安久津八幡神社の三重塔

【山形県高畠町】置賜地方唯一の三重塔があるのに歴史に謎が多い安久津八幡神社

山形県南東部、ワインで有名な高畠町には安久津八幡神社という神社が存在します。

置賜地方唯一の三重塔がある貴重な神社ですが、不運な事故が重なったことからその歴史の大半は謎に包まれています。今回はそんな高畠町の安久津八幡神社の紹介です。


国道113号線沿いに佇む神社

安久津八幡神社は、山形県高畠町から宮城県七ヶ宿町に抜ける国道113号線沿いにある神社です。

国道113号線沿いの安久津八幡神社の看板
国道113号線沿いの安久津八幡神社の看板

周辺には「まほろば古の里歴史公園」「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館」「道の駅たかはた」「高畠町郷土資料館」と、観光に最適なスポットが集積しています。


謎が多い安久津八幡神社の歴史

安久津八幡神社の創建は860年、慈覚大師 円仁(えんにん)が地元の豪族「安久津磐三郎」の協力を得て阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝えられています。

定かではありませんが、その後平安時代後期に八幡太郎の通称で知られる源義家(みなもとのよしいえ)が奥州平定の戦勝祈願に「鎌倉鶴岡八幡」を勧請したともいわれています。

安久津八幡神社の入り口
安久津八幡神社の入り口

度重なる火災被害によって記録が焼失

その後、置賜地方を支配した「長井氏」「伊達氏」の時代に最盛期を迎え、境内に別当神宮寺、学頭金蔵院、衆徒頭千殊院など計12坊の寺院も存在し、山形県米沢市にある成島八幡神社と対比し「西の成島八幡」「東の安久津八幡」とも呼ばれていました。

しかしその後、度重なる火災被害にて宝物や貴重な書物が焼失。本殿に至っては記録に残る限り7度も火災で焼失したそうです。

そして明治期に入ると神仏分離令によって本社内の寺院が廃絶。残った建造物も火災で焼失し現在に至ります。


境内の建築物

長い歴史の中で何度も火災被害に遭うという不運な安久津八幡神社ですが、拝殿、本殿、三重塔など、現在に残る建造物も複数存在します。

安久津八幡神社の案内図
安久津八幡神社の案内図

じじばば石

神社入口、鳥居の下に佇む柱上の二本の石。

言い伝えでは、昔ある老夫婦が「一昼夜で鳥居を立ててみせる」と意気込んだものの実現できず、途中であきらめて石を打ち捨てたもの…というお話があるようです。

安久津八幡神社のじじばば石
じじばば石

本当ならばこれだけの巨石を老夫婦がここに運んだだけでもずいぶんな功績だと思いますが、地元山形の識者の考察では飛鳥時代頃ののぼりを立てるための支柱ではないか?とも言われているそうです。

三重塔

安久津八幡神社にある三重塔。山形県置賜地方に存在する唯一の三重塔でもあります。

三重塔は本来、神社ではなく寺院伽藍(がらん)の一つなので、歴史の部分で前述した12坊の寺院群が確かに存在したということの証拠でもあります。

安久津八幡神社の三重塔
三重塔

記録によると建築されたのは1625年で、1790年に一度烈風被害で倒壊。1795年に再建され現在に至るそうです。

昭和30年に山形県の有形文化財に指定されています。

岩駒稲荷

三重塔の向かい、参道右側には「岩駒稲荷」が存在します。

安久津八幡神社の岩駒稲荷
岩駒稲荷

社殿の背後には「岩」の名前の由来となっている巨岩があり、巨岩の岩肌には石仏が彫刻されています。

舞楽殿

参道の中心に道を塞ぐように建っているのが舞楽殿です。室町時代末期の建築物といわれていて、安久津八幡神社の春の例大祭では田植舞が、秋の例大祭では安久津延年がそれぞれ舞われます。

安久津八幡神社の舞楽殿
舞楽殿

秋の例大祭で舞われる「安久津延年」という舞は比較的古式を留めているとして昭和63年に高畠町の無形民俗文化財に指定され、平成5年には国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定されました。

舞楽殿自体も昭和30年に山形県の有形文化財に指定されています。

安久津八幡神社の拝殿と本殿

歴史で前述した度重なる火災被害に遭った拝殿と本殿。

わずかに残る記録によると、1500年に伊達尚宗によって社殿が再建された記録を最古にしてその後7回焼失し、1536年には伊達稙宗、1591年には伊達政宗によって、焼失の度に再建されたそうです。

安久津八幡神社の拝殿
安久津八幡神社の拝殿

現在の本殿は1743年に焼失したものが、米沢藩上杉氏九代目重定の時代、1755年に再建されたものだそうです。

安久津八幡神社の本殿
安久津八幡神社の本殿

現本殿はもともと背後の八幡山の中腹にあったものを移築したもので、山には当時の参道や堀、旧本殿跡が今でも確認できます。

本殿は三間社流造、茅葺き、軒組は和様平三斗と呼ばれる作りで、屋根が半円形に張り出す特異な形をしています。拝殿・本殿ともに昭和30年に山形県の有形文化財に指定されています。

安久津古墳群

安久津八幡神社の脇に位置するこの古墳群は鳥居町支群と呼ばれ、周辺の羽山古墳加茂山洞窟古墳北目支群源福寺支群味噌根支群安久津氏群と合わせて総称:安久津古墳群と呼ばれます。

安久津古墳群
安久津古墳群

高畠町の名産でもある高畠石(凝灰岩)を利用し造られた横穴式石室を有する円墳で、7世紀後半(飛鳥時代)から8世紀中頃(奈良時代)にかけて造られたものと考えられています。合計39基が発見され、周辺に点在しています。

昭和59年に山形県の指定文化財(史跡)に登録されています。


まとめ

幾度も火災の被害に遭ってしまった安久津八幡神社。焼失してしまった数々の宝物や資料が残っていれば、その歴史も現代までしっかりと受け継がれていたのに…と考えると残念でなりませんね。

現在では、飛鳥時代から奈良時代にかけての古墳群に神社、三重塔と観光資源が集積していることから周辺が公園として整備され、道の駅も存在する、高畠町を訪れた際は是非立ち寄るべき観光スポットとなっています。

春の安久津八幡神社三重塔
春の安久津八幡神社三重塔

写真のように、まほろば古の里歴史公園の菜の花と満開の桜に映える三重塔を見ることができるので、是非「春」に訪れることをお勧めします。

安久津八幡神社<Information>

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