【秋田県秋田市】たびたびの大火に見舞われ、様変わりした明治以降の久保田城の城下町
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秋田藩(久保田藩)が綿密な都市計画で創り上げた久保田城や城下町は、たびたびの大火によりほとんどの建物が失われてしまいました。久保田城は明治時代以降千秋公園として整備され、わずかに残る遺構や復元された表門などにより、当時の面影をしのばせてくれます。
城下町には、久保田城を中心に外堀が囲むエリアが武家や足軽が住む内町、外堀の外側には町人たちが商売を営む外町(とまち)が配置されました。外堀の役目は川筋を人工的に変えた旭川が担っています。
扱う商品ごとに町割りができていた外町
城下町は秋田藩初代藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)が、内町と外町を同時に整備し、1631年頃には完成したといわれています。義宣は新しく作った外町には、雄物川河口にあって秋田北部の玄関口として賑わっていた港町土崎湊(つちざきみなと/秋田市土崎港)の商人たちを呼び寄せました。町の特長は、藩の御用商人たちが住んだ茶町や大町のほか、肴町(さかなまち)、米町、鍛治町、鉄砲町など扱う商品によってまとまった町割りになっていることです。 中心となった大町には衣類を扱う呉服商が軒を連ね、茶町は食品から調味料、紙、畳などを扱う雑貨商、荒物屋(あらものや)が集まっていました。またこのふたつの町には両替商などのお金関連の店もあり、外町の中心としての役割が与えられています。
明治時代の俵屋火事でほとんど焼失してしまった外町
久保田城はじめ内町、外町は何度もの大火に見舞われています。久保田城は完成から2年後の1633年には焼失してしまい、1650年には城下2,000軒もの家が焼失したといわれています。1880年(明治13年)の火災では、再建されていた久保田城の建物をほとんどすべて失ってしまいました。
外町も江戸時代には1,000軒規模の火災は何度かあったのですが、1886年(明治19年)に起きた俵屋火事(たわらやかじ)では3,500軒もの家屋が焼け、町全体が焼け野原になってしまいました。
俵屋火事で焼け出された芸者屋や茶屋が川反に集まって花街を形成
俵屋火事の後、外町の一角だった川反(かわばた/秋田市大町2丁目~5丁目)に繁華街ができました。久保田城の西を流れる旭川の西岸沿いで、“かわばた”とは川の畔という意味です。川反には俵屋火事で店を失った商人、特に芸者屋や茶屋が次々と移転し、芸者遊びなどができる多くの店が集まり、花街となったのです。
川反(大町)は、1912年(明治45年)にはレンガ造りの秋田銀行本店(現赤れんが郷土館/国指定重要文化財)が建てられるなど、明治時代以降には秋田市の中心地として発展しました。現在は“川反”という地名はなくなってしまい、大町に統一されています。またかつて数多くあった料亭やお茶屋はほとんどなくなってしまいましたが、旧川反地区は庶民的な飲食店や飲み屋などが連なる繁華街としてますます賑わいをみせています。反面、料亭がなくなったことにより昭和初期には150人ほどいた芸者さんは数人になってしまい、寂しい限りとなりました。
川反・外町振興会<Information>
- 施設名称:川反・外町振興会
- 所在地:秋田県秋田市大町
- 電話番号:018-827-5117
- URL:川反・外町振興会
- アクセス
- 鉄道/秋田新幹線・奥羽本線秋田駅から路線バスで川反入口バス停下車
- 車/秋田自動車道秋田中央ICから約20分
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レンガ造りの建物は国の重要文化財。赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店)
川反の旧秋田銀行本店は、銀行としては1969年(昭和44年)まで使われていましたが、その後は赤れんが郷土館として保存・公開されています。
赤れんが資料館の外観はルネサンス様式を基調としたもので、土台に男鹿石を使用し、1階が白の磁器タイル、2階部分が赤レンガという紅白のコントラストが美しい建物です。内部はバロック様式を取り入れ、階段を含め各部屋はそれぞれに異なった意匠をほどこし、豪華絢爛なものになっています。建物は国指定重要文化財です。
赤れんが資料館には、建物に関する資料や銀線細工、八橋人形といった秋田市の伝統工芸品、版画家勝平得之(かつひらとくし)など秋田市出身の芸術家の作品などが展示されています。
赤れんが郷土館<Information>
- 施設名称:赤れんが郷土館(旧秋田銀行本店)
- 所在地:秋田県秋田市大町3-3-21
- 電話番号:018-864-6851
- 開館時間:9:00~16:30
- 入館料:おとな 210円(高校生以下無料)
- 休館日:12月29日~1月3日
- URL:赤れんが郷土館
- アクセス
- 鉄道/秋田新幹線・奥羽本線秋田駅から路線バスで川反入口バス停下車、徒歩で約1分
- 車/秋田自動車道秋田中央ICから約20分
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俵屋火事にも絶えた土蔵、江戸時代から商家旧金子住宅
旧金子住宅の蔵は、秋田市に残る江戸時代の貴重な建物(主屋は俵屋火事で焼失・1887年再建)で、江戸時代は質屋、古着商を営み明治時代からは呉服を扱っていました。この建物では1982年(昭和57年)まで営業が続けられ、その後秋田市に寄贈されました。秋田市指定有形文化財。
現在は「民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)」の一部として展示されています。「民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)」は、竿燈(かんとうをはじめ、秋田市の伝統芸能や民俗行事等を保存伝承するために設立された展示資料館です。
ねぶり流し館<Information>
- 施設名称:旧金子住宅・民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)
- 所在地:秋田県秋田市大町1-3-30
- 電話番号:018-866-7091
- 開館時間:9:30~16:30
- 休館日:12月29日~1月3日
- 入館料:100円(高校生以下無料)、旧金子住宅との共通観覧料 260円(高校生以下無料)
- URL:旧金子住宅・民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)
- アクセス:
- 鉄道/秋田新幹線・奥羽本線秋田駅から路線バスでねぶり流し館前または通町バス停下車約1分、秋田駅から徒歩で約15分
- 車/秋田自動車道秋田中央ICから約20分
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江戸時代に生活用水の汲み場として唯一残る「那波家の水汲み場」
川反の生活用水は飲み水を除いてほとんどを旭川の水を使用していました。そのため内町、外町の各町には“カド”と呼ばれる水汲み場があったといわれています。那波家の水汲み場は明治時代まで使用されていました。水汲み場は川からの荷物の上げ下ろしにも使用され、人々の生活には欠かせないものでしたが、現在では護岸工事などでほとんど失われていまい、痕跡が残っているのはここだけです。
那波家の水汲み場<Information>
- 施設名称:那波家の水汲み場
- 所在地:秋田県秋田市大町3-1-6
- 電話番号:018-824-8686(秋田市まちなか観光案内所)
- URL:那波家の水汲み場
- アクセス:
- 鉄道/秋田新幹線・奥羽本線秋田駅から路線バスで川反入口バス停下車、徒歩で約1分
- 車/秋田自動車道秋田中央ICから約20分