【宮城県・福島県】時代に翻弄されるも東北地方の太平洋岸地域を結ぶ重要な役割を果たし続けてきた常磐線特急「ひたち」の軌跡

特急「ひたち」は、東京都の品川駅から、福島県のいわき駅あるいは宮城県の仙台駅までの間を、JR東日本の常磐線(※)経由で運行されている特急列車です。2024年3月の時点で1日15往復が運行されており、現在の在来線の特急列車の中では本数が多くなっています。本記事では、特急「ひたち」の誕生から現在に至るまでの軌跡をご紹介します。

※東京都内の品川駅~日暮里駅間と、宮城県内の岩沼駅~仙台駅間は、正確には常磐線ではありませんが、本記事では説明の簡略化のため「ひたち」が運行されている全区間を「常磐線」と呼称します。


特急「ひたち」の登場

特急列車の「ひたち」が登場したのは1969年10月の国鉄(JRの前身)のダイヤ改正の時でした。当時は東京都の上野駅から福島県の平(現・いわき)駅までのみの運行で、夜に上野発・平行きが1本、翌日朝に平発・上野行きが1本だけの運転でした。

なお、特急「ひたち」の名前の由来は、主に現在の茨城県を指す旧国名の「常陸(ひたち)」です。常磐線には「日立」という駅もあれば、その名を冠する有名な大企業も沿線にありますが、こちらが名前の由来ということはありません。

キハ81系気動車
キハ81系気動車(写真は特急「くろしお) 出典:Wikipedia
著作者:Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76865625による

登場当時の車両は、現在の「ひたち」のような電車ではなく、軽油を燃料にして走る「キハ81系気動車」が使用されました。キハ81系は、上野駅~青森駅間を常磐線経由で運行していた特急「はつかり」に、1960年12月から1968年9月まで使用されていた車両でした。つまり、わずか1年ぶりに、キハ81系が常磐線に帰ってきたことになります。

登場当時の「ひたち」は季節限定の列車でしたが、1年後の1970年10月には早くも通年で運転される定期列車になりました。

ひたち
485系電車による特急「ひたち」 出典:Wikipedia
著作者:spaceaero2 – 自ら撮影, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10650012による

1972年10月からは、国鉄時代のエース級特急形電車とも言うべき「485系電車」に車両が変更されました。この時、上野駅~仙台駅間の362.9kmを走破する「ひたち」も、1日1往復が運行されるようになったのです。下り列車の上野駅から仙台駅までの所要時間は4時間34分なので、表定速度(停車時間も含めた平均速度)は時速79.5kmでした。当時の新幹線以外の特急列車としてはかなりの速さです。そして増発が繰り返されるようになります。

1982年には東北新幹線が埼玉県の大宮駅から岩手県の盛岡駅まで開業して、1985年には上野駅まで延伸しましたが「ひたち」には直接の影響はありませんでした。

常磐線は、首都圏と仙台を結んでいるという点では東北新幹線とかぶっているように思えます。筆者も子どもの頃は「どうして上野と仙台の間には新幹線があるのに、在来線の特急列車があるんだろう?」と思っていました。しかし、常磐線は東北新幹線と近接して並行する路線ではなく、途中の経由地は東北新幹線とは全く違います。だから特急「ひたち」はそのまま残ったのです。一方、東北新幹線と近接して並行する東北本線からは、東北新幹線の開業に伴い、ほとんどの特急列車が姿を消していたのです。


タキシードボディのすごいヤツ

1987年に国鉄は分割民営化されて、常磐線は全区間がJR東日本に継承されました。もちろん「ひたち」を運行する会社もJR東日本ということになります。

「ひたち」の需要は旺盛だったものの、常磐自動車道を走る高速バスとの競争にさらされていました。そこで発足したばかりのJR東日本は「ひたち」に使用されている485系電車よりも、スピードでも車内の快適性などでも上回る新型車両を開発しようと考えました。その結果として登場し、1989年3月から営業運転を開始したのが「651系電車」です。最高速度は、485系の時速120kmよりも高く、新幹線以外の特急列車としては初めて時速130kmとなりました。

