八戸三社大祭の山車①

【青森県八戸市】期間中の人出は100万人以上!おがみ神社の祭礼を起源とする八戸三社大祭

青森県の夏祭りといえばやはり青森ねぶたまつりを思い浮かべる方が多いと思いますが、八戸市にも「八戸三社大祭」と呼ばれる青森を代表する大規模な夏祭りが存在します。

今回はそんな八戸三社大祭の歴史を紐解く記事になります。


八戸三社大祭とは?

八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)は、毎年7月31日から8月4日に青森県八戸市で行われる龗(おがみ)神社の祭礼を起源とするお祭りです。

八戸三社大祭の山車②

三社大祭の「三社」とは、八戸市内に鎮座する龗(おがみ)神社・新羅神社・神明宮のことで、三社の神輿行列と市内各町を中心とした山車組の20数台の豪華絢爛な山車が神社の氏子として八戸市中心市街地を毎日違ったルートで巡行(理由は後述)します。

2004年に「八戸三社大祭の山車行事」として重要無形民俗文化財に指定され、2016年にはユネスコ無形文化遺産に指定されています。

八戸市内に鎮座する龗(おがみ)神社の祭礼が起源

八戸市内に鎮座する法霊山 龗(おがみ)神社は八戸市内最古ともいわれる神社で、その歴史は記録上では約1000年前の平安後期にまで遡り、曖昧な情報ですが「伝承」として残るものを辿ると、その起源はさらに過去に遡るといわれています。

祭りの発端となったのは江戸時代の1720年の出来事で、凶作に悩む八戸の人々が、八戸藩総鎮守である法霊大明神(現在の龗神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができたそうです。

そのことから、翌年の1721年に豊作感謝の意を込めて、神輿を長者山 虚空蔵堂(現在の長者山 新羅神社)に渡御しました。この祭礼が八戸三社大祭の前身である龗神社神輿渡御祭の始まりと言われていて、後にその神輿行列に踊りや山車等を奉納する形で町民がついて回り、現在の形へとつながっていったといわれています。

明治期に衰退するも新羅神社、神明宮の各神社行列と巨大な山車を加えることで復活

明治中期頃になると戦争の影響等で費用面を含め様々な問題が重なり祭礼は衰退。

当時の八戸町戸長だった大澤多門(おおさわ たもん)は、その立て直しのために1881年に長者山 新羅神社の神輿行列を龗神社祭礼に参加させ、さらに1886年、氏子から申し出があったことから神明宮の神輿行列も追加。

規模を大きくすることで「八戸全体の祭礼」という認識を広め、見事に復活させるに至りました。このことから3神社合同例祭ということで「八戸三社大祭」が誕生しました。


八戸三社大祭の日程

三社大祭には開催期間中、行列の運行コースが毎日変わるという少し変わった特徴があります。…というのも前述した通り「龗神社の神輿を長者山 新羅神社に渡御させる神社祭礼」であるという前提がある為です。

リンク:VISIT HACHINOHE – 八戸三社大祭|行事日程

前夜祭(7月31日)

前夜祭はその名の通り前夜祭。山車の運行はなく、八戸市庁舎前の市民広場及び中心街に20台以上の山車が一斉に展示され、各組のお囃子がそこかしこで繰り広げられます。その煌びやかな光景は「日本夜景遺産」にも登録されているほどです。

リンク:日本夜景遺産:八戸三社大祭

お通り(8月1日)

龗神社にて三神社神職など関係者参加による神事並びに出発式が行われた後、日中(15時頃)から夜にかけて各神社の神輿や山車の行列の運行が始まります。

龗神社の神輿を長者山 新羅神社に渡御させる神社祭礼にならい、龗神社付近(現在は八戸市庁舎前)を出発し市内目抜き通りを運行し長者山へと向かいます。

中日(8月2日)

もともとは長者山に到着した龗神社宮司によって例祭が執り行われる日でした。現在は1827年に始まった加賀美流騎馬打毬(かがみりゅうきばだきゅう)と呼ばれる騎馬打毬が奉納されます。

馬上から毬杖を使って毬を拾ってゴールの毬門に投げ入れる競技で、“東洋のポロ”とも呼ばれる古典スポーツです。その後、夜には三日町交差点を出発地点として市内目抜き通りをぐるりと一巡する夜間(19時~21時頃)運行が行われます。

お還り(8月3日)

長者山 新羅神社にて祭礼を終えた龗神社の神輿行列が龗神社に還った日であることから、この日の運行は日中(15時頃)から夜にかけて、長者山(現在は鍛治町付近から出発)を出発し中心部を一巡して龗神社へと向かいます。

後夜祭(8月4日)

前夜祭と同様に山車の運行はなく、八戸市庁舎前の市民広場及び中心街で山車の展示が行われます。


行列の内容

行列には各神社の神輿行列や山車の他に、様々な郷土芸能も披露されます。

八戸三社大祭の山車③
  • 法霊神楽(ほうりょうかぐら):龗神社にて伝承されてきた法霊神楽で、獅子頭「権現様」(ごんげんさま)を持って舞う権現舞です。
  • 虎舞(とらまい):東北の太平洋岸に多く分布し、火伏せや航海安全に関する信仰として伝承されています。
  • 大神楽(だいかぐら):獅子舞が伊勢神宮や熱田神宮の信仰と結びつき、芸能となったもの。
  • 駒踊(こまおどり):馬産地である三八上北・岩手県北地域に分布する芸能で、馬の模型を胴に固定し跳ねるように踊る舞です。
  • 笹の葉踊(ささのはおどり):明治時代に一度、八戸三社大祭から姿を消しましたが、平成に入って古文書等の文献を頼りに復活した踊りです。
  • 手古舞(てこまい):昔ながらの衣装に身を包んで、杖を鳴らしながら山車行列の先頭を歩きます。
  • 華屋台(はなやたい):花街として栄えていた八戸市内の小中野地区・鮫地区の芸妓が乗る屋台として、明治時代から行列に参加していたと言われています。

まとめ

神社の祭礼を基礎として、地域を代表する大祭へと変貌を遂げた八戸三社大祭。青森市のねぶたとはまた違った豪華絢爛な山車の数々は一見の価値ありです!

八戸三社大祭<Information>


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