
【会津田島祇園祭フォトレポート:前編】宵祭の大屋台で上演される屋台歌舞伎【福島県南会津町】
目次
福島県の南西部、少し南下するともう栃木県…という立地の南会津町。「奥会津」とも呼ばれるこの地域で、日本三大祇園祭の一つに数えられるお祭りが毎年行われていることはご存じでしょうか?
この記事ではそんな祭り「会津田島祇園祭」の初日例祭(宵祭)の様子をお届けします!
7月22日:例祭(宵祭)
会津田島祇園祭は、鎌倉時代の1185年頃、当時の領主 長沼宗政の祇園信仰により、祇園の神を居城鎮護の神として祀り、祇園祭を田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行った事が起源とされています。
古くから「西の祇園社・中の津島社・東の田出宇賀社」と言われ日本三大祇園祭の一つとして知られています。詳しくは以下の記事で紹介しています。
祭りが行われるのは毎年7月22日から24日までの三日間で、中日である23日が本祭となります。
田島に到着してまず最初は「田出宇賀神社」参拝
田島に到着したのは22日の午後5時過ぎ。祭り自体は朝10時から開始されますが、この日のメインである大屋台の歌舞伎上演は夕方から夜にかけて行われるのでこの時間からでも見ることができます。

まずは明日の本祭の舞台である田出宇賀神社に参拝。

黄昏時の田出宇賀神社は、ぼんやりと明かりが灯った灯篭とうっすらと雲がかかった奥会津の山々が相まって幻想的な雰囲気を醸し出していました。

「田出宇賀神社」の主祭神は田出宇賀大明神(たでうがだいみょうじん)と呼ばれる神様で、その昔この地の田んぼの中の小島から出現し、この地の鎮守様として祀られるようになったそうです。
それまで日ノ町と呼ばれていたこの町はその日以降、町名を「田島」と改めたといわれています。

会津田島祇園祭は昔は「天王祭」と呼ばれ6月15日に行われていましたが、明治以降に田出宇賀神社の祇園祭日に併せ、隣地にまつる熊野神社祭礼を一緒に行うことになりました。
なので正確には田出宇賀神社、熊野神社の二つの神社の祭礼となります。
田出宇賀神社<Information>
- 名 称:田出宇賀神社
- 住 所:〒967-0004 福島県南会津郡南会津町田島宮本甲629
- 電話番号:0241-62-0460
- 公式URL:福島県公式サイト – 田出宇賀神社
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屋台歌舞伎が運行されている祭りのメイン通りへ

参拝を終えた後は神社から町の中心街へと繋がる「七行器(ななほかい)通り」を通り中心部へ。ちなみにこの通りは翌日に七行器行列が通る道でもあります。

田島のメイン通りである国道121号線はこの期間、祭りのメイン会場である町内中心街部分に限り通行止めとなります。
このメイン通りに入り、まず目に飛び込んできたのは大屋台の一つ「中屋台」。次の上演に向けて準備をしている最中でした。
大屋台は合計4つあり「西屋台」「上屋台」「中屋台」「本屋台」と呼ばれます。
上演される歌舞伎は屋台ごとに演目が違い、会津田島駅近くに設置された観光案内所で上演演目に関するパンフレットが配布されているので、どの屋台で何時に何が上演されるのか?等の情報はそのパンフレットで確認できます。

通りには日が落ちるにつれてどんどん人が集まってきます。

国の登録有形文化財になっている「和泉屋旅館」。戦後は進駐軍の指定旅館になっていたため、内部には洋間や英語表示も残っているそうです。ちなみにクーラーがないそうなので夏に宿泊するのは結構勇気がいるかもしれません…。
前に停まっているのは大屋台の一つ「上屋台」。
和泉屋旅館<Information>
- 名 称:和泉屋旅館
- 住 所:〒967-0004 福島県南会津郡南会津町田島上町甲4047
- 電話番号:0241-62-0048
- 公式URL:福島観光情報サイト「ふくしまの旅」 – 和泉屋旅館
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祭で振舞われるどぶろく造りの指導・協力をする「国権酒造」

会津田島祇園祭は明治時代から「田出宇賀神社」に酒造免許が与えられていて、田島の酒造会社「国権酒造」の指導、協力のもと振舞酒である「どぶろく」が神社内で造られます。
このお酒は祭り関係者だけでなく、見学者にも振る舞われるため、会津田島祇園祭は別名:どぶろく祭りともいわれています。
国権酒造<Information>
- 名 称:国権酒造
- 住 所:〒967-0004 福島県南会津郡南会津町田島上町甲4037
- 電話番号:0241-62-0036
- 公式URL:国権酒造公式HP
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屋台の引き回しから始まる歌舞伎上演

4台の屋台は多くの子供たちを乗せて大人達に引き回され、「芸場」と呼ばれる場所で運行を止めて歌舞伎を上演します。1つの演目は7つに区切られており、運行と上演を繰り返しながら、芸場に到着するごとに順番に上演していきます。
ちなみにこの引き回しの最中、屋台に乗っている子供たちが「オーサン!ヤレカケロ!」と大声で叫ぶのですが、意味は「ほら、おじさんたち頑張って走れー!」といった感じだそうです…伝統的なものなんでしょうがなかなかに煽りますね。笑
掛け声が遅い場合は遅く、早い場合は早く屋台を引き回します。子供たちはテンションが上がってくるとどんどん早口になるので、屋台を引き回している大人たちはなかなかに大変そうでした。

「芸場」に到着し子供たちが屋台から下りるといよいよ歌舞伎上演が始まります。写真は上屋台で上演された屋台歌舞伎で演目は一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)。
子供歌舞伎はもともと江戸時代から明治時代初期にかけて祇園祭で上演されていましたが、明治5年(1872年)の「学制」の公布に伴い「教育上好ましくない」という理由から廃絶。
平成6年(1994年)に約120年振りの復活を遂げて現在に至るそうです。

時間の関係からすべての屋台の上演を見ることはかないませんでしたが、子供歌舞伎といえどもその演技力は大人顔負けのもの。想像以上に本格的な歌舞伎上演に少々驚きました。
その後は町内に宿をとることができなかったので湯野上温泉の旅館へと帰宿。最高のお祭りの雰囲気の中にあって、運転の為お酒が飲めなかったことだけが悔やまれました…。二日目に続きます!