【青森県】2022年8月の豪雨から2年、どうなる津軽線?
目次
青森県の津軽半島の東部には「津軽線」という鉄道路線が通っています。
元々はローカル線としか呼べないような路線でしたが、1988年の青函トンネル開通を機に、津軽線の南半分の部分は、青森県と北海道を結ぶ、重要なルートの一部となりました。
しかし北半分はローカル線として残されたうえに、2022年8月の豪雨で被災し、復旧されないまま廃止されることが決まりました。
津軽線沿線地域の未来はどのようなものになるのでしょうか。
津軽線とは?
津軽線は、青森県青森市の中心駅である青森駅から、東津軽郡蓬田村(よもぎたむら)、外ヶ浜町(そとがはままち)、今別町(いまべつまち)を経て、外ヶ浜町の三厩(みんまや)駅までを結ぶ、JR東日本の鉄道路線です。
津軽半島東部を縦貫しています。
路線の全長は55.8kmで、駅の数は18です。
外ヶ浜町の中小国(なかおぐに)駅と大平駅の間(青森駅から33.7kmの位置)に、新中小国信号場が設けられています。
この信号場では、津軽線から海峡線という路線が分岐しています。
海峡線は津軽海峡の青函トンネルを通って北海道の方へ延びている路線です。
列車の運行本数は、青森駅から27kmの位置にある、外ヶ浜町の蟹田駅を境に異なった様相を見せています。
青森駅~蟹田駅間は1日9往復の普通列車が運行されています。
車両については、主に電気で走る電車が使用されています。
また、かつては北海道へ渡る特急列車も数多く運行されていました。
一方、蟹田駅~三厩駅間には1日5往復の普通列車しか運行されていませんでした。
車両は、軽油を燃料にして走行する気動車が使用されていました。
そして上の2文が過去形なのは、現在この区間の旅客列車は運休中だからです。
また、青森駅~新中小国信号場間には、海峡線を経由して北海道と本州の間を往来する貨物列車が1日20往復以上運行されています。
この貨物列車は、例えば北海道でとれた農作物を本州へ輸送しています。
貨物列車の経路となることが、現在の津軽線の最大の役割といっても過言ではないでしょう。
津軽線の開業
津軽線の建設の根拠となった法律は1922年の「改正鉄道敷設法」というもので、津軽半島に建設予定の鉄道については「青森県青森より三厩、小泊(津軽半島の北端部)を経て五所川原に至る鉄道」と示されています。
津軽半島を逆Uの字型に結ぶ鉄道が計画されていたことになり、この計画の内の南西側の部分は、私鉄の「津軽鉄道線」として、津軽五所川原駅~津軽中里駅間が1930年に開業しました。
しかし南東側の部分にあたる、津軽線の開業は太平洋戦争後に持ち越されました。
1951年に、JRの前身である国鉄の路線として青森駅~蟹田駅間が開業し、7年後の1958年に蟹田駅~三厩(当時は「みうまや」だったようです)駅間が開業しました。
なお、三厩駅から小泊を経て津軽中里駅までの部分の鉄道は、実現することはありませんでした。
津軽線が開業した時点ではまだ青函トンネルがありませんでしたから、津軽線は全線が、津軽半島東部を結ぶだけのローカル線という立ち位置でした。
それでも当時から蟹田駅を境として、列車の運行本数に差がありました。
例えば1964年10月の時刻表では、青森駅~蟹田駅間の列車の本数が1日10往復に対し、蟹田駅~三厩駅間の本数は1日6往復でした。
青函トンネルの開通
1987年に国鉄が分割民営化されて津軽線はJR東日本に継承されます。
翌1988年には青函トンネルが開通し、津軽線の蟹田駅~三厩駅間の区間の途上に新中小国信号場が新設され、ここで青函トンネル区間を含む路線である海峡線と津軽線が接続されました。
このことをきっかけとして、津軽線の南側と北側は、全く様相の異なる路線となっていきます。
青函トンネルを通る列車は電気で走る必要がある(ディーゼル車を使うとトンネル内での火災のおそれがあるためです)ので、津軽線の青森駅~新中小国信号場間も電化され、電車・電気機関車が走行できるようになりました。
本州と北海道を結ぶ特急列車や貨物列車が電気で走るのはもちろんですが、青森駅~蟹田駅間で運行される普通列車も電車化されていきました。
青森駅~蟹田駅・新中小国信号場間には、特急列車、普通列車、貨物列車といった様々な列車が盛んに往来するようになります。
一方、蟹田駅~三厩駅間は、青森県と北海道を結ぶルートには含まれません(蟹田駅~新中小国信号場間を除く)から、この区間は引き続きローカル線という位置づけになりました。
2016年には北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間が開業したことから、青函トンネルを通る旅客列車は、在来線特急から新幹線に切り替えられました。
津軽線の青森駅~新中小国信号場間を走っていた、本州と北海道を結ぶ在来線特急列車は廃止されたので、旅客列車は普通列車のみとなりました。
しかし、貨物列車の経路として津軽線は変わらず重要な役割を果たしています。
