
ディーゼル車なのに架線の下だけを走った特急・急行列車(東北本線編)
日本では、線路の上を走る乗り物は「電車」と呼ばれがちですが、軽油を燃料にして走る「気動車(ディーゼル車)」も、地方のローカル線を中心に多数運行されています。
気動車は電車が走るための設備(上空に張られる架線など)がない、電化されていない路線でも走れますが、もちろん電化されている路線でも問題なく走れます。
非電化路線と電化路線を直通運転している気動車列車は、全国各地に存在します。
中には、せっかく始発から終点までの全区間が電化されているのに、電車ではなく気動車で運行される列車もあります。
そればかりか、JRの前身である国鉄がまだ健在だった時代には、長距離を走る特急列車・急行列車の中にも、運行される全区間が電化されているのに気動車で運行されていた列車がいくつもあったのです。
今回は、東北本線を走っていた特急・急行・準急列車の中から、全区間が電化されているのに気動車で運行された列車を紹介します。
なお、臨時列車に気動車が投入されたというケースは多数存在し、調べ尽くすことが困難なので、定期列車のみの紹介です。
また、行き先・始発駅が複数ある列車の内、一部の編成だけが全区間架線下を走るというケースは対象外とします
(例:上野発、青森・久慈・盛行きの急行「八甲田」は、青森行きの編成のみ全区間で架線下を走るけれども対象外)。
東北本線から別の電化路線(常磐線・奥羽本線)へ直通していた列車については、後日別の記事で紹介します。

東北本線

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4303825による
東北本線は、東京都の東京駅から青森県の青森駅までを、大宮(埼玉県)・宇都宮・福島・仙台・盛岡といった駅を経由して結んでいた路線です。
現在は盛岡駅から青森駅までの区間が、JRとは別の会社である「IGRいわて銀河鉄道」と「青い森鉄道」に移管されていますが、今回は国鉄時代の話題なので、盛岡駅から青森駅までの区間も東北本線として扱います。
東北本線は、東京駅から黒磯駅(栃木県)までが1959年5月までに電化されました。
同年7月には黒磯駅から白河駅(福島県)までが電化され、電化区間が東北地方にまで延びました。
以後、福島駅までの電化は1960年3月、仙台駅までは1961年3月、盛岡駅までは1965年10月、青森駅までは1968年8月に電化が完了しています。
特急「ひばり」(上野駅~仙台駅)
特急「ひばり」は、1961年10月の国鉄のダイヤ改正で設定された列車です。
運行区間は東京都の上野駅から、東北本線を経由して、宮城県の仙台駅まででした。
東北本線は、1961年3月に仙台駅以南の電化が完了していたので「ひばり」は電車で運行できるように思えます。
しかし、電化といってもいくつか方式があり、東北本線は途中で電化の方式が変わるのです。
具体的には、栃木県の黒磯駅を境に、南側は直流1,500V、北側は交流50Hzの20,000Vを電源として電車が走ることになっていました。
1961年当時、直流と交流の両方の電化区間を走れて、なおかつ特急列車に充当できる電車はまだ開発中でした。
そこで、特急用の気動車であるキハ82系が充当されて、全区間が電化されているのに気動車で運行される特急列車となったのです。

ただしキハ82系のプロトタイプと呼ぶべきキハ81系は、前年にデビューした直後にトラブルを頻発させていました。
その関係で「ひばり」に充当するために製造されたキハ82系は、他の特急列車用の予備の車両として待機することになり「ひばり」の運行は行われませんでした。
「ひばり」が実際に運行されたのは、翌1962年の4月からです。
上野駅から仙台駅までの所要時間は5時間弱でした。
その後、交直両用の電車が無事に開発されたので、1965年10月に「ひばり」の使用車両は電車に置き換えられ、上野駅~仙台駅間の所要時間は4時間半程度に短縮されました。
1968年10月にはさらに短縮されて4時間を切るようになり、当時の電車と気動車の性能の差がうかがえます。

