022-221-3056(三瀧山不動院)
- 公式URL:http://www.mitakisan.com/shiro.html