【東北地方】大阪から16時間かけて青森へ! 日本最長の昼行特急列車「白鳥」

かつて大阪駅から青森駅までの日本海沿岸を1000km以上も走る、国鉄・JRの「白鳥」という特急列車がありました。
1961年に登場した当時の大阪駅から青森駅までの所要時間は15時間45分にも及びました。
しかし白鳥は長時間にわたって運行される列車でありながら、寝台特急ではありません。
座席に座って乗車するタイプの昼行特急列車でした。
在来線(新幹線以外の路線)の昼行特急列車としては日本一の長距離を走った白鳥を今回は紹介します。


「白鳥」の登場

「特急」という言葉は、鉄道を日常的に利用する人の間では定着している言葉ですが、本来は「特別急行列車」の省略形です。
かつての国鉄(JRの前身)においては、特急とは本当に特別な列車で、限られた路線でのみ運行されていました。

キハ81系気動車
著作者:Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76865625による

その状況が大きく変わることになったのは1958年です。
東京都の上野駅から青森県の青森駅の間に、東北地方初の特急列車である「はつかり」の運行が開始されました。
はつかりは、当初は蒸気機関車が客車をけん引するスタイルで運行されましたが、2年後の1960年からは、軽油を燃料にして走るキハ81系という気動車での運行に改められました。

特急はつかりについては過去の記事で解説しておりますので、ぜひご覧ください。

白鳥
キハ82系気動車による「白鳥」

キハ81系がデビューした翌年の1961年10月1日に、キハ81系の量産型といえるキハ82系がデビューしました。
キハ82系は、それまで特急列車が運行されていなかった多くの路線で、初めての特急列車として運行されることになりました
その内の1つが「白鳥」だったのです。
なお、白鳥という名前の由来は、新潟県の瓢湖に飛来する白鳥とされています。

※白鳥の運行初日に新潟県の能生(のう)駅で起きた「能生騒動」については、東北地方のできごとではないので割愛いたします。


「日本海白鳥」と「信越白鳥」

登場当初の白鳥は、大阪駅~青森駅間を日本海沿岸(以後「日本海縦貫線」と記します)経由で結ぶ6両編成と、大阪駅~上野駅間を結ぶ6両編成が、大阪駅から新潟県の直江津駅まで連結して走る列車でした。
青森発着の列車と上野発着の列車を区別するために、国鉄内部ではそれぞれを「日本海白鳥」「信越白鳥」と呼んでいたようです。

そして登場当時の日本海白鳥の走行距離は1052.9kmに及びました。

  • 在来線の列車である(新幹線ではない)
  • 昼行列車である(夜行列車ではない)
  • (旅客が乗る)特急列車である

以上全ての条件を満たす列車(在来線の昼行特急列車)の中に、走行距離で白鳥を上回る列車は日本の鉄道史上存在しません

筆者の手元にある1964年10月の時刻表によると、白鳥は8時15分に大阪駅を出発すると、京都、米原、敦賀、福井、大聖寺(だいしょうじ)、金沢、高岡、富山に停車し、15時06分に直江津駅に到着。
ここで青森行きと上野行きの編成が切り離されて、青森行きの編成は、長岡、新津、鶴岡、酒田、秋田、東能代、大館、弘前に停車し、終点の青森駅には23時47分の到着でした(上野行きの編成は長野、軽井沢、横川、高崎に停車して、上野駅に20時20分到着)。
大阪、京都、滋賀、福井、石川、富山、新潟、山形、秋田、青森の2府8県を経由して、15時間32分もの長旅です。
しかし長旅とはいうものの、同じ区間を走る夜行急行「日本海」は22時間もかかっていましたから、当時としては画期的なまでのスピードアップでした。

青森駅からは更に、0時15分発の青函連絡船に乗り換えて、北海道の函館駅へ渡ることもできました。
近畿・北陸・東北地方を結ぶ列車であると共に、北海道へのアクセスをも担っていた列車だったのです。
なお、1964年10月の時点で既に、日本海白鳥と信越白鳥の双方が7両ずつの14両編成に増結されていました。

大阪行きの列車は、青函連絡船の到着を待って5時20分に青森駅を出発し、21時07分に大阪駅に到着、所要時間15時間47分というダイヤになっていました。
石川県では大聖寺駅には停車せず、代わりに動橋(いぶりはし)駅に停車していました。


大人気となった「白鳥」

日本海縦貫線で初めての特急列車であった白鳥は大人気となったようで、特に北海道へのアクセスも担う日本海白鳥の混雑は激化していきました。
そこで1965年10月のダイヤ改正では、信越白鳥が特急「はくたか」として白鳥から分離され、白鳥は大阪駅~青森駅間のみを運行されることになりました。
同時に従来は経由していなかった新潟駅を経由して停車するように変更されました。

