【岩手県】岩手平泉が誇る世界遺産「毛越寺」
岩手県平泉町にある毛越寺(もうつうじ)は、薬師如来(やくしにょらい)立像を本尊とする天台宗の寺院で850年に慈覚大師円仁によって創建されたと伝えられています。
同様に慈覚大師円仁によって開山された同平泉の中尊寺、山形県の立石寺、宮城県の瑞巌寺を巡る「四寺廻廊(しじかいろう)」を構成する一寺とされています。
リンク:みちのく古寺巡礼「四寺廻廊」
慈覚大師円仁が開山した天台宗寺院
毛越寺は、嘉祥3年(850年)、中尊寺と同様に慈覚大師円仁が開山した天台宗の寺院で、「毛越寺境内 附 鎮守社跡」が国の特別史跡に、「毛越寺庭園」が特別名勝に指定されています。
平成23年に「平泉ー仏国土(浄土)を表わす建築・庭園及び考古学的遺跡群」の一つとして中尊寺や観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山とともに世界遺産と無形文化遺産に登録されています。
奥州藤原氏二代にわたって再興
850年の創建後、毛越寺は火事によって消失・荒廃してしまっていました。
それを藤原氏二代目基衡(もとひら)が再興・造営をはじめ三代目秀衡(ひでひら)の時に完成、多くの伽藍が造営されました。
当時は堂塔が約40、禅房が約500を数え、円隆寺と呼ばれる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵やその他の堂宇もあり、当時は中尊寺を凌ぐほどの規模と華麗さであったといわれます。
奥州藤原氏滅亡後は鎌倉幕府や伊達氏の庇護を受ける
奥州藤原氏の滅亡後は、鎌倉幕府に保護されますが再び1226年に火災にあい、その約350年後の1573年にも戦による火災の憂き目に遭ってしまい、長年の間土壇と礎石を残すだけとなってしまっていたそうです。
その後江戸時代に入り仙台藩の領内となったことで中尊寺と同様に伊達氏の庇護を受けることになります。伊達政宗公の死去の際には当時の本尊であった釈迦三尊が政宗の菩提寺として創建された瑞鳳寺(ずいほうじ)に遷されました。
明治に入ると本堂や庫裏が再建され、1921年には伊達一関藩の一関城の大手門が山門として移設されました。
現在は平成元年に平安様式を持って立てられた新本堂と江戸中期の常行堂が建つばかりですが、広大な敷地の中には、広々とした州浜や見事な石組の立つ大泉が池が広がっています。
御本尊の薬師如来は日光菩薩・月光菩薩の脇侍を従えています。常行堂では、毎年「延年の舞」が奉納されており、開山以来連綿と行われてきた常行三昧供の修法とあわせて国の重要無形民俗文化財に指定されています。
毛越寺の見どころ
毛越寺のみどころは、平安時代の伽藍遺構を残す日本最古の庭園、浄土庭園にあります。
昭和29年から5年にわたって全面的に発掘された結果、毛越寺庭園は、平安時代の庭園造りの秘伝書「作庭記」に忠実に作られた浄土式庭園であることがわかりました。大泉が池とそれに続く遣り水は発掘調査に基づいて整備されたもので、現在は、緩やかに蛇行しながら自然の小川のように作られている鑓水のほとりで、平安装束に身を包み和歌を詠む曲水の宴が開かれています。
広い池のほぼ中央に勾玉状の島があり、池の東南岸に1カ所と、南側に3カ所の出島が作られています。緩やかな曲線をもつ池の周囲や中島には玉石が敷かれていて、水際は海岸の風景を見せています。
東南岸の荒磯風の出島の先端には、高さ2m余の石が絶妙な傾きをもって立ててあり、静かな水面を引き締めて印象深い風景です。 また、元禄2年(1689年)ここを訪れた松尾芭蕉は、文治5年(1189年)に高館で自害した義経をしのび「夏草や兵どもが夢の後」と詠んでおり、境内にその句碑が置かれています。
INFORMATION
- 名 称:毛越寺
- 住 所:〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
- 電話番号:0191-46-2331
- 公式URL:https://www.motsuji.or.jp/