651系電車による特急「スーパーひたち」

白を基調とした塗色の車体は「タキシードボディ」と称されました。
前頭部には当時としては斬新なLED表示器を備えていて、列車名などが表示されるようになっていました。車内は主要な客層であるビジネス客を特に意識したもので、落ち着いた内装となりました。時はJRが発足しておよそ2年、そして元号が昭和から平成に変わって2か月の頃、様々な意味で新たな時代を感じさせる車両でした。

651系を使用した常磐線の特急列車は「スーパーひたち」の名前で運転され、485系の特急「ひたち」とは容易に区別されるようになっていました。「スーパーひたち」の上野駅~仙台駅間の所要時間は4時間19分で、表定速度は時速84.1kmでした。上野駅~水戸駅(茨城県)間の117.5kmに限れば、所要時間は1時間6分で、表定速度は驚異的とも言うべき時速106.8kmでした。「タキシードボディのすごいヤツ」というキャッチコピーは伊達ではありません。

フレッシュひたち
E653系電車による特急「フレッシュひたち」

1997年10月には更に新型車両の「E653系電車」が登場し「フレッシュひたち」として運転が開始されました。翌1998年12月をもって、485系は引退し、常磐線の特急列車は651系による停車駅の少ない速達タイプの「スーパーひたち」と、E653系による停車駅が多めの「フレッシュひたち」の2系統体制となりました。

「スーパーひたち」はその後も徐々に所要時間を短縮していき、2010年12月のダイヤ改正では上野駅~仙台駅間の所要時間を4時間9分としました。


まさかの仙台駅直通運転の終了

ところが2010年12月のダイヤ改正直後に、常磐線の特急列車に関する大きな発表がJR東日本からなされました。発表の主題は、2012年の春から常磐線の特急列車に新型車両を導入し、651系を置き換えていくということでした。新型車両とは、2024年現在常磐線の特急列車に使用されている「E657系電車」のことです。

しかし新型車両の導入よりも沿線地域の人々などに衝撃を与えた内容は、上野駅~仙台駅間を直通する特急列車の運行終了でした。E657系の登場と共に、E657系を使用する特急は上野駅~いわき駅間のみの運転となり、いわき駅~仙台駅間には、E653系を使用した新たな名称の特急列車が運転されるというものだったのです。

上野駅からいわき駅以北へ直通する列車がなくなることについて、特に福島県の浜通りからは「都内への直通列車がなくなって東京が遠くなる」といった反対意見も出たようでしたが、2011年2月には新しい特急列車の愛称の公募が行われて、常磐線特急列車の運行区間の分割は既定事項として進んでいったのでした。公募は締め切られ、結果の発表は4月の予定でしたが、JR東日本から新しい愛称が発表されることはありませんでした。

3月11日に、ご存知の大災害および大事故が起きてしまったからです。

なお、福島県の原ノ町行きとして運転された「スーパーひたち15号」は、終点の原ノ町駅に到着後「スーパーひたち50号」として上野駅へ折り返すのを待っている状態でしたが、待っている間に発災しました。4両の651系電車はそのまま原ノ町駅で5年間留め置かれ続け、二度と走ることなく廃車となりました。

2011年3月以降、常磐線の浜通りを通る区間は長期間の運休を余儀なくされ、当然のことながら「スーパーひたち」も、いわき駅以北での運転が不可能となりました。翌2012年3月のダイヤ改正をもって、時刻表の上でも正式に、仙台駅に直通する「スーパーひたち」は廃止されました。2010年12月に発表されたJR東日本の思惑とは全く違う経緯とはいえ、発表した通りになってしまったのです。

E657系電車
E657系電車

そして新型車両のE657系が予定通りに2012年3月に登場し、651系の廃車と高崎線特急への転用、E653系の羽越本線特急への転用が始まりました。翌2013年3月には「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の全列車がE657系での運転となりました(ただし2013年10月から2015年3月まで651系が復活登板)。2015年3月には「スーパーひたち」が「ひたち」と改称「フレッシュひたち」が「ときわ」に改称されました。同時に、都内では「上野東京ライン」が開業して「ひたち」「ときわ」の多くの列車が、品川駅への乗り入れを開始したのです。2024年現在の「ひたち」は全列車が、下りは品川駅始発、上りは品川駅行きとなっています。


