伝説の臨時急行「エコーもりおか・あおもり」【岩手県・青森県】

東北の大動脈と呼ばれる東北本線で、昭和後期に「エコーもりおか」と「エコーあおもり」という臨時急行列車が運行されたことがありました。
おそらく、知名度はかなり低い列車ですが、特急列車にひけをとらない俊足ぶりと、運行されていた期間のあまりの短さの両面から「伝説の臨時急行列車」と呼ばれています。


「エコーもりおか」とは?

「エコーもりおか」に相当する列車が誕生したのは、JRが影も形も存在しない国鉄時代で、東北新幹線もまだなかった1971年春期のことです。
東京都の東京駅・上野駅と岩手県の盛岡駅を東北本線経由で結んでいた特急「やまびこ」を、多客期に増発するために設定されました。
ただし「やまびこ」に使用されていた485系電車をねん出できなかったため「やまびこ」としての増発はできませんでした。
そこで、455系という急行列車用の電車を使用して、臨時急行「もりおか」として運行されたのです。

455系電車

翌年の1972年3月のダイヤ改正では、上野駅と盛岡駅を常磐線経由で結ぶ、急行「もりおか」が定期列車(毎日運行される列車)として設定されました。
そこで臨時急行の「もりおか」は「エコーもりおか」に改称されたのです。

「エコー」の由来に関する明確な説明を筆者は見つけられなかったのですが、停車駅が少なく特急列車と遜色のない速さだったので、「やまびこ」のように1日で盛岡から上野へ行って帰ってこられる、という意味で命名されたのだと思われます。
なお、行って帰ってこられるというのは比喩ではなく、実際に、朝に盛岡駅を出発して上野駅に行き、夜に盛岡駅に帰ってくるというダイヤ設定になっていました。

1972年3月のダイヤ改正時の時刻表によると「エコーもりおか」は、朝7時25分に盛岡駅を出発して、花巻、北上、水沢、一ノ関、宮城県の小牛田(こごた)の5駅に停車し、仙台駅には9時34分に到着。
9時36分に仙台駅を出発すると、福島県の福島、郡山、栃木県の黒磯、宇都宮、埼玉県の大宮の5駅に停車し、上野駅には13時58分到着、盛岡駅から上野駅までの所要時間は6時間33分でした。
「エコーやまびこ」が停車する駅の中で、同じ区間を走る特急「やまびこ1号」が停車しない駅は、黒磯と大宮だけでしたから、特急列車並みに停車駅が絞られていることがわかります。
盛岡から上野までの所要時間で見ても、特急「やまびこ」の所要時間は6時間4分で、急行「いわて」は7時間10分台だったので、臨時急行「エコーもりおか」は、本当に急行列車とは思えない俊足ぶりでした。

そして下り列車は、上野駅を15時5分に出発すると、大宮駅は通過して、宇都宮、黒磯、郡山、福島の4駅に停車し、仙台駅には19時15分に到着。
19時17分に仙台駅を出発すると、小牛田、一ノ関、水沢、北上、花巻の5駅に停車して、盛岡駅には21時37分に到着というダイヤでした。

なお、この時期(1972年春期)の「エコーもりおか」の運行日は、3月18日から20日までの3日間と、4月28日から5月10日までの大型連休期間だったとのことです。


「エコーあおもり」とは?

1971年秋期と冬期には臨時急行「エコーあおもり」という類似の列車も、仙台駅から青森県の青森駅までの区間で運行されました。

なお、途中の盛岡駅から青森駅までの区間は、現在盛岡駅から青森県の目時駅までがIGRいわて銀河鉄道という会社の路線になり、目時駅から青森駅までが青い森鉄道という会社の路線となっていますが、当時はこの区間も国鉄の東北本線でした。
東北本線の歴史については、こちらの記事をご参照ください。

