【山形県鶴岡市】刀を鍬に持ち替えて創り上げた鶴岡の絹織物産業

日本遺産『サムライゆかりのシルク~日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ~』

鶴岡名産の絹織物。サムライが刀を捨てて作った歴史ある地場産業 ©鶴岡シルク

山形県鶴岡市(つるおかし)には、月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)、湯殿山(ゆどのさん)という信仰の山『出羽三山』、『北前船(きたまえぶね)寄港地』それに『サムライゆかりのシルク』という3つの日本遺産が存在します。歴史的文化遺産も多く、湯殿山周辺の寺院や南岳寺には日本では珍しい全部で4体の即身仏(そくしんぶつ)も祀られています。

さらに、鶴岡市は「出羽三山」信仰から生まれた精進料理や庄内藩時代から培われた庄内独特の作物、郷土料理などが世界的に見ても希有で未来へ残さなくてはならない食文化として、日本で初めてユネスコ食文化創造都市に選ばれています。ほかにも温泉、フルーツ、景観と盛りだくさん。

ここでは、旧庄内藩の侍たちが、刀を鍬(くわ)に持ち替えて山林を開墾し、養蚕(ようさん)を始めた『サムライゆかりのシルク~日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ~』のストーリーをご紹介します。


江戸時代は庄内藩酒井氏が統治した鶴岡

鶴岡は、鎌倉時代以降江戸時代直前まで武藤氏(大宝寺氏[だいほうじ氏])の支配下にありました。武藤氏は1591年に滅亡し、一時上杉氏の武将直江兼続(なえかねつぐ)が大宝寺城に入場しますが、1601年には山形城主最上義光(もがみよしあき)の領地となりました。義光は居城の名称を鶴ヶ岡城と変更しますが、1622年には酒井忠勝(さかいただかつ)が領主となり庄内藩(しょうないはん)を立藩します。その後酒井氏は庄内藩主として明治維新まで鶴岡を統治したのです。

「鶴岡公園(鶴ヶ岡城址公園)」。堀や石垣が残される城址は公園として整備されている。中央に建つのは資料館として利用されている1915年築の「大宝館」 ©やまがたへの旅

明治維新で職を失った武士たちは刀を捨て鍬に持ち替え、山林を桑畑に開墾

元サムライが鍬を持って開墾。まだちょんまげ姿の人も見かける(明治初期頃) ©鶴岡市

明治維新で江戸幕府体制は終わりを遂げ、明治政府による中央集権型の政治体制に移行されました。地方の領有地を支配していた藩はその力を失い、多くの武士たちは職を失ってしまいます。一部の上級武士たちは各地に創設された郡や町村の役人などの“公務員”として採用されたのですが、下級武士たちのほとんどは失業者となってしまったのです。

明治政府もこのことには頭を悩まし、元武士たちに土地を開墾することを奨励します。それにより北海道の開拓をはじめ、福島県郡山市の安積原野の開墾(日本遺産『安積疏水[あさかそすい]』)や静岡県の茶畑、千葉県の印旛沼地域の開墾など、全国に多くの新規開墾地が誕生しました。


“鶴岡シルク”は「松ヶ岡開墾場」から始まった

松ヶ岡開墾場の一番蚕室(1875年築)。“鶴岡シルク”はここから始まった。現在は「松ヶ岡開墾記念館」として利用 ©山形県

庄内藩は、明治政府と江戸幕府を支持する藩が争った戊辰戦争(ぼしんせんそう/1868年~1869年)で、会津藩などともに明治政府軍と戦いました。結果は明治政府軍の勝利で、庄内藩の藩士たちは“賊軍”の汚名を着せられてしまいます。その汚名を晴らしたい、という気持ちが旧藩士たちを団結させ、山林の桑畑への開墾から始まる鶴岡の絹産業の原動力となったのです。

旧藩士たちが集結して山林を桑畑へ生まれ変わらせた ©鶴岡市

松ヶ岡の開墾は戊辰戦争終戦からわずか3年後、1872年(明治5年)に始まります。開墾には3,000人余りの旧藩士たちがはせ参じました。当時の鶴岡では、絹の原料となる蚕糸(さんし/生糸[きいと]・絹糸)を生み出す蚕(かいこ)のエサとなる桑の栽培はほとんど行われていません。そのためまず桑畑を作ることになったのです。

「松ヶ岡開墾場」は、旧庄内藩士たちの奉仕で開墾が始まりました。“汚名を晴らしたい”という強い信念が奉仕の力になったといわれています。全国各地で困窮した旧武士たちによる開墾が行われましたが、「松ヶ岡開墾場」のような例はほかにはありません。