2022年8月豪雨
貨物輸送に重要な役割を果たす津軽線の南側の区間とは対照的に、北側の区間は悲運に見舞われます。
2022年8月に東北地方などを襲った豪雨によって津軽線の設備が被害を受けたことから、蟹田駅~三厩駅間の旅客列車が、長期間運休することになってしまったのです。
被災したならば復旧して列車の運行を再開したいところではありますが、ここで問題になったのが、津軽線のあまりの利用者の少なさでした。
蟹田駅~三厩駅間の平均通過人員(1日1kmあたりの列車の利用者の数)は、コロナ前の2019年度でも107人しかいませんでした。
鉄道どころか仮にバスであっても到底採算が取れない利用状況で、この区間の赤字額は年間7億円にも及んでいました。
また、津軽線の新中小国信号場以北は他の路線と接続していない行き止まりの路線(盲腸線)であり、貨物列車も運行されていません。
したがって、鉄道網の中で果たしている役割も大きくないのです。
このような路線を、多額の費用をかけて復旧し、今後の赤字にも耐えながら運営していくことに、津軽線を運営するJR東日本は難色を示します。
そこでJR東日本と津軽線の沿線自治体は、被災区間の今後について、廃止も視野に入れて協議をすることになりました。
被災区間の今後のあり方としては、復旧はするが線路などの設備は自治体が保有する案、自動車交通に転換する案などが提案されました。
また、沿線自治体側にも、津軽線を鉄道という形のまま復旧することにはこだわらない自治体と、復旧を主張する自治体がありました。
しかし、どのような形であれ鉄道を残すのであれば、1日100人程度の利用者のために年間数億円という赤字を、誰かが負担し続けなければなりません。
鉄道が残ることによる便益が、その費用負担に見合っていないことは明らかで、いつまでも負担し続けられるものではないといえるでしょう。
最終的には被災区間の廃止が容認され、バスやタクシーへの転換が議論されることになりました。
蟹田駅~三厩駅間の旅客列車の運休は既に2年に及んでいますが、このまま(貨物列車の走行区間以外は)列車が走らずに廃線ということになります。
なお、具体的な廃止時期は今のところ発表されていません。
被災後の代替交通
津軽線は実のところ、津軽半島の北端にある龍飛崎まで路線が延びておらず、スーパーや役場や病院といった施設が駅から離れた場所にあり、特に蟹田駅以北は列車の本数も少ないことから、元々生活にも観光にも使いづらい路線でした。
そこで2022年7月より、JR東日本は実証実験として、日中時間帯に津軽線の蟹田駅~三厩駅間に並行するようなルートで「わんタク」という乗合タクシーを運行していました。
このわんタクはあくまで実験という位置づけでしたが、実験開始から1か月後に津軽線が被災してしまったため、津軽線の代替交通機関の一環として今に至るまで運行が継続されており、すっかり定着してしまいました。
わんタクには、運行エリア内であれば予約することでどこでも乗降ができ、乗車時刻も30分刻みで指定できる「フリー便」と、列車のように運行時刻が決まっている1日4往復の「定時便」が運行されています。
定時便の方も、鉄道では行けないホテル竜飛や龍飛崎灯台に停車するほか、運行ルート上であれば乗降は自由で、ルート外でも外ヶ浜中央病院や青函トンネル記念館などといった施設を乗降場所として事前予約することができます。
わんタクは乗降場所の自由度が高いことに加えて、運賃は乗車1回につき1人500円と手軽なことから、利用者からは「鉄道よりも便利になった」と好評とのことです。
さらに、わんタクとは別に、津軽線の列車の代行バスも平日は1日4往復、休日は1日3往復運行されています。
被災前の列車の本数は1日5往復でしたから、代行バスとわんタク定時便を合わせた便数の方が多いことになります。
津軽線よりも代替交通の方が便利だということが住民や観光客が実感できてしまうという状況なので、これでは沿線自治体が津軽線の廃止を容認したのも無理からぬところがあります。
さらにJR東日本は、津軽線被災後の交通網の整備について、資金面を含めた協力を行うことも提案しています。
鉄道会社が一方的に地方を切り捨てたという性質の廃止決定ではないことがうかがえます。
津軽線の沿線スポット
津軽線の紹介に続いて、ここでは津軽線の近くにあるスポットを紹介します。
なお、公共交通での訪問は、本記事でも紹介したわんタクが便利です。
津軽国定公園 袰月海岸高野崎
津軽国定公園にある袰月海岸高野崎(ほろづきかいがんたかのさき)は、津軽半島随一の景勝地とされています。
北海道、龍飛崎、下北半島を一望できる絶景の地です。
この写真の2本の赤い橋は「潮騒橋」「渚橋」といって、橋を渡ると先端の岩場まで行くことができ、潮風に吹かれながら絶景を心行くまで眺められます。
