【福島県南会津町】文金高島田に髪を結い、振り袖姿で歩く数十名の花嫁。豪華絢爛な花嫁行列で知られる「会津田島祇園祭」

『会津田島祇園祭』で知られる、会津田島はかつて日光から会津地方の中心地会津若松を結んだ下野街道(しもつけかいどう/会津西街道)の宿場町として賑わっていました。現在は田島町、舘岩村、伊南村、南郷村の4町村が平成18年に合併した南会津町となり、田島には町役場が置かれています。

田島という地名は、神話時代の話として、当地の田んぼの中の小島から神が出現し、それまで日ノ町と呼ばれていた町の名を“田島”に改めたと伝わっています。この神を人々は“田出宇賀大明神(たでうがだいみょうじん)”と呼び、田島の鎮守様「田出宇賀神社」の主祭神として祀りました。

鎌倉時代初頭から始まった「会津田島祇園祭」

田出宇賀神社
田島発祥の神様田出宇賀大明神を祀る「田出宇賀神社」 ©おいでよ南会津

『会津田島祇園祭』は、鎌倉時代に源頼朝から南会津を領地として与えられ長沼宗政(ながぬまむねまさ)が、疫病を追い払う“祇園信仰(ぎおんしんこう)”の儀式を「田出宇賀神社」で行ったことが始まりとされています。

京都八坂神社が中心に広まった祇園信仰

“祇園信仰”とは、平安時代の京都にたびたび流行した疫病を退散させるため神様に祈った信仰で、罪を犯し根の国(ねのくに/地底の国、遠い国)に追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀ることにより、疫病を一緒に持って行ってくれると信じるようになったのです。

信仰の中心は素戔嗚尊を主祭神として祀る“祇園社”と呼ばれた京都の八坂神社(やさかじんじゃ)で、神道と仏教が同じ社寺に同居していた神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代に、八坂神社(寺名:感神院/かんじんいん)に鎮座していた祇園精舎(ぎおんしょうじゃ/お釈迦様が通ったというインドの寺院)の守護神、牛頭天王(ごずてんのう)も素戔嗚尊と同じように疫病を鎮めてくれると信じられていました。

疫病を鎮める儀式を御霊会(ごりょうえ)といい、それが発展して『祇園祭』になったといわれています。素戔嗚尊とインドの神様牛頭天王は、いつのまにか同一神として信仰され、今でも「祇園祭」の祭神は牛頭天王なのです。

氏子たちによるお党屋が司る「会津田島祇園祭」

『会津田島祇園祭』が現在の形になったのは江戸時代で、京都八坂神社の祇園祭に準じた祭りとして行われるようになりました。

素戔嗚尊を祀る「熊野神社」。「会津田島祇園祭」は「「田出宇賀神社」と「熊野神社」の合同例大祭 ©おいでよ南会津

『会津田島祇園祭』は、「田出宇賀神社」と「田出宇賀神社」に同居する形になっている素戔嗚尊を主祭神とする「熊野神社」の合同例大祭として、毎年7月22日、23日、24日の3日間開催されます。

宮司からお祓いを受けるお党屋の人たち ©おいでよ南会津

神社の祭礼は一般的には宮司が中心となって執り行われますが、『田島祇園祭』を司るのは宮司ではなく、氏子たちです。氏子たちは“お党屋(おとうや)”と呼ばれるグループ(組)を作り、1年ごとの持ち回りで祭りを運営します。現在は9つの組があります。

振る舞い酒のどぶろくは神社で醸造

その年の当番になったお党屋は、祭り開催年の1月から準備に取りかかります。7月22日の祭り当日まで半年以上をかけてお祓いなどさまざまな儀式を行い、注連縄(しめなわ)や道具、神棚、御神橋(神様の通る橋)などの設営を行います。特別な御神酒(おみき)造りもお党屋の大切な仕事です。

田出宇賀神社は酒造免許を持つ珍しい神社。神社内で麹造りに精を出す ©おいでよ南会津

酒造りは現在国の免許がなくてはできないのですが、『会津田島祇園祭』の場合は明治時代から「田出宇賀神社」に酒造免許が与えられていて、田島の酒造会社「国権酒造」の指導、協力により神社内で造られます。造られる酒は、蒸した米に麹を加え発酵させただけの白く濁ったにごり酒、いわゆる“どぶろく”です。このお酒は祭り関係者だけでなく、見学者にも振る舞われるため、『会津田島祇園祭』は“どぶろく祭り”ともいわれています。

祭りで振る舞われるにごり酒、どぶろく ©おいでよ南会津

7月22日から3日間開催される「会津田島祇園祭」

第1日目(7月22日)