最盛期には10棟の大蚕室で蚕糸(絹糸)が生産されていた ©鶴岡市

桑が順調に育つと、次は蚕を育てます。1877年(明治10年)には蚕室(さんしつ)が完成しました。その後採れた蚕糸(さんし/絹糸)は絹織物となり、鶴岡に今も受け継がれる本格的な織物産業が始まったのです。

5棟残る大蚕室 ©鶴岡市

「松ヶ岡開墾場」は、7,200坪ほど(23,950㎡)の敷地に、明治5年に当時の藤島村(鶴岡市藤島)から移築した本陣(管理事務所/元は初代目庄内藩主酒井忠勝の仮御殿[高畑御殿])/松ヶ岡本陣)、明治8年に東京から移築した蚕業稲荷神社(松ヶ岡蚕業稲荷神社)、明治8年から明治10年にかけて建てられた10棟の大蚕室のうち、3階建ての5棟(1~5番蚕室)などが建設当時の姿で残っています。各建物は保存公開されていて、一部蚕室は、「松ヶ岡開墾記念館」や「シルクミライ館」などの学習施設や体験施設などで利用されています。「松ヶ岡開墾場」は、本陣、蚕室5棟を含め国の史跡にしていされています。

松ヶ岡開墾場<Information>

  • 施設名称:松ヶ岡開墾場
  • 住所:山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡字松ヶ岡25,28,29
  • 電話番号:0235-62-3985
  • 開館時間:9:00~16:00
  • 休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
  • 入場無料(「松ヶ岡本陣」と「松ヶ岡開墾記念館」は有料)
    • ※「松ヶ岡本陣」は開館時間:10:00~15:00/開館期間:4月中旬~11月中旬/入館料:100円、中学生以下無料)
  • URL:松ヶ岡開墾場

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松ヶ岡開墾の記録や資料を展示する「松ヶ岡開墾記念館」

「松ヶ岡開墾記念館」は、明治初期に建てられた5棟ある蚕室の1番蚕室にあたり、松ヶ岡開墾の歴史や養蚕の道具、その後の鶴岡における絹織物生産の歩みを資料や映像で紹介しています。

松ヶ岡開墾記念館<Information>

  • 施設名称:松ヶ岡開墾記念館(松ヶ岡開墾場一番蚕室)
  • 電話番号:0235-62-3985
  • 開館時間:9:00~16:00
  • 休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
  • 入館料:一般 300円、中学生以下無料
  • URL:松ヶ岡開墾記念館

4番蚕室にオープンした新しい体験型施設「シルクミライ館」

シルクミライ館の展示 ©鶴岡市

「シルクミライ館」は4番蚕室を利用し、養蚕から絹織物ができるまでの工程を映像で紹介し、手織りや糸紡ぎの体験コーナー、絹製品ショップなどがあります。2022年4月にリニューアルオープンした新しい展示施設で、毎年6月、9月の期間限定で蚕の展示飼育を行っています(要問い合わせ)。

シルクミライ館<Information>

  • 施設名称:シルクミライ館(松ヶ岡開墾場四番蚕室)
  • 開館時間:9:00〜16:00
  • 休館日:水曜日、12月29日〜1月31日
  • 入館料:無料

養蚕するために改造された田麦俣の多層民家

松ヶ丘開墾場とは別に山奥の田麦俣でも養蚕が始まった。寒い田麦俣ならではの養蚕民家 ©やまがたへの旅

鶴岡周辺地域での養蚕は、明治時代以降山形市から月山や湯殿山のすそ野を抜け鶴岡方面へ通じていた山岳路“六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)”沿いの田麦俣(たむぎまた)地区でも盛んに行われるようになりました。

田麦俣は、江戸時代には湯殿山信仰の宿場として大いに賑わっていましたが、明治維新以降湯殿山参りも下火になり、すっかり寂れてしまったのです。そこで導入されたのが養蚕でした。蚕を育てるためには一日中温かい部屋が必要なため、囲炉裏の温かい空気が廻る自宅の2階を養蚕室にすることが多いのですが、極寒で雪深い田麦俣では、使用人の部屋や物置なども家の中に造ったため、1階は家主の住居、2階は使用人部屋、3階に養蚕室、さらにその上に物置と、4層3階建てという背の高い建物が建てられました。しかも2階、3階にも風通しや明かり取りの窓が必要なため、“兜造り(かぶとづくり)”という独特な茅葺き屋根の多層民家となったのです。


代表的な田麦俣の多層民家・国の重要文化財「旧渋谷家住宅」

田麦俣の兜造り民家旧渋谷家は、国の重要文化財。「致道館」内に移築 ©山形県

「旧渋谷家住宅」は、田麦俣にあった4層3階建ての民家で、「致道(ちどう)博物館」内に移築され、保存・公開されています。元となる民家は1822年に建築され、その後養蚕のため改造改築され、兜造りの茅葺き屋根の多層民家となったといわれています。その貴重で美しい姿は国の重要文化財に指定されています。

