東北の女性シャーマン「イタコ」の世界③

【後編】東北伝統の女性シャーマン「イタコ」の世界|イタコの呪文と東北各地の巫覡

イタコの呪文の例

イタコが口寄せなどの巫術を行使する際にさまざまな唱えごと、つまり呪文を詠唱することは既に述べた通りですが、それらはいったいどのようなものなのでしょうか。

正確には地域や伝承者によって異なるそうですが、民俗調査によってそのうちのいくつかが採集されています。

以下に2つの例を見てみましょう。

津軽のイタコにおける口寄せ祭文の一例

一つ目は『民俗資料選集 巫女の習俗Ⅱ』(財団法人国土地理協会 1986)より、津軽のイタコが用いる口寄せ祭文の例を挙げました。

“誰の道呼ぶや 八日の仏の道呼ぶや ここらずの 極楽の ほいじの枝にて何がなるや 南無阿弥陀仏の六字がなるや 森か林から来るべか 幾日幾日 来る道おちゃの道 どこに姿がいるものか どこに形がいたものかや 数珠の響きで 向かえる弓の響きではやむけるゃ ところがところがにゃ 白い装束で 白い姿で降りて遊べや その身やくや うちにも つりおばついにつく 八日の仏の 見ぬがために悲し仏様や ここはどこだよ 葛西の座敷の間でゃ 降りて物語 総領か けさであとようかんなーィャ”

祭文とはいうものの「仏」という語が何度も繰り返され、「南無阿弥陀仏」「数珠」などの言葉が登場することから非常に仏教色の強い内容であるといえるでしょう。

ただし「弓の響き」なるフレーズからは梓弓による霊の降臨を思わせ、イタコに特有の巫術が行われたことも想起させる内容です。

南部地方のイタコにおける「地獄さがし」の祭文

口寄せが死者の霊を憑依させる業であることは既に述べた通りですが、南部地方のイタコの間には「魂は死後三年間は地獄にいる」と伝承されていたことが記録されています。

そのため、イタコは霊を降ろす際にまずはその所在をサーチする必要があり、そのための祭文が「地獄さがし」です。

以下、北川達夫氏の論文『イタコ「地獄さがし」』(『青森県立郷土館研究紀要 第35号』2011)

より、明治24年に八戸で生まれたイタコ・根城スエ氏が伝承した地獄さがしの祭文をご紹介します。非常に長いのですが口寄せに伴う雰囲気をよく伝えているため、その一部を引用してみましょう。

“地獄の数は 一百三十六地獄と申せども あの土この土の冥途にほととぎす 雄どりは九品の浄土を訪ねみでたんべ 雌どりは 五品の地獄をたずねでたんべ こうづの生まれ児 今年のみどり子に候えしが 愛しきごとくにましますか 浄玻璃鏡でごそ ひきがけご覧ずれば 弔うらうたるが 花水の供げんやかやしなはじょうのあわれなり 六の地獄も迷わされ 六の地獄もそのならい 親の為とてけょうをとわざる皆人は 二百年におちるという 阿修羅地獄もそのならい ふさいの為とてけょうをとわざる皆人は 百年におちるという 無間地獄もそのならい 五尺の真名箸 三尺の包丁刀をとり持ちて 夜に三度日に三度 六度目にどこいなみとぞものあわれなり ぜんのつまとて 暇なぐは挊いであるならば とりべきものにはとりべしと 投げべきものには投げぎで さいなみこどものあわれなり 男は娑婆にありし時 かくるべきとしりたたば 一挺の弓をば 外輪にたでであるならば 上には黒金の網をしぎひろげ 下には七千本の剣を立て並べ 夜に七度日に七度 十四度は程さいなみとどものあわれなり

 五十八くせの死出の山になり行けば あいなく浄土 一ぶつ浄土 しるしの地獄にもどよりも こつこみつきやそも 小鍋焼きの地獄でものあわれをとどめたり 言わずの地獄でもののあわれをとどめたり 戸だての地獄でもののあわれをとどめたり 逢瀬にわたる山へ登るのあわれなり

