【岩手県釜石市】日本初の海図「陸中國釜石港之圖」と釜石の発展(後編)
目次
富士製鐵釜石製鉄所発足
終戦後の1950年、日本製鐵は財閥解体(GHQの指令により、三井、三菱、住友、安田などの四大財閥を含む計15財閥が解体されたこと)の対象となり解体されました。その後、複数の後継会社が誕生し、その中の一社として富士製鐵釜石製鉄所が誕生しました。
富士製鐵釜石製鉄所は日本製鐵の鉄鋼部門を引き継いだ高炉メーカーであり、粗鋼(そこうー転炉や電気炉などで精錬され、圧延や鍛造などの加工を施す前の鋼)生産量は日本第2位、同じく日本製鉄の後継会社である八幡製鉄と並ぶ大手高炉メーカーになりました。
八幡製鐵株式会社との合併、新日本製鐵株式会社発足
その後、富士製鉄釜石製鉄所は1970年に設備の大型化への対応、需要鈍化の下での重複投資の解消、技術力強化、資本自由化や鉄鋼業の大型再編の中での国際競争力強化を目的に八幡製鐵株式会社と合併、新日本製鐵株式会社となりました。
新日本製鐵株式会社は年間粗鋼生産量でアメリカのUSスチールを抜き世界トップとなり、日本における最初の売上高1兆円企業となりました。
鉄と魚の街から鉄と魚とラグビーの街へ!
ラグビーの街としても名高い釜石市の「日本製鉄釜石シーウェイブス」の歴史は長く、始まりは1959年に設立された富士製鐵釜石製鐵所の実業団チームが起源になります。
1962年に全国社会人大会に初めて出場したものの、1回戦で大阪府警察に敗れるなど苦戦を強いられていましたが1970年の八幡製鐵株式会社と合併後大きく成長していきます。
会社合併により名称を「新日鉄釜石ラグビー部」に変更
1970年、新日本製鐵への社名変更に伴い、チーム名も「新日鉄釜石ラグビー部」に変更。同年度の全国社会人大会で初優勝を果たしここから釜石ラグビーの快進撃が始まります。
1978年度から1984年度にかけて全国社会人大会および日本選手権を7連覇という偉業を達成し、その強さから「北の鉄人」と呼ばれ、日本ラグビー史に一時代を築いたチームになりました。獲得した全国タイトルは26個(日本選手権:8回、全国社会人大会:9回、国体:9回)を数えます。また、7人制でもYC&AC JAPAN SEVENSで優勝を記録するなど、釜石を「ラグビーの町」と広く認識させました。
1992年の全国社会人大会を最後に同大会への出場は途絶えてしまい、その後は新日本製鐵のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から2001年を最後に新日鉄釜石ラグビー部としての歴史の幕を下ろします。
しかし同年、本拠地の釜石市に密着した民間のクラブチームとして生まれ変わり、チーム名称を「釜石シーウェイブスRFC」と改めて再スタートしました。
今現在はチームのメインスポンサーである日本製鉄(2019年に社名変更)の名を入れ、チーム名を「釜石シーウェイブスRFC」から「日本製鉄釜石シーウェイブス」に変更し躍進し続けています。
上記のことから釜石はラグビーの町とされ、東北地方では珍しい本格的なラグビースタジアムを完備しています。
2018年竣工、釜石鵜住居復興スタジアム
釜石鵜住居復興スタジアムは、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災で発生した津波で校舎が全壊・浸水被害を受けた「釜石市立鵜住居小学校」と「釜石市立釜石東中学校」の跡地に復興を支える主要施策のひとつとして竣工されました。
岩手県釜石市の釜石鵜住居運動公園にある球技専用スタジアムとされ、2019年にはラグビーワールドカップの会場の一つとしてフィジー対ウルグアイの試合がおこなわれています。
Information
- 名称 : 釜石鵜住居復興スタジアム
- 所在地 : 〒026-0301 岩手県釜石市鵜住居町第18地割5−1
- URL : https://kamaishi-stadium.jp/
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まとめ
岩手県釜石市は江戸時代から鉄の街として大いに栄え、海運・漁業の観点からも重要な土地でした。
第二次世界大戦時には甚大な被害を受けながらも幾度となく立ち上がってきた鋼のように強い街です。
その強さはラグビーというスポーツの場でも大いに発揮してきました。
今後もさらに発展することが大いに期待される釜石市。一度訪れる事おススメします。