【秋田県にかほ市】江戸時代までは松島と並び称された景勝地だったが、大地震で陸となった九十九島(象潟)-にかほジオパーク① 九十九島(象潟)
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にかほ市(秋田県)は鳥海山麓に位置し、同じ秋田県の由利本荘エリア、山形県の酒田エリア、遊佐(ゆざ)エリア、飛島(とびしま)エリアとともに、「鳥海山・飛島ジオパーク」として日本ジオパークに認定されています。
ジオパークとは、「ジオ(GEO=地球)に関わるさまざまな自然遺産、たとえば、地層・岩石・地形・火山・断層などを含む自然豊かな公園(PARK)のことです。山や川をよく見て、その成り立ちに気付くことに始まり、生態系や人々の暮らしとのかかわりまでをつなげて考える場所です。足元の岩石から頭上の宇宙まで、数十億年の過去から未来まで、海や山の大自然からそこに暮らす生き物と人々までを一つにして考える。つまり地球を丸ごと考える場所、それがジオパークです」(「鳥海山・飛島ジオパーク」ホームページより)。
鳥海山が創り出した魅力あふれる大自然がいっぱいの「にかほエリア」
鳥海山・飛島ジオパーク「にかほエリア」の魅力は、第1には他のエリアと同様に活火山鳥海山が創り出したさまざまな風景です。ダイナミックな海岸線、大きな谷や滝、湿原が数多く点在しています。その中でも、「九十九島(くじゅうくしま)」は、約2,500年前に起きた鳥海山の山体崩壊による独特な景観で、『象潟(きさかた)』として国の天然記念物に指定されています。
鳥海山の噴火がもたらした風景は、「九十九島」のほかにも、約3,000年前の溶岩で形成されている「三崎海岸」や、何回もの噴火で流れ出た溶岩がミルフィーユのように幾重にも重なる「奈曽渓谷(なそけいこく)」、溶岩流の先端から湧き出た湧水によってできた湿原「獅子ヶ鼻湿原(ししがはなしつげん)」など、いくつも点在しています。
噴火で起きた山体崩壊や溶岩流など、人間にはなすすべもないやっかいな地球の活動ですが、それになんとか対抗しようとする人々の知恵も、にかほエリアの魅力のひとつです。また、石油や風という地球からの贈り物も人間生活を豊かにしてくれました。
そんな魅力いっぱいジオパーク「にかほエリア」を2回に分けてご紹介しましょう。
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- 鳥海山・飛島ジオパーク にかほエリア
- URL:鳥海山・飛島ジオパークにかほエリア
江戸時代の大地震で全く景観が変わってしまった「九十九島(象潟)」
田んぼの中に大小の“島”が浮かび上がる「九十九島」(象潟)は、まさしく地球の活動により創り出された景観です。約2,500年前に鳥海山の山頂付近が大きく山体崩壊し、大量の土砂が日本海を目指して流れ落ちます。土砂は海を埋め、浅い潟湖(せきこ/ラグーン)となり、落ちてきた大きな岩がいくつかの塊(流れ山)となり、島のようになって海面から顔を出したのです。そのまま年月が経ち、顔を出した大きな岩には木が生え“島”のようになりました。
その風景はまるで松島(日本三景/宮城県)のようで、平安時代の僧侶で歌人の能因(のういん)や西行(さいぎょう)などがその風景に感激し、和歌に歌い込みました。江戸時代の俳人、松尾芭蕉(まつおばしょう)は、能因や西行が和歌に詠んだ風景がどうしても見たいと象潟を訪れ、大変な感銘を受けたと『おくのほそ道』(1702年刊)に記しています。
しかし地球のいだずらはこれで終わりませんでした。1804年7月10日(新暦)にマグニチュード7.0(推定)の地震が象潟を襲います。この地震により一帯は2m以上隆起し、いくつもの島を浮かべた九十九島は干上がり、陸地になってしまったのです。
現在の九十九島は、潟だったところが水田となり、水田の中に百以上もの島が浮かぶという希有な風景となっています。
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- 施設名称:九十九島(象潟)
- 所在地:秋田県にかほ市象潟町字塩焼島
- 電話番号:0184-43-6608(にかほ市観光協会)
- URL:九十九島(象潟)
- アクセス:
- 公共交通機関/JR羽越本線象潟駅から徒歩約15分
- 車/日本海東北自動車道象潟ICから約8分
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鳥海山の山体崩壊による岩なだれで埋もれた「埋もれ木」
九十九島の風景を創り出した鳥海山の山体崩壊は、その土砂の量が約60億トンともいわれています(どのくらいの量だか想像がつきませんが、一応東京ドーム1杯分の乾燥土砂だとその重量は約15万トンとのことで、東京ドーム約4万杯分という計算になります)。