 幼ぎものは石を積めや花を摘めやとさいあんみとどものあわれなり 昼は三度の花の役 夜は三度の花の役 一丈積み申せや父の為 二丈積み申せや母の為 三丈積み申せや兄弟わが身の為となり 阿修羅まんの鬼どもは 金のまたぶりとりもちて 積めばどっと積めばどっと突きおとし呵責なすこそあわれなり

 あやずの縄をめせずつけ百日は程さいなんべし さいなまれべきほどは 逢瀬にわたる山へ登るのあわれなり

 さらば女の 嘆きようこそあわれなり 一人の子種を持たざれば 明日の口すぎ何とする 浄舎利の口すぎ何とする 一つには剣の山 二つには提婆らごんいとられさぶろう 三日三日も火を積む 七日七日も火を積む 五つの障り六つの罪とはとわれてさぶろう 二十五日三十五日四十九日百箇ン日一周忌第三年まで待ぢいども野に千年山に千年海に千年 三年まで廻れども まだ人頼み 生まるるこどをいど方へ 逢瀬にわたる山へ登るのあわれなり

 さらば女の 嘆きようこそあわれなり 一人の子種を持たざれば明日の口すぎ何とする 浄舎利の口すぎ何とする

 寒けだものに衣類をば 与えとぜんあるものを 与えであるなら人の子なりとも 吾が子に なづけや 親の為とて一遍の念仏も申してやるべし 二つの罪はよりもせん これより北に悲しきましますに 悲しき地獄もそのならい

 血の池地獄はましますが 血の池地獄もそのならい 深さも八万余丈なり 広さも八万余丈なり 八万余丈の池に なんちがこれ からをんなか 唐竹の根を 葺げや掘れと苛みとどものあわれなり 瓜の根がらあいこぼれし血がひざごしさまの姫がのる わらごそ明日の口すぎ何とする(以下略)”

これで全体のおよそ半分であることから、いかにこの祭文が長大であるか窺い知れるでしょう。

イタコの技や知識はすべて口伝で行われるのが基本であるため、多数の唱えごとを暗記して詠唱するにはいかほどの鍛錬が必要か推して知るべしといえます。


東北各地における女性シャーマンの例

津軽などではイタコ以外にも女性シャーマンが存在することを先に述べましたが、実は同様の民間巫覡は東北各地に広く分布しています。

これらのシャーマンはイタコではなくそれぞれの地域特有の名で呼ばれており、基本的な巫術は同系統のものでありながら使用する道具や装束、唱えごとの文言や信仰する神仏が異なるケースを見られます。

以下、青森以外の地域での例をご紹介します。

オナカマ【山形県最上・村山地方】

山形県最上・村山地方ではイタコと同様の巫覡を「オナカマ」と呼びます。

中山町の岩谷十八夜観音堂
中山町の岩谷十八夜観音堂

行使する術は口寄せ・加持祈祷・卜占などこれもイタコと同様ですが、オナカマは中山町の岩谷十八夜観音堂を本山とする巫女集団でした。(同町では平成7年に最後のオナカマとされた人物が逝去されたことで、現在その系譜は途絶状態となっています。)

観音信仰の霊場でありながら巫女と呼ばれるのは古い神仏習合の名残りと考えられます。

中山町歴史民俗資料館の「岩谷十八夜観音庶民信仰資料」展示室
中山町歴史民俗資料館の「岩谷十八夜観音庶民信仰資料」展示室

中山町歴史民俗資料館には国指定重要有形民俗文化財「岩谷十八夜観音庶民信仰資料」展示室があり、観音堂に奉納されていたオナカマの各種巫具や関連資料などが多数収蔵されています。