全線運転再開

2019年7月にJR東日本は、2020年3月に常磐線の全線で運転を再開することを発表しました。実に9年ぶりの全線運転再開です。
そして常磐線の特急列車に関する発表内容は、再び多くの人を驚かせました。都内と仙台を直通で結ぶ特急列車を1日3往復運転することが示されていたのです。

全国的にJRの長距離列車がなくなっていく傾向にあった昨今において、この長距離特急列車の「復活」は異例中の異例と言ってよいものでした。しかも常磐線の特急列車は、いわき駅を境に分割されることが2010年に決まっていましたから、これが覆ったことになります。当時のJR東日本のポスターや社長の声明などからは、都内と仙台を結ぶ特急列車の存在を、全線運転再開の象徴、東京と福島県浜通りがつながっていることのメッセージとしたかったように見受けられます。復興事業に関連して、都内と浜通りの間の直通需要が以前よりも増しているのではないかとも、筆者は推測します。

2020年3月14日に特急「ひたち」は、常磐線の特急列車としては9年ぶりに仙台駅へ走り始めました。そして仙台への直通列車が復活したことの意味は、単なる全線運転再開の象徴にとどまってはいません。常磐線の全線運転再開後、東北地方を通る大動脈と言うべき東北新幹線が、たびたび地震や設備の事故によって、運転不能となる事態に見舞われました。特急「ひたち」はその都度、首都圏と仙台を結ぶ唯一の列車として、東北新幹線での移動が不可能となった旅客の輸送の一翼を担ってきたのです。9年間かけて常磐線の全線運転再開にこぎつけたこと、仙台への直通列車が平時から走っていたことには、大きな意味があったと言えるのではないでしょうか。


常磐線と常磐炭田

いわき市石炭・化石館(ほるる)
いわき市石炭・化石館(ほるる)

特急「ひたち」が走る常磐線は、今でこそ首都圏での通勤輸送や、首都圏対東北地方の長距離輸送がメインの役割となっている路線ですが、かつては貨物列車が頻繁に運行されていました。そもそも19世紀の終わりに常磐線(注:「常磐線」と命名されたのは1909年です)が作られた目的のひとつが、茨城県北部や福島県にわたる地域の常磐炭田でとれる石炭の輸送だったといいます。常磐線が開通して石炭を迅速に輸送できるようになったことから、常磐炭田の開発は進みました。

常磐炭田の歴史に触れられる施設が「いわき市石炭・化石館 ほるる」として、福島県いわき市の湯本駅近く(徒歩11分程)にオープンしています。湯本駅には特急「ひたち」も停車するので、首都圏や仙台からも列車1本でのアクセスが可能となっています。

スパリゾートハワイアンズ
スパリゾートハワイアンズ

また、1960年代のエネルギー革命によって、常磐炭田も炭鉱が閉鎖されていき衰退しましたが、炭鉱地下から湧き出る温泉水を利用して「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設の開業が検討されました。炭鉱産業から観光産業への転換という計画は、一見荒唐無稽にも思われましたが、大成功をおさめて、この施設は現在「スパリゾートハワイアンズ」として知られています。

こちらも最寄り駅は湯本駅で、駅からは無料送迎バスによって15分ほどでアクセス可能です。

いわき市石炭・化石館<Information>

  • 名  称:いわき市石炭・化石館(ほるる)
  • 住  所:福島県いわき市常磐湯本町向田3-1
  • 電話番号:0246-42-3155
  • 公式URL:いわき市石炭・化石館 ほるる
  • 休館日:第三火曜日(祝日等の場合は翌日)、1月1日
  • 開館時刻:9:00~17:00(入館は16:30まで)

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スパリゾートハワイアンズ<Information>

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まとめ

常磐線の特急列車は、1969年の登場以来、首都圏と東北地方の太平洋岸地域を結ぶ重要な役割を果たし続けてきました。一度は途中駅での運行の分割が決まり、その直後に未曽有の大災害にも翻弄されました。

しかし「ひたち」は、現在も都内といわき・仙台を結び、東北地方の復興への願いといった、人々の様々な思いと共に走り続けています。いわき市などの常磐線沿線の観光にも便利な特急「ひたち」を利用してみてはいかがでしょうか。


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