【東北】東北地方初の特急列車「はつかり」の軌跡

首都圏で暮らしている人が公共交通機関を使って東北地方を訪れるときは、東北新幹線などの新幹線を利用することが多いでしょう。しかし東北新幹線の開業は今から40年ほど前の1982年です。

それ以前の時代には、人々は何に乗って東北地方へ向かっていたのでしょうか?

その選択肢の1つが、東北地方を初めて走った特急列車の「はつかり」です。


東北地方初の特急列車の登場

戦前および戦後間もない時代において、国鉄(現在のJRの前身)の特急列車は「特別急行列車」という正式名称が表す通り、本当に特別な列車で、長距離移動の主役は急行列車でした。

特急列車が走っていたのは東京から大阪・博多の方面だけで、列車の本数も極めて限られていたのです。

しかし戦後の復興が進む中、首都圏と東北地方や北海道との間の移動の需要を満たすべく、1958年10月に東北地方を走る列車としては初の特急列車である「はつかり」が登場することとなりました。

「はつかり」が運行されたのは主に東京都の上野駅から青森県の青森駅までです。

青森駅からは青函連絡船に乗り換えて、北海道の函館駅へ渡ることもできました。

函館駅に到着後は、更に急行「大雪」に乗り換えることができて、札幌方面へ向かう旅客を運んでいました。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

なお、青函連絡船は青森県と北海道を結ぶ海底トンネルであり、青函トンネルが開通した際に運航を終了していますが、実際に使用されていた連絡船が青森駅から徒歩5分の場所で「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」として保存されています。

中にも入ることができ(有料)、甲板を歩いたり、操舵室で実際に舵や通信機器に触れたり、船内に搭載されている鉄道車両を観覧したりすることができます。

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸<Information>

  • 名称 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
  • 所在地 青森県青森市柳川一丁目112-15地先
  • お問い合わせ番号 017-735-8150
  • 営業時間 9:00~19:00、入館受付は18:00まで(4月1日~10月31日)
         9:00~17:00、入館受付は16:30まで(11月1日~3月31日)
  • 定休日 12月31日、1月1日、3月第2週の月~金曜日
  • URL 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

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最初はSL列車だった「はつかり」

SL列車の一例

1958年の登場当初の「はつかり」は、蒸気機関車が乗客の乗る客車をけん引する、古典的なスタイルの特急列車でした。

当時の東北本線には「電車」の走行に必要な、電力を供給する設備が完備されていなかったからです。

蒸気機関車がけん引する列車(SL列車)は、急な登り坂で速度が落ちやすいことから、宮城県以南の列車の走行経路には、東北本線ではなく急な坂の少ない常磐線が選ばれました。

栃木県の宇都宮駅や福島県の福島駅は経由せず、代わりに茨城県の水戸駅や福島県の平(現在のいわき)駅に停車していったのです。

上野駅から青森駅まで当初は12時間もかかりましたが、それでも東北地方初の特急列車は好評で、なかなか席が取れない列車となりました。


事故ばっかりと呼ばれた「はつかり」

キハ80系による「はつかり」:Wikipedia
著作者:vvvf1025 , CC 表示-継承 3.0
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30760192による

登場するなり大人気となった「はつかり」でしたが、蒸気機関車がけん引する特急列車は、既に電車も使用されていた東海道本線の特急列車と比べると大きく見劣りしていました。

そこで、1960年12月からは軽油を燃料として走る「ディーゼルカー」が新たに使われることになりました。

国鉄初の特急形ディーゼルカーであるキハ80系によって運転される「はつかり」は、登場当初こそ様々な初期故障に悩まされ、トラブルの中には出火するというものもありました。

「はつかりがっかり」「はつかり事故ばっかり」などと揶揄(やゆ)されてしまいましたが、初期故障を克服してからは引き続き大人気の列車となりました。

ディーゼルカーが投入されたことで、上野~青森間の所要時間は10時間25分にまで短縮されています。


電車になった「はつかり」

583系電車

その後、東北本線の全線の電化が完了して電車が走れるようになったので、「はつかり」は車両が電車に変更されました

また、1968年10月のダイヤ改正で、上野駅から青森駅までの全区間で東北本線を経由するように運行ルートが改められました。

東北本線経由になったことで、共に県庁所在地の駅である宇都宮駅と福島駅に停車できるようになりました。

また、この時点で「はつかり」に使用された電車は583系電車といって、夜は座席を寝台に転換して寝台特急として使うことができる、昼夜兼行で走る電車でした。

電車を投入したことによるスピードアップの効果は大きく、上野~青森間の所要時間は8時間30分となりました。

485系電車

1973年からは、国鉄の特急形電車の代表とも言える485系電車も投入されています。

福音館書店から出版されている山本忠敬:作の「しゅっぱつしんこう!」という絵本には、485系電車の特急列車「はつかり」が登場します。

それほど当時の東北地方において「はつかり」はポピュラーな存在だったのです。


東北新幹線の開業・延伸と「はつかり」の終焉

1982年6月に大宮~盛岡間で暫定開業した東北新幹線は、同年11月に本格開業を迎えます。

これに伴って「はつかり」の上野~盛岡間での運転は取りやめられて「はつかり」は盛岡~青森間を結ぶ特急列車に転身します。

1988年3月の青函トンネル開通によるダイヤ改正では「はつかり」の一部の列車の運転区間が盛岡~函館間に延長され、北海道にまで足をのばすようになりました。

1996年には485系電車のリニューアルが行われて車内の設備などが改善されたほか、2000年には新型車両のE751系電車が、盛岡~青森間の特急「スーパーはつかり」として運転を開始しました。

E751系電車(写真は特急「つがる」)

しかしこれが「はつかり」の最後の輝きでした。

2002年12月には、東北新幹線が青森県の八戸駅まで延伸開業します。

これに伴い東北地方の在来線特急列車が再編されて「はつかり」および「スーパーはつかり」は廃止されることになったのです。

「はつかり」の列車愛称はデビューから44年で消滅しました。

残念ながらその後も、新幹線・在来線を問わず、定期的に運転される列車の愛称としては復活していません。


まとめ

東北新幹線は更に延伸されて、現在は「はやぶさ」が東京~新青森間を3時間20分ほどで結んでいます。

上野から青森まで8時間以上かかった「はつかり」の所要時間とは比べるまでもありません。

「はつかり」は首都圏と東北地方を結ぶ最速の列車として登場し、多くの人たちを運び、そして東北新幹線の開業・延伸に伴って消えていきました。

今ではその姿を見ることはかないませんが、間違いなく東北の鉄道の歴史に大きな足跡を残した列車なのです。


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