【宮城県白石市】伊達家の先鋒「鬼小十郎」片倉重長と真田幸村の縁を巡る史跡3カ所
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徳川幕府が豊臣家を滅ぼすこととなる戦い大坂夏の陣で、敵味方でありながら奇妙な縁で結ばれた真田幸村(さなだ ゆきむら)とその子孫にまつわる史跡が白石市内に存在します。今回はそんな史跡3カ所をご紹介します。
真田幸村との縁を巡る史跡3カ所
1615年に起こった戦い「大坂夏の陣」。
片倉家は当主である景綱が病床に伏して参戦できなかった為、後の二代目当主となる片倉小十郎重長が伊達軍の先鋒として出陣。道明寺口の戦いで後藤又兵衛(ごとう またべえ)、薄田兼相(すすきだ かねすけ)らを破り「鬼小十郎」の名を天下に知らしめました。
この戦いの折に、後発隊として片倉隊と一戦を交えた真田幸村は、この日の夜、敵将である重長を知勇兼備の将と見込み、娘・阿梅(おうめ)を託したといわれています。
しかしこの部分には諸説あり、片倉家の正式な記録を後世に残そうと編纂された「片倉代々記」の中では大阪城落城時に乱取り(生け捕り)にしたと記されています。
さらに片倉家の初代景綱と2代重長についての話をまとめた「老翁聞書」の中では、白綾の鉢巻・白柄の長刀の姿で投降してきたが、身分を名乗らず、後の調べで真田信繁(幸村)の息女と判明した。となっています。
このように複数の説があり、ことの真偽は不明ですが、白石の地に真田幸村の娘である阿梅が移り住んだという部分は事実のようです。その後に姉の縁を頼り阿梅の弟の大八(だいはち)と妹の阿菖蒲(おしょうぶ)らほかの子供たちも片倉家に身を寄せたといわれています。
幸村の墓がある「田村家の墓」
阿梅の妹である阿菖蒲は後に三春城主・田村清顕(たむら きよあき)の孫である田村定廣(たむら さだひろ)の妻となります。
定廣は、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の奥州仕置の際に田村家が改易となってしまったことから、父である田村宗顕(たむら むねあき)とともに牛縊(うしくびり)氏と姓を変えて伊具郡(現在の宮城県角田市・宮城県伊具郡丸森町周辺)に移住。
その後、祖父・田村清顕の娘で伊達政宗の正室である愛姫(めごひめ)のはからいで片倉家の治める白石に移り住みます。移住後、定廣は片倉喜多(かたくら きた)の名跡を継ぎ片倉金兵衛と改名。仙台藩士となります。
そして白石市郊外の愛宕山に自分の家系である田村家の墓と妻・阿菖蒲の父である真田幸村の墓を建立しました。
定廣本人と阿菖蒲も死後ここに葬られています。
案内板によると左わきの墓石が真田幸村の墓標となるようです。
田村家の墓<Information>
- 名 称:田村清顕の墓
- 住 所:〒989-0231 宮城県白石市福岡蔵本平屋敷122−2
- 電話番号:ー
- 公式URL:白石観光ナビ – 田村清顕公と真田幸村公の墓
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幸村の娘・息子の墓がある「功徳山 当信寺」
白石市街中心部に位置する当信寺(とうしんじ)。真田幸村の娘である阿梅と息子である大八(のちの片倉四郎兵衛守信といわれている)の墓があります。
当信寺の山門は、明治時代に白石城が解体された際に移築された白石城東口門(二ノ丸大手二ノ門)の遺構となっています。
阿梅の墓は如意輪観音像をかたどっており、当時はそのしぐさが歯痛で頬を押さえている様に見えたそうです。
このことから墓石を削って飲むと歯痛に効くとの迷信が広まり、ご利益にあやかろうと墓石を削り取り持ち帰る参拝者が絶えなかったことから、現在は如意輪観音像の原型はほぼわからないまでになってしまっています…。
当信寺<Information>
- 名 称:功徳山 当信寺
- 住 所:〒989-0275 宮城県白石市本町62
- 電話番号:0224-26-3473
- 公式URL:白石観光ナビ – 当信寺
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幸村の遺臣が開基した六文銭を寺紋とする寺院「法源山 清林寺」
片倉家の菩提寺である傑山寺(けっさんじ)の近くに清林寺(せいりんじ)という寺院があります。
大坂夏の陣の戦中に負傷したとして落城前に離脱し生き永らえ、戦後に幸村の子供たちの片倉家への護送に尽力し、後に自身も仙台藩に仕えたといわれている幸村家臣の三井景国(みつい かげくに)。
その景国の二男が、1634年に善久坊という名前で建立した寺院です。その後1659年に「法源山清林寺」と寺号を改め現在に至ります。
寺紋は真田家の紋所である「六文連銭」で、境内には三井氏の墓碑が並んでいます。
清林寺<Information>
- 名 称:法源山 清林寺
- 住 所:〒989-0248 宮城県白石市南町2丁目8−5
- 電話番号:0224-24-2660
- 公式URL:https://www7b.biglobe.ne.jp/~seirinzi/
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まとめ
誰もが知る信州上田(長野県)の有名武将「真田幸村」に関わる史跡がこの遠く離れた宮城県にあるというのも不思議な話ですが、改めて調べてみると「そんなことがあったのか」と勉強になりました。
もちろんご当地白石の有名武将、片倉景綱と片倉家にまつわる史跡も別記事にまとめてあります。興味がある方は是非覗いてみてください。