「オナカマ」の用いるイラタカ数珠 中山町歴史民俗資料館収蔵
「オナカマ」の用いるイラタカ数珠 中山町歴史民俗資料館収蔵

このイラタカ数珠にはイタコが用いるものと同様に野獣の骨・牙・角が付されているうえ、貝殻、翡翠なども見られる点に特徴があります。

また民間巫覡として用いる巫具一式がイタコと酷似していますが、漢字表記や呼称が異なるのも興味深い点です。

解説に「刺高」と表記されているイラタカ数珠 中山町歴史民俗資料館収蔵
解説に「刺高」と表記されているイラタカ数珠 中山町歴史民俗資料館収蔵

例えばイラタカ数珠はイタコが苛高(イラタカ)と表記するのに対して、オナカマでは刺高(イラタカ)と表記されています。

「トドサマ」と呼ばれるオナカマの巫具 中山町歴史民俗資料館収蔵
「トドサマ」と呼ばれるオナカマの巫具 中山町歴史民俗資料館収蔵

さらにオシラサマに至っては「トドサマ」と全く違う名称が用いられています。

文久二年に奉納された眼病平癒祈願絵馬 中山町歴史民俗資料館収蔵
文久二年に奉納された眼病平癒祈願絵馬 中山町歴史民俗資料館収蔵

なお、岩谷十八夜観音は眼病の治癒に霊験があると信仰されてきたことから、多数の「眼病平癒祈願」の絵馬が奉納されてきた歴史もあります。

参考

中山町歴史民俗資料館<Information>

Google Map

オガミサマ【宮城県・岩手県南地域(旧:仙台藩領)】

宮城県と旧仙台藩領であった岩手県南地域では、イタコではなく「オガミサマ」という呼び方をします。

オガミサマの祭具 東北歴史博物館所蔵
オガミサマの祭具 東北歴史博物館収蔵

「拝み様」という字を容易に想起できるように、祭祀や呪術を司る職能者としての役割がストレートに反映された呼称と考えられるでしょう。

文化遺産オンラインで確認できる写真では大きな太鼓を祭壇に据えていることや、オガミサマ自身が派手な柄の打掛のようなものを羽織っているのが見て取れます。

数珠を繰って合掌し、お鈴やろうそくを立てた祭壇は仏式を思わせますが鏡餅や御幣も見られることから、やはり神仏習合のスタイルが共通している点です。

なお、同サイトの写真には2体のオシラサマと思しき像も確認できます。口寄せ・加持祈祷・卜占を業とし、これもイタコと同様です。

参考

ミコサマ【福島県・宮城県(磐城・岩代地方)】

福島県東部~宮城県南の一部および福島県西部である磐城・岩代地方では、イタコに類する女性シャーマンを「ミコサマ」と呼びます。

これも「巫女様」の意であると想像され、仏教色を感じさせながらも尼僧ではなく神に仕える女性巫覡として捉えられてきたことを思わせるでしょう。

文化遺産オンラインに掲載されている写真では神職のように御幣を振るっている様子が確認でき、より神式に近いスタイルでの巫術を執り行ったかのようでもあります。

東国を中心として活動した渡り巫女である梓巫女や、イタコの起源に修験者の妻が関わっているという説について先にも触れましたが、かつては修験者と巫女が一組で祈祷などを行うことがあり、巫女は神憑りの依代としての役を果たしたといわれます。

こうしたことから、ミコサマはイタコの源流にさかのぼる古い呼び名を受け継いでいるのかもしれません。

参考


おわりに

青森の恐山で有名な盲目の巫女・イタコを中心に、東北各地に伝承される同様のシャーマンについて概観してきました。

目に見えない存在と現世をつなぐ宗教的職能者であると同時に、死者との交信を行うという特殊な役割は現代風にいうとある種のカウンセリングや精神衛生を守る力でもあったといえるでしょう。

伝承者が少なく民俗としては存立の危機にあるといいますが、その文化を記録・保存する試みが続けられています。

現代においてもなお、こうしたシャーマンたちが存在し続けていることは、日本文化の懐の深さを感じさせる事象の一つといえるのではないでしょうか。


【連載】東北伝統の女性シャーマン「イタコ」の世界


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