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奥州藤原氏の黄金埋蔵金伝説!平泉の金鶏山とは?【岩手県】

日本の埋蔵金というと、多くの方が徳川埋蔵金を思い出すかもしれませんが、埋蔵金伝説自体は実は日本のあちこちに残っています。

岩手県の平泉にもそんな伝承の残る山があります。

世界遺産「平泉 – 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 – 」の一つにも指定されている信仰の山・金鶏山がそれです。


金鶏山と埋蔵金伝説

金鶏山は岩手県西磐井郡平泉町にある標高100メートルにも満たない木々に覆われた小高い丘のような小さな山で、「たった一晩で富士山に似せて造られた人工の山である」という伝承も存在する謎の山です。

この山に眠っているとされているのは、かつてこの地で栄華を誇った奥州藤原氏の財宝

金鶏山(登山口)
金鶏山(登山口)

伝説によれば、この山を作り、財宝を隠したと言われるのは奥州藤原氏の三代目・藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)で、秀衡は平泉の鎮守を願い、この山の頂に黄金で造られた鶏のつがいを埋め、さらに漆一万杯と金一万両を隠したといわれています。

伝承の通りの人工の山であるなら、財宝を隠す部屋を作ることなど容易であったと考えられますが、地元には山から鶏の鳴き声が聞こえるという伝承と、埋蔵金のありかを指すという「朝日さし夕日輝く木の下に漆万杯こがねおくおく」という童歌が伝わっているとされます。


奥州藤原氏の黄金文化と浄土思想

奥州藤原氏がいかに莫大な財力と強大な権力を持っていたか、それは現在も残る中尊寺を見れば一目瞭然です。

中尊寺は奥州藤原氏の初代・清衡(きよひら)が、財を惜しまずに投じて造った豪華絢爛な寺院です。

残念ながら多くの建物は焼失して、現在では一部しか残っていませんが、訪れれば往時の平泉の繁栄ぶりを感じることができる場所といえます。

中尊寺金色堂
中尊寺金色堂

奥州藤原氏は浄土思想に傾倒しており、寺社や庭園を熱心に作ったことで知られています。金鶏山も寺院のために造られた山であるといわれ、金鶏山の東にはかつて無量光院という寺院がありました。

この寺院は三代目・秀衡により京都の平等院を模して建立されたもので、のちに火災で焼失して現在は跡地が残っているだけですが、建立当時は本家平等院をも凌ぐ煌びやかな巨大寺院だったといわれています。

毛越寺
毛越寺

金鶏山はこの無量光院の本堂のちょうど背後に位置しており、庭園からは夕日が山の稜線に沈んでいくように見えます。

夕暮れ時に庭園から本堂を望めば、夕日は本堂を後光のように照らし、まさに極楽浄土のような美しさだったと思われます。金鶏山は平泉の都市設計の中心、そしてシンボルであったと考えられます。

現在も信仰の山と言われるだけあって、山頂には少なくとも九基の経塚が作られていたことが分かっており、過去の発掘調査でも経筒や壺などが発見されています。

平泉駅
平泉駅

このような壮大な寺院を建立できるほどの奥州藤原氏の財力を支えたのは東北にあった数々の金山だと考えられ、陸前高田市にあった玉山金山はその中でも特に有名な金山で、中尊寺の金色堂にふんだんに使われている金も玉山産といわれています。

一族は中尊寺や毛越寺、無量光院といった寺院を次々に作り、現在に残る世界遺産「平泉」が誕生します。ちなみに、金に糸目をつけずに作り上げた寺社の噂は遠く中国へも伝わり、マルコ・ポーロが東方見聞録に書いた「黄金の国ジパング」の元ネタになった都市が平泉であるともいわれています。


今も残る?「藤原氏の呪い」

そんな奥州藤原氏が残した財宝、しかも一族の中でも最も権勢を極めた秀衡が隠した埋蔵金です。当然多くの人間が一攫千金を狙って埋蔵金を探し始めました。

しかし、埋蔵金にはもう一つ噂があります。それは「藤原氏の呪い」

金鶏山の周辺では昔から財宝を守る武者の霊が目撃されており、埋蔵金を狙うものはこの武者に呪われてしまうといわれています。

埋蔵金伝説につきものの作り話…と鼻で笑う人も多かったのですが、江戸から昭和までに五回の大規模な発掘作業の末でも埋蔵金は見つからず、さらには作業中に関係者が死亡したりと不運な事故が起き、いずれの発掘調査も中止を余儀なくされています。

「藤原氏の呪い」の噂はあながち嘘ではないのかもしれません…


平泉の落日

金鶏山の麓には奥州藤原氏三代の位牌を納めた千手堂があるほか、滅亡の一因となったある人物の縁者の墓が存在します。それは源義経の妻子。

兄・頼朝と敵対したのち、都を追われた義経は、同じく頼朝と対立する3代目・秀衡を頼りました。しかし秀衡が死ぬと、四代目の泰衡は頼朝の圧力に屈し義経の屋敷を襲撃。義経は正室の郷御前と四歳の娘を自らの手で殺害し、自害したと伝えられています。

金鶏山(源義経公妻子の墓)
金鶏山(源義経公妻子の墓)

泰衡は頼朝の元に義経の首を送ったが、頼朝はこのチャンスを逃すことはなく奥州に派兵。世に言う奥州征伐で、泰衡は敗走しますが秋田県大館市で暗殺されます。これにより奥州藤原氏は滅亡、平泉の繁栄は終止符を打たれました。

金鶏山(山頂の経塚遺跡)
金鶏山(山頂の経塚遺跡)

最後に

金鶏山に関しては松尾芭蕉も『秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す』という一節を残しています。この後段が「夏草やつわものどもが夢の跡」というあの有名な一首です。

平泉観光では中尊寺や毛越寺を巡るだけでなく、金鶏山で奥州藤原氏の栄華盛衰に想いを馳せるのもいいかもしれません。

間違っても埋蔵金探しはしないようにしましょう。「藤原氏の呪い」がその身に降りかかるかもしれません…

金鶏山登山口<Information>

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