【山形県米沢市】米沢市内の小中学校には必ず飾られている肖像画。元米国大統領も尊敬していたらしい上杉鷹山とは?
「山形県米沢市内の小中学校体育館には上杉鷹山の肖像画が飾られている」って噂になっています。
米沢市民からは、鷹山公と呼ばれ親しみを持たれているようなのです。親しみを持たれているからと言っても、「学校の体育館の壇上脇に肖像画が飾られている」というのは少し不思議に思えました。
さらに米国大統領が尊敬していた?などともいわれていたので、それは誰なのかとても気になったので調査してみました。
上杉鷹山の来歴にも触れ、なぜ市民から親しみを持たれているのか?などもご紹介していこうと思います。ぜひ最後までお読みください。
上杉鷹山とは?
先ずは、上杉鷹山にスポットを当てていきます。
上杉鷹山は、出羽の国(現山形県)米沢藩9代藩主です。
鷹山公は、破綻寸前の米沢藩の財政を立て直し、藩を守った偉人として現在でも市民から尊敬され、教えを尊ばれています。
幼い頃に高鍋藩(現、宮崎県)から養子入りした鷹山公は17歳で藩主となり、財政がひっ迫し領地返上寸前の米沢藩を窮地から救った偉人なのです。
藩の立て直しのため質素倹約を自らに律し、日々の食事も一汁一菜とし領民にだけ我慢させるようなこともせず、藩民一丸となり財政の立て直しを成功に導いたのです。
現在の米沢市があるのも、もしかしたら上杉鷹山公のおかげ、と言っても過言ではないかもしれませんね。
上杉鷹山を尊敬していたのは誰?
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」は知る人ぞ知る、上杉鷹山の言葉です。
受け止め方は人さまざまですが、「やればできる。何事もやらなければ成功もない。できないのは、行おうとしないからである」と解釈されています。この言葉で領民を鼓舞し、貧しく窮地に立たされていた、米沢藩の立て直しに尽力した鷹山公は多くの人から尊敬されています。
その姿勢、考え方に感銘を受けたのが、先のアメリカ大統領『ジョン・F・ケネディ』です。長女である『キャロライン・ケネディ』も来日の際、父が尊敬していた上杉鷹山ゆかりの地である米沢市を訪れています。
肖像画がなぜ小中学校に?
米沢市内小中学校の体育館舞台脇に『上杉鷹山』の肖像画が掲げられています。
学校の体育館といえば、卒入学式など全校生徒が集う場所ですよね。
そのような場所に肖像画がなぜ掲げられているのか?と言いますと、鷹山公の教えが教育の現場にふさわしいからなのです。
鷹山公の教えとは?
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」この言葉に要約されているようです。上杉鷹山がなぜに米沢市民に尊敬、慕われているのか?簡単に時系列で説明します。
- 9歳で高鍋藩(現、宮崎県)より養子として迎えられる
- 17歳で藩主となる(財政破綻寸前状態の米沢藩)
- 藩の立て直しに着手
・藩主自ら生活費を8割カット(一汁一菜、着物は木綿など)
・農民が意見を言える「上書箱」を設置
・特産品の開発(養蚕、焼き物など)
・身近な食材栽培の勧め(かてもの「垣根にウコギ栽培」他)
・治水対策(田畑の整備)
・学問の推奨(藩校「興譲館」設立) - 徹底した質素倹約(領民だけでなく自身、家臣も)
- 藩立て直しのために掲げた【自助・共助・公助】三助の思想。
先ずは、{自分自身の力で努力、仲間同士で助け合い頑張る、さらに上に立つものが手助けする}
これらの教え、考え方を子どもたちにも広げるべく、教育現場である学校に肖像画を掲げているのが理由なのでしょう。
ケネディ大統領も尊敬するリーダー
米沢市内のいたるところで見かける『上杉鷹山』ですが、鷹山公の功績は海外にも伝わって、日本人で一番尊敬する人と、言っている著名人もいます。
その代表として『ジョン・F・ケネディ』の名があげられれています。それは、指導者として見習うべきところが多くあるからなのでしょう。
人々を動かすには、上に立つものが率先して行い見本となるべきである。お願いばかりして自分は何もしないのでは誰もついてこないのです。
いつの時代でも、世の中がどんなに変わっても見習うべきことなのかもしれません。
まとめ
米沢市の小中学校全て、『上杉鷹山』の肖像画が掲げられている、という噂は本当でした。
米沢市民の鷹山さんへの周知浸透は、小学生のころから素晴らしい功績を残した、偉人『上杉鷹山』を身近に感じられる環境があったからこそなのでしょう。
師と仰ぐ偉人の肖像画があるって少し羨ましいような気もしますね!
今回のリサーチで改めて自身の生活も見直さなければ!などと思えてきてしまいました。
また、都市伝説?のようなことを見つけたらお知らせしていこうと思います。