「致道博物館」は旧庄内藩主酒井家の御用屋敷を博物館として公開したもので、敷地内には移築された「旧渋谷家住宅」や「旧西田川郡役所」「旧鶴岡警察署庁舎」などの国の重要文化財や「旧庄内藩主御隠殿」、「酒井氏庭園」、重要有形民俗文化財の展示などがある、鶴岡市の歴史や文化を知る上で欠かせない施設です。「旧渋谷家住宅」、「旧西田川郡役所」、「旧庄内藩主御隠殿」は『サムライゆかりのシルク』の構成文化財です。

致道博物館<Information>

  • 施設名称:「旧渋谷家住宅」「旧西田川郡役場」「旧庄内藩主御隠殿」(「致道博物館」で常設展示)
  • 住所:山形県鶴岡市家中新町10-18 致道博物館内
  • 電話番号:0235-22-1199
  • 施設名称:致道博物館
  • 開館時間:
    • 3月~11月/9:00~17:00(入館は16:30まで)
    • 12月~2月/9:00~16:30(入館は16:00まで)
  • 休館日:12月28日~1月4日、水曜日(12月~2月)
  • 入館料:一般 800円、高大生 700円、小中学生 300円
  • URL:致道博物館

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鶴岡シルクの発展に貢献した豪商風間家の主屋

風間家は、庄内藩の御用商人として財をなした豪商ですが、明治維新以降は貸金業に転じて絹織物産業を支援し、その発展に貢献しました。

国の重要文化財に指定されている、石屋根が特長の「丙申堂」 ©鶴岡市

旧風間家住宅「丙申堂(へいしんどう)」は、1896年(明治29年)に風間家7代目当主幸右衛門によって建てられた住居兼店舗で、約4万個の石が置かれた石置屋根が特長。「丙申堂」と名付けられたこの建物は国の重要文化財(文化財名は「旧風間家住宅主屋」)に指定されています。また、敷地内にある風呂場や小座敷、前蔵、中蔵・奥蔵もあわせて国の重要文化財、旧風間家旧別邸「無量光庵釈迦堂」は国の登録有形文化財です。

旧風間家<Information>

  • 施設名称:旧風間家(旧風間家住宅「丙申堂(へいしんどう)」ほか)
  • 住所:山形県鶴岡市馬場町1-17
  • 電話番号:0235-22-0015
  • 開館期間:4月中旬~11月(12月~4月中旬までは冬季休館)
  • 開館時間:9:30~16:30(入館は16:00まで)
  • 休館日:7月13日、12月~4月上旬
  • 入館料:おとな 400円、小中学生 200円
  • URL:旧風間家住宅

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教えが開墾事業に多大な影響を与えた「庄内藩校 致道館」

「庄内藩校 致道館」の精神がサムライシルクへつながった ©やまがたへの旅

「庄内藩校 致道館(ちどうかん)」は、庄内藩主第7代藩主酒井忠徳(さかいただあり)が1805年に創設した藩校です。1873年(明治6年)に廃校となりましたが、自主性を重んじ、1人ひとりの長所を伸ばすという「徂徠学(そらいがく)」という教学の精神は開墾事業へ多大な影響を与えたといわれています。国の史跡です。『サムライゆかりのシルク』構成文化財。

致道館<Information>

  • 施設名称:庄内藩校 致道館
  • 住所:山形県鶴岡市馬場町11-45
  • 電話番号:0235-23-4672
  • 開館時間:9:00~16:30
  • 休館日:水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
  • 入館料:無料
  • URL:庄内藩校 致道館

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明治時代から鶴岡シルク一筋の「羽前絹練」

熟練した職人が手がける絹織物の精錬作業 ©鶴岡市

「羽前絹練(うぜんけんれん)株式会社」 は、1906年(明治39年)創業の絹織物の精練会社です。 織物精練とは織物工場で織られた製品を、最終的に商品として仕上げる作業のことで、鶴岡産の絹織物が高い評価を得ることに多大な貢献をしています。操業停止となった第2次大戦中を除いて、創業当時から続く釜を用いた絹織物の精練の作業が行われています。

羽前絹練<Information>

  • 施設名称:羽前絹練株式会社
  • 住所:山形県鶴岡市新海町21-1
  • 電話番号:0235-24-1300
  • URL:羽前絹練

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鶴岡シルクの通信販売

鶴岡シルクの製品は松ヶ岡開墾場のシルクミライ館内「kibiso SHOP]などで販売されていますが、インターネットの通販サイトでも購入できます。

鶴岡シルク<Information>

  • 販売元:鶴岡シルク株式会社
  • WEBサイト : kibiso

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