【宮城県】県南地域に伝わる「白鳥信仰」の中心地、蔵王町の刈田嶺神社(白鳥大明神)
目次
宮城県刈田郡蔵王町。白石市との境界付近の国道四号線と東北自動車道に挟まれる位置に刈田嶺神社(白鳥大明神)と呼ばれる神社が存在します。
蔵王町内に三社存在する刈田嶺の名前を冠する神社の一社であり、県南地域に古くから伝わる白鳥信仰の中心地でもあります。
刈田嶺神社(白鳥大明神)の縁起
刈田嶺神社の名前が登場するのは奈良時代(700年代前半頃)で、「朝廷から刈田嶺の神様に神戸を賜った」という記述が残されています。
当時の刈田嶺神社は蔵王連峰の東部に位置する青麻山(あおそやま)の山頂にあったとされていますが、その起源には諸説あり、
- 神体山である刈田岳(かっただけ)を一望できる青麻山(あおそやま)の山頂に建てられた
- 青麻山自体が大刈田山と呼ばれており、この大刈田山自体を神体山とし、その山頂に神社が建てられた
1.の説では、当時の刈田岳が噴火という神威を頻繁に示す危険な活火山で、さらに刈田岳の聖域に足を踏み入れることが神への冒涜であると考えられていたため、神体山である刈田岳の東に位置し、全体を一望できる青麻山の山頂に神社が建てられたといわれています。
2.の説では、当時、青麻山自体が大刈田山と呼ばれており、この大刈田山自体を神体山とし、その山頂に神社が建てられたといわれています。
刈田郡・柴田郡に伝わる日本武尊(ヤマトタケル)の白鳥伝説と西宮の白鳥社
刈田嶺神社の誕生からさらに遡る4世紀頃、日本武尊(ヤマトタケル)がこの地を訪れたという伝説が残っています。
往古、日本武尊がこの地に遠征に訪れた。遠征のあいだ、尊はこの地の長者の館に逗留したが、側回りの世話をした長者の娘とねんごろになり、一人の男児を授かった。やがて尊は妻子を残して都に帰還していった。尊と娘との間にもうけられた男児は幼くして非凡だった。
里人は、長じれば必ずこの地を征服するほどになるだろうと恐れ、謀って男児を川に投げ捨てた。
ところが男児は白鳥に姿を変えて西方へと飛び去った。
その後、里では災いが起こるようになった。
里人は神罰が下ったのだと恐れ、白鳥が飛び去った西方の山麓に祠を建てて許しを乞うた。その後、また、この里には平和が訪れたという。
この地域には、長者の娘が暮らした「内方」、男児を投げ捨てた「児捨川」、白鳥となった男児を祀る祠を建てた「西宮」など、白鳥伝説にまつわる地名が数多く残されている。平成二〇年五月二四日 蔵王町教育委員会
この伝説に登場する西宮の白鳥社が、長らくこの周辺に伝わる白鳥伝説の大元であるといわれています。実際、現在の刈田嶺神社の西には西宮という地名が実在し、1500年代にここから現在の地に移設されたようです。
日本武尊(ヤマトタケル)を祭神とする西宮の白鳥社と合祀される
平安時代である801年、征夷大将軍 坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐の際、前述の西宮の白鳥社に戦勝を祈願したところ、阿弖流為(あてるい)、盤具母禮(いわぐ の もれ)の軍に勝利したといわれています。
その後、坂上田村麻呂は青麻山山頂の刈田嶺神社を西宮の白鳥社に合祀します。このことは現在の刈田嶺神社からも窺い知ることができ、随身門には「嶺神社」の扁額が、拝殿には「白鳥大明神」の扁額が確認できます。
そして時が経ち869年12月に苅田嶺神に従四位下の神位が授与されます。
このことから927年、当時の全国の神社が取りまとめられたリスト「延喜式神名帳」の中には神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号である「名神大社」としてその名前が記されており、刈田郡総鎮守として多くの人々の信仰を集めていたことが窺えます。
奥州藤原氏の滅亡で荒廃するも、戦国の世では片倉家の守護神として祀られる
平安時代末期には奥州藤原氏らの庇護を受けていましたが、奥州藤原氏の滅亡によって荒廃。のちに源頼朝が「瓦礫左右に散漫して、足を容れる所なし」と言った記録が残されています。
1500年代に佐藤将監という人物によって復興計画が立ち上がり、この時に古道に位置し不便な西宮から、参拝客が訪れやすい現在の場所に移されたようです。
その後も荒廃、再建を繰り返し1600年代、伊達家の治世となり片倉景綱が白石城主となると、片倉家による大規模復興が初代景綱、2代重長の二代に渡って行われ、旧社を一掃して諸殿が一新されました。
その後は刈田郡総鎮守、伊達家家臣片倉家総守護神として長きにわたり庇護を受けました。
江戸時代末期、戊辰戦争にて東北勢が敗北し、片倉家が白石の地を離れ北海道へ開拓移住する際も、刈田嶺神社の日本武尊の御分霊を奉じ、北海道登別の地にあった現地の神社に合祀され「刈田神社」と改称し、開拓の守護神として祀られました。
現在の刈田嶺神社
大鳥居
刈田嶺神社入り口にある大鳥居。
随身門
蔵王町指定文化財の随身門(ずいしんもん)。「嶺神社」の扁額が掲げられています。
拝殿
随身門と同様に蔵王町指定文化財の拝殿。「白鳥大明神」の扁額が掲げられています。
賽銭箱には伊達家の定紋である「丸の内に竪三つ引き紋」が装飾されています。
本殿
1718年に白石片倉家5代目当主 片倉村休によって建立された本殿。宮城県の指定文化財に登録されています。
白鳥古碑群
本殿の裏手にある白鳥古碑群。
すべての石碑に白鳥と思われる鳥の姿が刻まれています。「白鳥塋域」と記載されていることから白鳥の亡骸が葬られているのかもしれません。(塋域は墓地や墓場を意味する)
もっとも古い石碑には寛文13年(1673年)と刻まれています。
まとめ
日本書記・古事記ともに若干の記載の違いはありますが、共通して伊勢の地で没して白鳥になったと記される日本武尊(ヤマトタケル)を祀る白鳥信仰。
そして修験道にルーツを持つ蔵王連峰の山岳信仰。この二つが融合した刈田嶺神社はかなり稀有な存在といえるのではないでしょうか?
宮城県の県南地域を訪れる機会があれば是非お参りしてみてください。
刈田嶺神社(白鳥大明神)<Information>
- 名 称:刈田嶺神社(白鳥大明神)
- 住 所:〒989-0701 宮城県刈田郡蔵王町宮馬場1
- 電話番号:0224-32-2615
- 公式URL:宮城県神社庁 – 刈田嶺神社(白鳥大明神)