北海道(空撮)

【宮城県】「北海道」には「宮城県」とゆかりのある土地が多い?仙台藩士の移住と北海道開拓史

タイトルにある通り「宮城県」と「北海道」には実は深い関係性があるのはご存じでしょうか?時は戊辰戦争から明治時代の北海道開拓史まで遡りますが、この記事ではその関係性を紐解いていきます!


戊辰戦争の敗戦で仙台藩の石高は62万石から28万石へ

戊辰戦争に奥羽越列藩同盟の中心的存在として参戦し、敗北した仙台藩はその後の戦後処理にて石高を62万石から28万石へと減らされてしまいます。

その影響はもちろん家臣団にも波及します。例えば宮城県亘理町周辺を治めていた亘理伊達家。伊達政宗の重臣だった伊達成実を藩祖とする名家ですが、2万4千石ほどあった石高はわずか58石まで減らされてしまい、治めていた領地も明治政府の指示により南部藩の支配へと移行しました。

金銭的価値は時代によって変動するので一概には言えませんが、一般的に1石は大人1人が1年間に食べる米の量に相当すると考えられています。

つまり亘理伊達家は2万8千人を養える規模からわずか58人を食べさせることしかできなくなってしまったことになります。

これは亘理伊達家だけに限ったことではなく、

  • 白石片倉家白石城没収知行1万8千石から55石に減封
  • 岩出山伊達家岩出山城没収知行1万4千石から65石に減封

と、仙台藩に連なる名家にはことごとく厳しい処分が下されました。


新天地を求め北海道各地に散った家臣団

明治政府の厳しい処分に立ち行かなくなってしまった仙台藩の重臣たちは家臣を食べさせていくためにも移住を決意し、明治政府に北海道開拓の移住を願い出ます。

明治政府としても北海道の開拓は急務だった為これを承諾。仙台藩士たちはそれぞれの主とともに新天地を求め北海道の各地に散っていったのでした。


室蘭市(石川邦光とその家臣団)

仙台藩一門の筆頭、角田石川家の第十四代当主、石川邦光(いしかわくにみつ)は胆振国室蘭郡(現在の北海道室蘭市)の支配を許され、明治3年4月6日に第一次移民団51人とともに室蘭に入ります。

しかしその後の追加移住の為、角田を任せていた家臣らが「10万両を献金すれば旧領への復帰が許される」という口車に乗せられて詐欺にあってしまい、のこり1300戸の家臣団の移住費用を失ってしまいます。

このことから邦光は室蘭郡の支配を罷免され、所轄地は伊達邦成と片倉邦憲に分割で委任されることとなりました。

Google Map(室蘭市)


伊達市(伊達邦成とその家臣団)

仙台藩一門・亘理伊達家十四代当主、伊達邦成(だてくにしげ)は明治3年から数回に分けて胆振国有珠郡(現在の北海道伊達市)に移住し開拓を行いました。

明治25年には、開拓の功績が認められ勲四等瑞宝章を受勲、男爵に叙せられました。

現在、北海道伊達市と亘理伊達氏の旧領だった宮城県亘理町、山元町、福島県新地町はそれぞれ「ふるさと姉妹都市」提携、宮城県柴田町とは「歴史友好都市」提携をしています。

Google Map(伊達市)


登別市(片倉邦憲とその家臣団)

伊達政宗の重臣、片倉小十郎景綱の祖先である白石片倉家十二代当主、片倉邦憲(かたくらくにのり)は明治2年に明治政府より胆振国幌別郡(現在の北海道登別市)の支配を命じられ、翌明治3年より家臣団の移住・開拓がはじまります。

翌年には郷里である宮城県刈田郡総鎮守、白鳥大明神の御祭神を現地の神社に合祀し、社名を刈田神社と改称しています。つまり登別にある刈田神社のルーツは宮城県白石市にあるんですね。

その後片倉邦憲は登別の開拓に貢献し、明治19年、旧領である白石の地に戻り最後を迎えました。

この歴史から、登別市と白石市とは昭和58年から姉妹都市提携をしています。

Google Map(登別市)


当別町(伊達邦直とその家臣団)

仙台藩一門・岩出山伊達家十代当主、伊達邦直(だてくになお)は当初、石狩国空知郡の支配を命じられました。しかし空知郡はかなり内陸部に位置し、物資の輸送が困難なことから移転を申し入れます。

明治3年、邦直本人が現地に赴き調査するなどして、海岸線へ開拓地の変更が認められます。しかしこの土地も土壌が悪く作物が育たないうえ、食料の輸送までもが滞ったりしたことから開拓が難航。再度開拓地変更を申し入れ、当別への移転が許可されました。

その後は准陸軍少尉に任命され、開拓七等属兼務となり従六位に叙せられるなど、開拓の功績から順調に出世し、明治24年に逝去しました。

しかし死後も、孫の正人が邦直の北海道開拓にかかわる功績により男爵を授与、華族に列せられ、大正4年11月には邦直に正五位が追贈されるなど、その功績は大いに評価されました。

昭和15年に皇紀2600年を記念し、北海道開拓神社に合祀されています。

Google Map(当別町)


札幌市白石区(片倉邦憲の家臣団)

白石片倉家十二代当主、片倉邦憲(かたくらくにのり)の家臣団の一部は札幌周辺にも移住しました。

当時は最月寒(もつきさっぷ)と呼ばれていた現在の白石公園付近から白石神社までの間に短期間で住まいを築いた働きぶりに感心した開拓使の判官が、郷里の名から「白石村」と命名したことが始まりで、その名がそのまま現在の札幌市白石区になっているそうです。

この歴史から、札幌市白石区と宮城県白石市は昭和51年から「友好都市」提携をしています。

Google Map(札幌市白石区)


まとめ

北海道の伊達市がその地名から宮城県と関係があるという話は何となく聞いたことがありましたが、調べてみるとここまでゆかりのある土地が多いことにびっくりしました。

もちろん北海道は日本中から移住者が集まり開拓を行った歴史がありますが、前述の戊辰戦争の歴史から東北出身の移住者が比較的多いようです。

北海道を訪れる際はこんな雑学を知っておくとより楽しめるかもしれませんね!

参考:北海道開拓の村<北海道の開拓と移民>


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