「エコーあおもり」も、やはり1日の内に1往復する形で運行されていました。
1971年秋期の時刻表によると、仙台駅を9時ちょうどに出発
(福島県の白河駅から、仙台駅まで走ってきた急行「あぶくま」に使用された455系電車を、引き続き延長運転する形で運行されていたようです)。
塩釜、岩手県に入って一ノ関、水沢、北上、花巻の5駅に停車して、盛岡駅には11時24分に到着。
11時26分に盛岡駅を出発すると、北福岡(現:二戸)、青森県に入って八戸、三沢、野辺地、浅虫(現:浅虫温泉)の5駅に停車し、青森駅には14時ちょうどに到着。
仙台~盛岡間の所要時間は2時間24分、盛岡~青森間は2時間34分でした。
東北本線を走破する特急「はつかり」の所要時間は、前者が2時間程度、後者が2時間20分程度だったので、やはり特急に匹敵する俊足ぶりです。

上り列車は14時30分に青森駅を出発し、停車駅は下り列車と同様で、盛岡駅には17時1分に到着。
盛岡駅までの所要時間は、下り列車よりも短い2時間31分でした。
203.9kmを2時間31分ということは表定速度(途中駅の停車時間を含めた平均速度)は、在来線の列車としてはかなりの速さといえる時速81kmです。
17時3分に盛岡駅を出発すると、やはり下り列車と同様の駅に停車し、仙台駅には19時27分に到着するダイヤとなっていました。

なお、455系電車が盛岡駅以北で運行された初めてのケースであったことも、車両の歴史的観点では特筆されます。


そして伝説の列車へ…

「エコーもりおか」や「エコーあおもり」の、特急列車と張り合えるほどの停車駅の少なさや表定速度は、両列車が語り草となる理由の1つです。

しかし「エコーあおもり」は1971年秋期・冬期に運行されたものの、1972年3月に、仙台駅~青森駅間の急行「くりこま」に455系電車が投入されたといった要因で、以後は運行されなくなります。
「エコーあおもり」はわずか半年程度の間の、それも限られた日数の運行だったことになります。

「エコーもりおか」の方も、1972年夏期までは運行されたものの、秋には485系電車が大量に増備されて「やまびこ」を増発できるようになった(本来国鉄がしたかったことができるようになった)ため「エコーもりおか」も設定が取り止められました。
こちらもわずか1年余りの運行で、しかも「エコーもりおか」の名前で運行されたのは1972年の春期と夏期のみだったことになります。

485系電車 出典:Wikipedia
著作者:Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=88122151による

いずれも発展的解消を遂げたわけですが、それにしてもこれほど運行期間が短かった列車は、臨時列車といえどもなかなかありません。
急行列車らしからぬ停車駅の少なさと、あまりの運行期間の短さが「エコーもりおか」と「エコーあおもり」を、伝説の臨時急行とまで呼ばれる存在にしたのです。


令和時代にまさかの復活

昭和後期に運行された伝説の臨時急行列車にちなんだ列車が、なんと令和時代に運行されることになりました。
東北本線の目時駅~青森駅間をJR東日本から継承した青い森鉄道が、青森駅から盛岡駅までを往復する「エコー703(ナナマルサン)」という名前のツアー用の臨時急行列車を、2025年3月9日と11日に運行したのです。

急行「エコー703」は、青森駅を10時15分に出発し、浅虫温泉、野辺地、三沢、八戸の4駅に停車し、終点のIGRいわて銀河鉄道の盛岡駅に12時43分に到着。
そして盛岡駅を14時35分に出発すると、行きと同様に4つの駅に停車して青森駅には17時4分に到着。
37もの駅を通過し、所要時間は行きの列車で2時間28分。
名前からも想像がつく通り、まさに「エコーあおもり」をイメージした列車で、わずか3分とはいえ「エコーあおもり」よりも短い所要時間でした。
あの伝説の臨時急行列車を、青い森鉄道はよくぞ引っ張り出してきたものだと感心してしまいます。

青い森鉄道の青い森703系電車

また、名前の示す通り、車両は青い森鉄道所属の青い森703系という電車が使用されました。
青い森703系がいわて銀河鉄道線に乗り入れて運行されたのは、この列車が初めてでした。
この点にも、国鉄の455系電車にとって初めての青森駅に乗り入れる列車が「エコーあおもり」だったこととの類似性が見受けられます。
「エコー703」もまた、将来伝説の臨時列車として語り草になるということが、もしかしたらあるかもしれないですね。


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