檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段

檜枝岐歌舞伎|奥会津の秘境で受け継がれる伝統の村民歌舞伎【福島県檜枝岐村】

福島県の最南西部に位置する檜枝岐村(ひのえまたむら)。

東北地方の最高峰の燧ケ岳(ひうちがたけ)、会津駒ケ岳(あいづこまがたけ)、帝釈山(たいしゃくさん)の山間に位置し、日本有数の積雪を誇ることから特別豪雪地帯に指定されている「福島の秘境」と呼ばれる地域で、尾瀬国立公園への北側登山口の拠点でもあります。

そんな檜枝岐村には280年以上の伝統を誇る村民歌舞伎が受け継がれています。

「山間の秘境になぜ歌舞伎が?」と一瞬耳を疑いますが、今回はそんな「檜枝岐歌舞伎」の全貌に迫ってみました。


檜枝岐歌舞伎とは?

今でこそ「秘境」と呼ばれる檜枝岐村ですが、江戸時代は旧沼田街道の流通拠点として発展していました。

尾瀬の散策路
尾瀬の散策路

旧沼田街道は会津側から沼山峠を越えて上野国(現:群馬県)の沼田へ抜ける街道で、現在の尾瀬沼への散策路と重なります。尾瀬の麓に位置する檜枝岐は会津側の荷物の集積地としての役割を担っていました。

そんな檜枝岐村では当時「お伊勢参り」が流行しており、ある村人がそんなお伊勢参りの道中で上方や江戸に立ち寄って、見聞きした歌舞伎の話題を持ち帰り、村の娯楽に取り入れたのが「檜枝岐歌舞伎」の始まりとされています。

現在では

  • 毎年5月12日の愛宕神祭礼奉納歌舞伎
  • 毎年8月18日の鎮守神祭礼奉納歌舞伎
  • 毎年9月第1土曜日:歌舞伎の夕べ

の年3回、村内の鎮守神社境内にある「檜枝岐の舞台」で上演されます。

村民歌舞伎が盛んだった奥会津

文化年間(1790年頃)には会津城下で歌舞伎が盛んに上演されていたこともあり、檜枝岐に限らず奥会津地方一帯に数多くの農村舞台と歌舞伎一座が存在しました。

南会津町大桃字居平にある大桃の舞台
南会津町大桃字居平にある大桃の舞台

その名残として、南会津町にも「大桃の舞台」「湯の花の舞台」といった農村舞台が現存しており、日本三大祇園祭の一つに数えられる「会津田島祇園祭」でも子供歌舞伎が上演されます。

2025.07.22 会津田島祇園祭_大屋台歌舞伎上演の様子(1)
2025.07.22 会津田島祇園祭_大屋台歌舞伎上演の様子

藩によって芝居等の娯楽への規制が入った時期もあったようですが、この地方は「南山御蔵入」と呼ばれた幕府の直轄地だったことから藩の規制が入りにくく、比較的自由度が高かった為に地芝居も盛んだったといわれています。

江戸の歌舞伎役者が会津若松から周辺の村々にたびたび巡業に来たこともあったそうで、なかには土地に住みつく役者もおり、そういった人物から歌舞伎を教わることもあったようです。


檜枝岐歌舞伎の伝承団体「千葉之家花駒座」

檜枝岐歌舞伎の伝承団体である「千葉之家花駒座」の始まりは大正時代に遡ります。

初代座長である故・星愛三郎氏が檜枝岐村の祖先にあたるといわれる千葉平氏と、檜枝岐を象徴する山の一つである会津駒ケ岳からそれぞれ「千葉」と「駒」の字をとり「千葉之家花駒座」と名付けたとされています。

こうして始まった「千葉之家花駒座」による「檜枝岐歌舞伎」は、昭和44年に檜枝岐村重要無形文化財に指定、平成11年に福島県の重要無形民俗文化財に指定されています。

現在は11代目座長・星昭仁氏のもとで、30名ほどの座員が活動しているそうです。

上演される11の演目

「千葉之家花駒座」の披露する檜枝岐歌舞伎の演目は以下の11演目になります。

  1. 絵本太功記・本能寺の段(二段目)
  2. 絵本太功記・尼ヶ崎の段(十段目)
  3. 一之谷嫩軍記・須磨浦の段(二段目)
  4. 一之谷嫩軍記・熊谷陣屋の段(三段目)
  5. 神霊矢口の渡 八郎物語の段(二段目)
  6. 義経千本桜 鳥居前の場(二段目)
  7. 玉藻前旭袂 道春館の段(三段目)
  8. 鎌倉三代記 三浦別れの段(七段目)
  9. 奥州安達ヶ原・文治館の段(二段目)
  10. 奥州安達ヶ原・袖萩祭文の段(三段目)
  11. 南山義民の碑 喜四郎子別れの段(四段目)

多くが浄瑠璃、人形浄瑠璃として有名な演目ですが、最後の「南山義民の碑 喜四郎子別れの段」は檜枝岐村出身の故・馬場霞堂(ばばかどう)氏作の戯曲で、享保5年に「南山御蔵入」と呼ばれた当地で起こったとされる「南山御蔵入騒動」を劇化したもので、昭和8年に完成・上演されるに至った作品です。


