【秋田】だんぶり長者とは?芋焼酎の名前にもなった昔話を詳しく解説
2021年5月、秋田県醗酵工業株式会社が製造・販売する芋焼酎「だんぶり長者」が蒸留酒の品評会である「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)2021」で銅賞を受賞しました。
芋焼酎の名前になるほど親しまれ、秋田ふるさと検定でも秋田の基礎知識として出題される「だんぶり長者」とはどのような昔話なのかを詳しく解説します。
参考:日本食料新聞「秋田県醗酵工業、『米蔵』がTWSC金賞『だんぶり長者』は銅賞」
だんぶり長者のあらすじ
秋田に伝わるだんぶり長者は、とんぼを意味するだんぶりが夫婦に幸せをもたらす昔話ですが、どのようなあらすじなのかをおさらいしてみましょう。
比内(現在の大館市)の独鈷(とっこ)に住む娘が両親が亡くなって悲しみに暮れていると、夢で白髪の老人から川上へと登り、そこで会った若者と結婚せよとのお告げを受けました。
お告げの通り娘は小豆沢(現在の鹿角市)で出会った若者と結婚して夫婦となり、まめに働いたけれど貧乏でお正月に神様に供えるお酒も買えずに困っていました。
すると夫婦の夢に白髪の老人である大日神が現れ、川上に移り住めば長者になれると伝えたため夫婦は田山(今の岩手県安代町田山)で田畑を開いたのです。
ある日、畑作業の合間に夫が寝ていると、だんぶりが飛んできて唇に尻尾を何度もつけたので妻は不思議に思いました。
目を覚ました夫は夢でとても美味しい酒を飲んだような気がしたので、だんぶりの飛んでいった方に足を運ぶと、酒が湧き出る泉を見つけたのです。
酒はどのような病気も治り長寿となる効果があったため夫婦は国一番の長者となりました。
大きな屋敷にはたくさんの人が集まり米のとぎ汁が流れ出し、川に流れ込んで水が白くなったので、人々はその川を米白(代)川と呼ぶようになります。
しかし夫婦には40才を過ぎても子供が授からなかったため、大日神に祈願をすると女の子が産まれました。
長者を名乗るには天皇の許可が必要なため夫婦が娘を連れて都に上ると、継体天皇の目に留まり宮中へ仕えることとなります。
娘は吉祥姫と名乗り継体天皇と結婚しましたが、長者夫婦はやがて亡くなり、酒の泉も水に変わってしまいました。
吉祥姫はこれを悲しみ故郷に大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ)を建てることを願い出て許されます。
このことから今の小豆沢にある大日霊貴神社は523年(継体天皇17年)に建立されました。
また吉祥姫が亡くなった時、遺言によって大日霊貴神社の側に葬られたため近くにイチョウが植えられ、吉祥院という寺が建立されたのです。
菅江真澄と「だんぶり長者」
だんぶり長者の昔話は、元々奥羽地方で語られた奥浄瑠璃として江戸時代に語られていましたが、その内容に近い話が菅江真澄の著作「けふのせばのの」に「だんびる長者物語」として収録されています。
だんびる長者物語では夫のもとに飛んできたのは秋津虫(蜻蛉)で、里の人たちがそれをだんびると呼んでいたことから夫婦がだんびる長者と呼ばれたと記されているのが現在秋田に伝わる昔話と異なる点だと言えるでしょう。
また夫婦が亡くなった後大日霊貴神社ではなく、天皇の勅命で養老山喜徳寺というお寺が建てられたのも大きな違いとなっています。
「けふのせばのの」は秋田叢書の別集第二に収録されているため、興味のある人はぜひ読み比べてみてください。
参考:国立国会図書館デジタルコレクション「秋田叢書別集第二『けふのせばのの』」
まとめ
だんぶり長者はとんぼを意味するだんぶりが夫婦に幸せをもたらす昔話ですが、米代川の名前の由来や大日霊貴神社創建の話とも関連付けられていることがわかりました。
「秋田の昔話・伝説・世間話口承文芸検索システム」では秋田県内に伝わるさまざまなだんぶり長者の昔話を読み比べることができるので、興味のある人はぜひ目を通してみてください。
参考:秋田の昔話・伝説・世間話口承文芸検索システム「だんぶり長者」