一瞬のうちに土砂に覆われた森は、空気に触れないまま何千万年も地中に閉じ込められていました。その埋もれた木(埋もれ木)は、手に入りにくい完全に乾燥した天然木材として珍重され全国で掘り起こされていましたが、にかほ市内では冬師(とうし)や釜ヶ台(かまがたい)地区では1970年年代頃から盛んに掘り出されていました。2015年には日本海沿岸東北自動車道象潟インターチェンジの建設工事中に、150本ほど発見されたのです。
象潟ICでは、埋もれ木は立ったままではなく、ほとんどがな倒された格好で見つかっています。この場所が山体崩壊で流れ出た土砂の縁に当たり、木が山腹から流されて堆積したものと考えられています。中には長さ10m、直径1.6mのケヤキもありました。また、埋もれ木の年輪を調べる(年輪年代測定法)ことによって、鳥海山の山体崩壊がいつ起こったのか判明したのです。
埋もれ木は『にかほ市象潟郷土資料館』に展示されています。
象潟地震の隆起を知る貴重な岩「唐戸石」
「唐戸石」は、鳥海山の山体崩壊によって落ちてきた岩のひとつです。見た目は何の変哲もない岩のように見えますが1804年の象潟地震による象潟隆起の証人(岩)として大切に保存されています。
大地震が起こる前は、海面から少し顔を出していた岩でしたが、地震後はすっかり地上に顔を出したのです。その高さは4.3mありますが、下から2.4m辺りに波の浸食跡があり、岩は2.4mまで海に浸かっていました。つまり、象潟の海の底は2.4mほど隆起し、陸地になったことが分かったのです。「唐戸石」はにかほ市の史跡に指定されています。
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- 施設名称:唐戸石
- 所在地:秋田県にかほ市象潟町字中橋町
- 電話番号:0184-43-6608(にかほ市観光協会)
- URL:唐戸石
- アクセス:
- 公共交通機関/JR羽越本線象潟駅からタクシーで約5分
- 車/日本海東北自動車道象潟ICから約10分
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象潟の成り立ちや「おくのほそ道」関連の資料を展示「にかほ市象潟郷土資料館」
「にかほ市象潟郷土資料館」は、象潟地震によって全く違った風景になってしまった九十九島を、隆起前の九十九島を描いた屏風絵『紙本着色象潟図屏風』や825分の1で再現した模型で見せてくれます。また、松尾芭蕉「おくのほそ道」の関連資料、江戸から明治期に北前船(東北・北海道と関西間を日本海の港を巡りながら大きな商売をした商船)の寄港地として栄えた塩越湊に関連する資料も展示しています。
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- 施設名称:にかほ市象潟郷土資料館
- 所在地:秋田県にかほ市象潟町字狐森31-1
- 電話番号:0184-43-2005
- 開館時間:9:00~17:00
- 休館日:月曜日、国民の祝祭日および振り替え休日の翌日、年末年始(12月29日~1月3日)
- 入館料:一般 150円、高校生およびその他の学生100円、小中生50円
- URL:にかほ市象潟郷土資料館
- アクセス:
- 公共交通機関/JR羽越本線象潟駅から車で約3分
- 車/日本海東北自動車道象潟ICから約3分
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鳥海山の溶岩でできた三崎海岸と交通の難所だった三崎山旧街道
三崎海岸は、約3,000年前に起きた鳥海山の噴火により流出した溶岩(安山岩/あんざんがん)が海まで流れ着いてできた海岸です。溶岩流は60mほどの厚さがあり、その量の多さに圧倒されます。
秋田県と山形県の県境にあり、切り立った崖と、海岸線の荒々しい溶岩奇岩は見ごたえ満点です。
三崎海岸に遺る三崎山旧街道は、古くから山形と秋田を結ぶ街道の難所でした。鳥海山からの溶岩流は日本海へ直接落下し、海岸線は崖だらけ。平坦な場所はほとんどありません。しかも三崎には観音崎、大師崎、不動崎という3つの岬があり、3つの峠を越えなくては反対側には出られません。街道は何でこんなところに、というような場所も多く、命を失う旅人も多かったといわれています。
江戸時代には松尾芭蕉(まつおばしょう)が象潟を目指して通り、日本地図を作製した伊能忠敬(いのうただたか)や紀行家菅江真澄(すがえますみ)も行脚の途中で通っています。明治維新の時勃発した戊辰戦争(ぼしんせんそう/1868年)で久保田藩などの秋田勢と山形の庄内藩がぶつかった秋田戦争勃発の地でもあります。
三崎半島は、半島内に観音崎、大師崎、不動崎という3つの岬があることから名付けられました。三崎(大師崎)は「おくのほそ道の風景地」として国指定名勝です。
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- 施設名称:三崎海岸(三崎公園)
- 所在地:秋田県にかほ市象潟町小砂川三崎
- 電話番号:0184-43-6608(にかほ市観光協会)
- アクセス:
- 公共交通機関/JR羽越本線象潟駅から車で約15分
- 車/日本海東北自動車道象潟ICから約15分