2026年5月12日の愛宕神祭礼奉納歌舞伎

2026年5月12日、当日の檜枝岐村は15時過ぎころからあいにくの雨。時折雷を伴う土砂降りとなってしまいました…。

予報では18時頃にはやむとのことでしたが、なんと言っても山の天気。予報通りにはいくとは限りませんがとりあえず現地に向かうことに。

鎮守神社(檜枝岐の舞台)の入り口
鎮守神社(檜枝岐の舞台)の入り口

18時頃の鎮守神社入り口。まばらにですが徐々に人が集まり始めている様子でした。

鎮守神社(檜枝岐の舞台)の参道
鎮守神社(檜枝岐の舞台)の参道

多くののぼりが立てられた参道。いやが応にも気持ちが高まっていきます。

上演前の檜枝岐の舞台
上演前の檜枝岐の舞台

檜枝岐歌舞伎は基本的に雨天でも上演されるので観客の方々も準備は万端。レインコートを着用した人たちで会場は埋まっていきます。さらに雨天だからこその光景でしたが、背景の山々にかかる雲が幻想的な雰囲気を演出していました。

寿式三番叟(ことぶきしきさんばんそう)

寿式三番叟(ことぶきしきさんばんそう)は神聖な儀典曲とされ、五穀豊穣を祈る儀式。

檜枝岐歌舞伎:寿式三番叟
檜枝岐歌舞伎:寿式三番叟

檜枝岐歌舞伎では上演前に必ず寿式三番叟のうちの「もみの段」が舞われ、その日の舞台清めと公演の無事が祈願されます。

絵本太功記・尼ヶ崎の段(十段目)

この日の演目は絵本太功記・尼ヶ崎の段(十段目)。

時代物と呼ばれる人形浄瑠璃の演目で、「絵本太閤記」より明智光秀の謀反から滅亡までの十三日間を十三段にて構成しています。

十段目では本能寺の変後から天王山の戦い(山崎合戦)までの様子が描かれます。

上演中の檜枝岐の舞台①
上演中の檜枝岐の舞台①

上演開始とともに完全に雨もやみ、なにか不思議なパワーを感じます…。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(光秀の子・武智十次郎光義)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(光秀の子・武智十次郎光義)

なお、登場人物は明智光秀武智光秀羽柴秀吉真柴久吉と、微妙に名前が変えられています。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(武智十次郎光義と許嫁の初菊)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(武智十次郎光義と許嫁の初菊)

冒頭、武智光秀の子、十次郎は許嫁である初菊と仮祝言の盃を交わして出陣を決めます。

上演中の檜枝岐の舞台②
上演中の檜枝岐の舞台②
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(初陣に出陣する十次郎)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(初陣に出陣する十次郎)

初陣へと出陣していく十次郎。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段で旅の僧に扮する真柴筑前守久吉(羽柴秀吉)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段で旅の僧に扮する真柴筑前守久吉(羽柴秀吉)

光秀に追われ旅の僧に扮した久吉は、光秀の母である皐月の住家に一夜の宿を求めて訪れます。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段の武智十兵衛光秀(明智光秀)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段の武智十兵衛光秀(明智光秀)

尼ケ崎へと戻った光秀。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(光秀の非行を諫める妻・操)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(光秀の非行を諫める妻・操)

光秀の母・皐月と妻である操は主君を討つという非道を行った光秀を非難します。

檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(傷つき負け戦から戻る十次郎)
檜枝岐歌舞伎:絵本太功記・尼ヶ崎の段(傷つき負け戦から戻る十次郎)

初陣が負け戦となってしまった十次郎が帰ってきますが程なく息絶えてしまいます。

この後、光秀と久吉が相対し、天王山での決着を約束し分かれていく…という流れで十段目は終了。


まとめ

檜枝岐歌舞伎奉納翌日の檜枝岐の舞台
檜枝岐歌舞伎奉納翌日の檜枝岐の舞台

「村民歌舞伎」といわれると、本格的な歌舞伎から見劣りする…という印象を受けがちですが、その演技は“田舎芝居”の域を遙かに超えるもので、長い伝統の中で受け継がれてきた技術と研鑽を確かに感じる素晴らしいものでした。

舞台正面の最上段に鎮座する鎮守神社の本殿
舞台正面の最上段に鎮座する鎮守神社の本殿

また「奉納歌舞伎」という性格から舞台の真正面、最上段には鎮守神社の本殿が鎮座しています。

愛宕神社は少し離れた場所にありますが、観覧に訪れた際は「神様と一緒に見ている」ことを忘れずにしっかりお参りもしてきましょう。

檜枝岐歌舞伎<Information>

  • 施設名称:檜枝岐の舞台
  • 住  所:〒967-0521 福島県南会津郡檜枝岐村居平670
  • 電話番号:0241-75-2432(尾瀬檜枝岐温泉観光協会)
  • 開催期日:5月12日・8月18日・9月第1土曜
  • 開園時間:19:00開演(開場は18:00)
  • 観覧料金:無料 ※9月第1土曜日は1000円(村中宿泊者は無料)

Google Map

参考

  • 関連記事

その他の記事