単独での運行となったことから列車の編成が長くなりました。
1967年10月の時刻表によると、この時点では14両編成で、その内の4両は新潟駅で切り離され、新潟駅~青森駅間は10両編成での運転でした。
また、1972年3月の時刻表によると、この時点では13両編成に減らされていた代わりに、全車両が青森駅まで行くようになっていました。


電車特急になった「白鳥」

白鳥
485系電車に置き換えられた「白鳥」(1978年)

著作者:Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
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日本海縦貫線の電化が完了して電車を使用できるようになったので、1972年10月のダイヤ改正で、白鳥に使用される車両はキハ82系から、13両編成の485系電車に変更されました。
485系電車は、国鉄時代の代表的な特急形電車です。
電車化したことによるスピードアップの効果は大変大きく、大阪駅~青森駅間の所要時間は13時間40分となりました。
1975年3月には、滋賀県内の経路が、琵琶湖の西側に開業した湖西線に改められることで経路が短縮されました。

1982年11月には福井駅~青森駅間にも1日1往復の白鳥が設定されました。
ただし、大阪駅発着の白鳥と異なり、食堂車は連結されていませんでした。
そして、1984年11月には大阪駅発着の白鳥からも、食堂車はなくなりました。
13時間も走り続ける列車であるにもかかわらずです。

更に、福井駅発着の白鳥は、登場からわずか2年4か月後の1985年3月のダイヤ改正で廃止されてしまいます。
大阪駅発着の列車も1両減車されてこの時点で10両編成に、翌1986年11月には更に1両減らされ9両編成になりました。
この頃には既に、白鳥の栄華に陰りが見えてきたと言ってよいでしょう。


21世紀初頭に「白鳥」廃止

白鳥
JR発足後の「白鳥」

白鳥が登場した1961年には、航空運賃が非常に高く、空の旅は一般的なものではありませんでした。
しかし1980年代はもはやそのような時代ではありません。
近畿地方と東北地方あるいは北海道との間の移動に、人々は飛行機を使うようになっていきました

1987年に国鉄がJR各社へ分割民営化され、白鳥はJR西日本とJR東日本のエリアにまたがって走る列車になりました。
民営化後は多少のスピードアップが行われたり、車内の設備が改善されたりしたものの、時代の流れに逆らうことはできず、大阪駅から青森駅までの全区間にわたって白鳥を利用する人は減っていったのです。

全区間を通して利用する人がいなくなってしまったのならば、特急列車の運転区間を途中で分割してしまっても大きな問題はありません。
また、あまりにも長距離を走る列車は、途中でトラブルが起きて遅延する可能性が高いというデメリットもあります。
大阪駅~青森駅間を走っていた白鳥は、大阪駅~金沢駅間の特急「雷鳥」、金沢駅~新潟駅間の特急「北越」、新潟駅~青森駅間の特急「いなほ」に後を託す形で、廃止されることになりました。
2001年3月2日が最終運行となり、40年近くにわたる使命を終える列車に、鉄道ファンを中心に多くの人が別れを惜しみました。

廃止直前の「白鳥」(2001年1月)
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繰り返しになりますが、白鳥の運行距離は在来線の昼行特急列車としては日本最長でした。
そして今後この記録が破られることもおそらくないでしょう
参考までに、現在(2024年)の在来線の昼行特急列車の中で運行距離が最長の列車は、JR九州が運行している「にちりんシーガイア」です。
その経路は博多駅から小倉駅・大分駅・宮崎駅を経由して宮崎空港駅までの413.1kmです。
1000km以上の線路を走破していた白鳥の半分にさえも及ばないのです。


青函トンネルを越えた2代目「白鳥」

白鳥が廃止された翌年の2002年12月に、八戸駅・青森駅から、青函トンネルをくぐって函館駅に至る特急列車に対して、「白鳥」および「スーパー白鳥」の名がつけられました。
名前こそ大阪駅~青森駅間の白鳥と同じですが、運転区間が(青森駅に停車すること以外は)全く異なる列車なので、今回は詳しい説明は割愛します。
この2代目白鳥とでも呼ぶべき列車も、2016年3月の北海道新幹線開業に伴い廃止されました。


おわりに

現在、大阪駅から青森駅まで移動する際に飛行機を使うと、フライトの時間は1時間半ほどで、伊丹空港までの移動時間、青森空港からの移動時間などを含めても、4時間ほどで到着できてしまいます。
鉄道を使う場合でも、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継げば、やはり6時間半ほどで到着できます。
日本海縦貫線を13時間かけて走るような列車に、もはや需要などないことは理解できます。
しかし、列車内で過ごす半日もの時間には、現在の鉄道の旅にはないような一種のロマンもあったのです。

日本海縦貫線の名列車として君臨して、東北地方にも大きな影響を与えてきた白鳥のことを、ぜひとも記憶にとどめてください。


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