わんタク定時便のルート付近のスポットではないので、わんタクフリー便を予約の上で利用するか、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅から出ているバスを利用してアクセスすることになります。
袰月海岸高野崎<Information>
- 名称 袰月海岸高野崎
- 所在地 青森県東津軽郡今別町袰月
- 問い合わせ番号 0174‐35‐3005(今別町役場産業建設課)
- URL 津軽国定公園 袰月海岸高野崎|スポット・体験|【公式】青森県観光情報サイト Amazing AOMORI
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青函トンネル記念館
青函トンネル記念館は、1988年に開通した津軽海峡の海底を貫く青函トンネル(全長53.85km)に関する記念館です。
青函トンネルの構想から工事のあゆみ、完成までの工程が、音や映像、立体モデルなどを使って紹介されています。
青函トンネル竜飛斜坑線もぐら号というケーブルカーに乗ると、7分で海面下140mに到着します。
ここでは地下坑道の一角に、トンネル掘削当時の現場が再現されています。
日本のみならず世界の土木工事の歴史に残るべき大事業を今に伝える施設なのです。
青函トンネル記念館は、わんタク定時便のルート上にはありませんが、事前予約をすれば乗降可能です。
青函トンネル記念館<Information>
- 名称 青函トンネル記念館
- 所在地 青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜99
- 問い合わせ番号 0174-38-2301
- 営業時刻 8:40~17:00
- 休館日 冬季閉鎖期間あり
- URL 青函トンネル記念館
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階段国道339号
津軽半島の龍飛崎を通る国道339号には、国道としては日本で唯一の階段になっている部分があります。
階段なので当然のことながら国道なのに自動車が通れない道となっていて、このような国道が生まれた背景には諸説あります。
国道に指定したはいいものの、あまりに傾斜が急で斜面状の道路にできなかったとも、そもそも役人が現地を確認せずに国道に指定したとも言われています。
経緯はどうあれ、国道なのに階段という珍しさが観光資源となり、津軽の観光名所として人気を集めています。
段数は362段、総延長388.2m、標高差約70mの道で、上るのはなかなかハードです。
しかし階段国道から眺められる津軽海峡などの景色はとてもよいものです。
アクセスは、わんタク定時便の終点の龍飛崎灯台から歩いてすぐです。
階段国道339号<Information>
- 名称 階段国道339号
- 所在地 青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜
- 問い合わせ番号 0174-31-1228(外ヶ浜町産業観光課)
- 注意事項 冬季閉鎖期間あり
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津軽海峡冬景色歌謡碑
石川さゆりさんの歌った名曲「津軽海峡・冬景色」が、上野発・青森行きの夜行列車に乗って、当時運航されていた青函連絡船に乗って北海道にわたっていく旅の情景を描いたものであることは、多くの方がご存知のことと思います。
龍飛崎にはこの歌の歌碑が設置されています(似たようなものが青森市内にも設置されています)。
歌謡碑のボタンを押すと、龍飛崎について歌っている2番の歌詞が流れます。
本州の最果てまできたことをしみじみと実感できるのではないでしょうか。
階段国道の上側の入り口付近に設置されているので、アクセスはやはりわんタク定時便の終点の龍飛崎灯台からが便利です。
津軽海峡冬景色歌謡碑<Information>
- 名称 津軽海峡冬景色歌謡碑(外ヶ浜町)
- 所在地 青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩龍浜
- 問い合わせ番号 0174-31-1228
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まとめ
ローカル線として開業した津軽線は、南側の区間は後に本州と北海道を結ぶ経路としての役割を与えられ、北側の区間はローカル線として残るも豪雨災害をきっかけに廃止が決まるという、対照的な歴史を歩むことになりました。
鉄道が廃止されることは寂しい、それは筆者も大いに同意するところです。
しかし沿線地域にとって重要なことは、何が何でも鉄道を残すことではなく、住民が今後も公共交通機関を利用し続けられる状況を作り出すことのはずです。
持続可能な公共交通機関の維持に向けて歩み出したJR東日本と津軽線沿線自治体の取り組みの行く末は、赤字ローカル線問題を抱えている全国の他の地域にとっても注目の的になっていくことでしょう。