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会津地方にはいくつもの“三十三観音”が残っていて。人々の心のよりどころとなっていました。“三十三観音”とは、観音様が祀られている33か所のお寺を1から33まで番号を振って、順番にお参りしていくものです。お寺は“札所(ふだしょ)”といって、持参した願いを書いたお札を納め、記念に寺から御朱印をいただきます。三十三観音を巡るには数か月かかることもありますが、人々はお金をためてその旅行を楽しんでいました。


三十三観音巡りは、奈良時代に奈良長谷寺により定められたのが始まり
三十三観音巡りは、奈良時代初期に大和国の長谷寺(奈良県桜井市)を創建した徳道上人(とくどうしょうにん)が、33の姿に変身して人々を救済するという観音様を祀る33の寺を、霊場として定めたのが始まりといわれています。
三十三観音巡りは長い年月をかけて全国へと広がっていきます。江戸時代には今でも有名な西国三十三所巡礼(奈良県・大阪府・京都府・滋賀県・兵庫県・和歌山県/長谷寺は第8番/日本遺産)や板東三十三観音(神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県/浅草寺は第13番)など広域にわたるもの、秩父三十四所観音霊場(埼玉県)など狭い地域のものなど400か所以上にもなる霊場があったといわれています。
江戸時代会津藩主保科正之によって始められた「会津三十三観音」
『会津三十三観音』は、江戸時代の1643年初代会津藩主となった保科正之(ほしなまさゆき)によって定められたもので、領民が人気になっていた往復数ヶ月かかる西国三十三所巡礼に出かけなくて済むように、領地内で三十三観音巡りができるようにしたものです。それにより領民は長い旅行でお金を使うこともなく、藩としては大量の金が領外に流れることを防ぐことができたのです。
『会津三十三観音』は、はじめ城のある若松(会津若松)を中心に、北会津地方の三十三の観音堂を三十三観音札所と定めました。もともと観音信仰が盛んだった領民、特に農村部の女性の親睦と娯楽を兼ねた小旅行として大人気となりました。
会津にはエリアごとにいくつもの三十三観音が定められた
最初定められた「会津三十三観音」は北会津に集まっていたため、地域的に遠く、山間部が多い南会津地方から、地元にも三十三観音札所を作りたいとの機運が高まり、1698年に南会津地方の三十三観音を巡る「御蔵入(おくらいり)三十三観音札所」が定められました。
“御蔵入”とは、江戸時代初期に幕府直轄領だった田島(南会津町田島)を中心とした南会津地方の呼び名南山御蔵入領(みなみやまおくらいりりょう)からきています。
会津地方にはほかにも、「猪苗代三十三観音」「久保田三十三観音」「永田西国三十三観音」「西隆寺乙女三十三観音」など多くの三十三観音か定められ、領内のほとんどの地域が網羅され、人々は三十三観音巡礼を楽しんでいました。
これらの三十三観音は、周辺の仏閣や街道、大内宿などの宿場町を含めて日本遺産「会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観た会津の文化~」に認定されています。
南会津独自の三十三観音札所「御蔵入三十三観音」

「御蔵入三十三観音」は、南会津でもいちばん奥深い只見町にある『成法寺(じょうほうじ) 観音堂』を第1番札所として、右回りに会津坂下町、会津美里町、下郷町、南会津町の5町にまたがる33の観音堂が札所として定められています。第33番札所は『和泉田 泉光堂』 で、すぐにまた第1番札所『成法寺 観音堂』 へ戻ります。
「御蔵入三十三観音」の全行程は四十四里三十一町といわれ、約180kmにも及びます。33観音堂のうち第8番札所『東尾岐 観音堂(ひがしおまたかんのんどう)』は、災害等により現在建物はありません。また第20番札所第二十番札所『川島 岩戸堂(かわしま いわとどう)』は、断崖絶壁上にお堂があり登ることができません。この2か所以外の観音堂は参拝が可能です。
御朱印は第10番札所「小野観音堂」を除いて現在のところ残念ながらいただくことができないようです。
文化財も多く存在し、一部を除いて車でも回れる「御蔵入三十三観音」
「御蔵入三十三観音」には、国の重要文化財などに指定されている大変貴重な建物や仏像が多くあります。

第1番札所の『成法寺 観音堂』は、桃山時代初期に建てられたといわれる純唐様式建築(じゅんからよしきけんちく/鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝わった建築様式)で、中世の貴重な仏閣建築です。『成法寺 観音堂』は国の重要文化財に指定されています。成法寺の本尊、木造聖観音菩薩座像は福島県の重要文化財です。

第11番札所『中ノ沢観音堂』は、旭田寺(きょくでんじ)にある観音堂で、室町時代に再建されたものといわれています。大変屋根が美しい曲線を持つ純和風建築です。国の重要文化財。

ほかに、第10番札所『小野観音堂』の鰐口(わにぐち/福島県重要文化財)、絵馬(下郷町指定文化財)、第14番札所『薬師寺』木造阿弥陀如来座像、木造薬師如来立像(ともに福島県重要文化財)、第15番札所『徳昌寺』本堂、庫裡、金比羅堂(国の登録有形文化財)、第19番札所『大豆渡(おおまめわた) 南泉寺観音堂』楼門(福島県重要文化財)、第24番札所別当 善導寺『古町 栄耀堂(ふるまちえいようどう)』木造阿弥陀如来座像(福島県重要文化財)、第29番札所『鴇巣 松譽堂(とうのます まつよどう)』木造如来形座像(南会津町指定有形文化財)などが文化財に指定されています。


1kmほどに33体の観音石像が並ぶ、南会津もうひとつの三十三観音「永田西国三十三観音」

南会津にはもうひとつの三十三観音があります。「永田西国(ながたさいこく)三十三観音」で、南会津町永田地区にある鷺神社(さぎじんじゃ)の参道1kmほどにわたり33体の観音石像が並んでいます。1800年代初期に当地の資産家が地域の安寧を願って鷺神社境内に1体の観音石仏を安置したのが始まりで、その後同家2代にわたり合計33体の石像を彫り参道に安置し続けたのです。完成したのは1878年(明治11年)で、それ以来、参道を一周するだけで三十三観音を巡礼したのと同じ功徳を得られると多くの参拝者が訪れています。

「御蔵入三十三観音」「永田西国三十三観音」を含む『会津三十三観音』は日本遺産として登録されています。