「子供歌舞伎」と大屋台町内引き回し

『会津田島祇園祭』は、7月22日午前10時にお党屋組の全員が袴(はかま)裃(かみしも)という江戸時代の正装で「田出宇賀神社/熊野神社」に参拝してスタートします。

舞台にもなる大屋台が4台。子ども歌舞伎が上演される ©おいでよ南会津

午後1時からは「子供歌舞伎通し上演」が“大屋台”で始まります。大屋台は歌舞伎が上演できるほど大きな舞台を備えた屋台(山車/だし)で、4台あり22日、23日の2日間にわたって午後と夜1台の大屋台につき4回、すべて違った演目が上演されます。

歌舞伎に出演するのはもちろん地元の子どもたちで、日頃から練習を重ね祭り本番へ準備万端で臨みます。

子どもたちを乗せて町内を引き回される大屋台 ©ふくしまの旅

歌舞伎が上演されていない時間の大屋台は、子どもたちを乗せて町内を引き回します(屋台運行)。

第2日(7月23日)

2日目のハイライトは日本一の花嫁行列

牛頭天王(素戔嗚尊)に7つの捧げ物を奉納するための七行器行列 ©おいでよ南会津

7月23日は午前7時50分から『会津田島祇園祭』で最も有名な“七行器(ななほかい)行列”が行われます。“七行器行列”は、疫病退散や五穀豊穣を祈る人々が牛頭天王(素戔嗚尊)に7つの捧げ物を奉納するための行列で、お党屋組の親族郎党100名あまりが神社に向かって行進します。

華やかな花嫁行列。白い角隠しのない女性は既婚者 ©ふくしまの旅 

捧げ物を入れた行器(器)は、正装した婦人(未婚者)が持つことになっていて、七行器行列の後には江戸時代の花嫁姿、髪を白い布“角隠し(つのかくし)”で覆われた文金高島田(ぶんきんたかしまだ)に結い、振り袖姿をした30人ほどの女性が列に加わります。行列でひときわ華やかな姿の若い女性の行列は“日本一の花嫁行列”として多くの見物客が訪れます。

花嫁行列に参加できるのは原則として当番のお党屋組の関係者ですが、人数が足りないときは県外を含め一般から募集されます。募集は6月初旬から始まりますが、募集するかどうかはその年のお党屋に確認する必要があります。当番のお党屋は南会津町観光物産協会で確認できます。カツラ、着物・帯などはレンタルし、町内の美容室で化粧、着付けをしてもらいます。レンタル代、化粧着付け代は自前で6万5000円ほどかかるのですが、安心してください。南会津町から上限6万円の補助が出ます(南会津町会津田島祇園祭七行器行列花嫁補助金交付要綱 平成18年3月20日 告示第32号 ※条例が変更になる場合がありますので、南会津町に確認してください)。

神様が神輿に乗って疫病退散をお祓い

女帯を前で結び頭には板冠、右手に軍配など奇抜な格好で神輿が来ることを触れ回る ©ふくしまの旅

7月23日の午前10時からは、七行器によって供物(くもつ)が奉納された神様が、そのお礼に神輿(みこし)に乗って町内を巡行し、疫病をお祓いし、五穀豊穣を祈ります(神輿渡御/みこしとぎょ)。神輿は「田出宇賀神社」と「熊野神社」の2台あり、さまざまな役割の衣裳を着た数十人の行列が神輿を先導します。特に女性が着る衣装は華やかです。お旅所(神輿の休憩所)では、六方(ろっぽう/歌舞伎で演じられる誇張した歩き方)を踏みながら「御神輿の御立ち、お支度なされましょう」と大声で叫びます。この「神輿渡御」も『会津田島祇園祭』ならではの見どころです。

神輿を先導する行列。特に女の子たちの衣裳は華やか ©おいでよ南会津

3日目(7月24日)

お神楽が奉納され祭りの幕が下りる

伝統の神楽が演じられ「会津田島祇園祭」の幕が下りる ©おいでよ南会津

7月24日は午後1時から「田出宇賀神社」、「熊野神社」共通の神楽殿で伝統の「太々御神楽(だだいおかぐら)」が演じられ祭りの幕が下ります。

『会津田島祇園祭』は毎年7月22日から3日間にわたる祭りで、日本三大祇園祭のひとつに数えられていますが、2020年から2022年までは新型コロナ流行の影響で、七行器行列など一般公開行事が中止になってしまいました。2023年以降に期待です。

『会津田島祇園祭』における1月から始まり、祭りが終わるまで続くお党屋の役割が「田島祇園祭“お党屋行事”」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

INFORMATION

会津田島祇園祭

  • 開催期間:7月22日~7月24日
  • 開催場所:福島県南会津町田島町内
  • 問い合わせ先:南会津町観光協会
  • 電話番号::0241-62-3000
  • URL:南会津町観光協会

南会津町会津田島祇園祭七行器行列花嫁補助金交付要綱

おいでよ!南会津(福島県南会津地方振興局)

 

関連記事一覧