著作者:Gohachiyasu1214 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
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首都圏と、東北地方最大の都市である仙台を結ぶ特急列車なので、旺盛な需要があり、1978年10月のダイヤでは1日あたり15往復も運行されていました。
しかし、1982年に東北新幹線が大宮駅~盛岡駅間で開業したことに伴い、11月のダイヤ改正で定期(毎日)運転の「ひばり」はすべて廃止されました。
廃止後も何度か臨時列車としてリバイバル運転が行われています。
急行「くりこま」(仙台駅~盛岡駅・青森駅)・急行「ひめかみ」(仙台駅~盛岡駅)
「くりこま」は、1960年6月のダイヤ改正で、準急列車として新設され、気動車を使用して運行されました。
運行区間は仙台駅と、岩手県の盛岡駅の間で、所要時間は3時間から3時間半程度。
1965年10月には、東北本線の電化区間が仙台駅から盛岡駅まで拡大しましたが「くりこま」は引き続き気動車によって運行され、全区間で架線下を走る気動車準急列車となりました。
翌1966年に急行列車に昇格しています。

1968年10月には「くりこま」の運行区間が青森駅までに延長されます。
同年8月に東北本線は、青森駅まで電化が完了していましたが、やはり「くりこま」は引き続き気動車での運行でした。
仙台駅から青森駅までの所要時間は、6時間から6時間半程度。
「くりこま」が気動車で運行され続けた要因は、東北本線から他の路線に直通する別の気動車列車と、東北本線上では連結して運行されていたためだと思われます。
連結相手は、一ノ関駅から大船渡線に乗り入れる急行「さかり」急行「むろね」や、花巻駅から釜石線に乗り入れる急行「はやちね」急行「陸中」や、尻内(現:八戸)駅で八戸線から来る「なつどまり」など数多く、これらの列車はいずれも非電化の路線に直通しているので、電車では運行できないのです
(ただし1968年10月時点で、上り列車の内「くりこま1号」は、他の列車との連結を一切行っていませんでした)。
そして電車と気動車が連結するということは、ごく一部の例外を除き、通常は行われません。
「くりこま」は、これらの気動車急行列車と連結して走る限りは、電車化できなかったのです。
その後の1970年10月に「くりこま」の一部の列車が仙台駅~盛岡駅間の運行に短縮され、愛称が「ひめかみ」に改称されました。
しかし、1972年3月に「ひめかみ」は運転区間を再度青森駅まで延伸し「くりこま」に戻されます。
そして同時に「くりこま」は気動車から電車に置き換えられました。
当然のことながら、気動車列車との連結運転は全て解消されています。
仙台駅~青森駅間の所要時間は最短で4時間45分となり、6時間もかかっていた気動車時代との差は歴然としていました。
なお、この区間は特急「はつかり」でも4時間25分程かかっていたので、ほぼ特急並みの速さです。

東北新幹線が盛岡駅まで開業した1982年には、11月のダイヤ改正で
- 仙台駅~盛岡駅間は快速「くりこま」に格下げ
- 盛岡駅~青森駅間は特急「はつかり」に格上げ
という形の変更が行われ、急行列車としての「くりこま」は廃止されました。
残った快速「くりこま」も、わずか2年あまり後の1985年3月のダイヤ改正で廃止されました。
利用状況がそれほど悪かったわけではないようですが、おそらく、仙台駅~盛岡駅間を素早く移動したい人は新幹線で(50分から1時間20分程度しかかかりません)、3時間かけてでもリーズナブルに移動したい人は普通列車を乗り継いで、というすみわけが定着したのではないかと思います。
おわりに
「時刻表は読み物」という言葉を聞いたことがありますけれども、個人的には同意します。
復刻版の時刻表を見て、昔はこんな列車があったのか……ということを見つけるのは楽しいものです。
特に「くりこま」については、今回この記事を書くために改めて時刻表を眺めたことで、初めて全区間架線下気動車急行列車だったことに気が付いた次第です。
筆者は、自分が生きている間にタイムマシンができるとは思っていませんが、もしもタイムマシンがあったら、国鉄時代の列車に乗ることが、やりたいことの1つであることは間違いありません。