【山形県】江戸時代の香りが残る山形市の十日町・七日町を歩く

江戸時代、山形藩最大の収入源は、藩内で栽培されていた“最上紅花”でした。ベニバナから作り出される紅色の染料は、京都で織られる西陣織の色づけには欠かせません。その頃各地で作られていた紅花染料の中でも最上紅花は最も色合いが良く、しかも京都ではなかなか手に入りにくく、最高値で取り引きされていました。


北前船で京都まで運んだ最上紅花

ベニバナから作り出される“べにばな紅餅” ©山形県

それに目をつけたのが、日本海を行き来していた北前船の船主たちです。最上紅花は山形藩内から最上川を船で下り、河口の酒田(酒田市)で北前船に積み替えられました。最上紅花などを積んだ北前船は1航海で1000両(現代の貨幣価値で約1億円)もの儲けがあったといわれています。


山形城の城下町に本拠を構え大きく成長した近江商人

北前船の船主には、近江国(おうみのくに/滋賀県)の商人、いわゆる“近江商人”が多くいました。近江商人の地元には比叡山延暦寺という天台宗の大本山があり、檀家である彼らは山形城の近くにある天台宗の古刹、山寺(立石寺)に参拝のため訪れていました。

山寺(立石寺)納経堂 _山形県

山形藩の初代藩主最上義光(もがみよしあき)はそこに目をつけ、藩に大金をもたらしてくれる近江商人たちを大切にもてなし、城下町には土地を分けて店舗を構えさせました。

山形藩は57万石だった最上義光以降徐々に衰退し、江戸時代末期には5万石まで減らされてしまいましたが、いつの時代も山形藩の経済は近江商人と一部の御用商人で回っていました。それは現在まで続いているのです。


明治時代になり近代化の嵐は町並みを変貌させた

1878年(明治11年)三島通庸の近代化構想の下、病院として建てられた旧済生会本館(現山形県郷土館) ©やまがたへの旅

江戸時代が終わり、山形藩や庄内藩などのすべて藩が解体され、明治政府直轄の山形県が成立しました。県都には山形市が選ばれ、初代県令(知事)には三島通庸(みしまみちつね)が就任します。三島は山形市を県都にふさわしい街にするため、市街地の近代化を推進しました。新しい都市計画のもと、山形城の本丸、二ノ丸エリアを除いて、その外側の巨大な敷地があった三ノ丸エリアは市街化され、新しい西洋風建築の建物が次々と建てられます。

山形市内は、明治時代以降の建物はかなり残っているのですが、江戸時代の建物は明治以降の市街地化の影響と、その後に起きた2度の大火災でほとんど残っていません。それでも、数が少なくなりましたが、山形市の十日町(とおかまち)~七日町(なのかまち)界隈には、その当時の山形藩の御用商人や近江商人などの蔵屋敷や店舗などが残っていたりしています。


豪商の館を利用した観光施設「山形まるごと館 紅の蔵」

もとは山形市ナンバーワンの豪商、長谷川家の蔵屋敷 ©山形県

「山形まるごと館 紅の蔵」は、紅花商人として富を築いたマルタニ長谷川家の蔵屋敷を、山形市が借りて、山形市の観光拠点として再利用したものです。建物は1894年(明治27年)の市南大火で焼失し、1901年(明治34年)に再建されました。

長谷川家は山形藩の御用商人で、近江商人ではありませんが、本家のマルチョウ長谷川や分家のマルタニ長谷川、マルカワ長谷川、それに親戚筋のマルヤマ長谷川などの長谷川一族は、山形銀行やきらやか銀行などの頭取を歴任するなど、現在も山形の経済を牽引しています。

山形まるごと館 紅の蔵には、郷土料理と手打ソバ提供するそば処、フランス郷土料理をベースにしたレストラン、それに、おみやげ処・農産物直売所・観光案内所があります。

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  • 施設名称:山形まるごと館 紅の蔵
  • 所在地:山形県山形市十日町2-1-8
  • 電話番号:023-679-5101
  • 休館日:1月1日・2日・3日全館休館
  • 店舗名:そば処・郷土料理 紅山水/Cafe&Dining 990/おみやげ処 あがらっしゃい/旬菜旬果 おいしさ直売所/街なか情報館
  • ※各ショップの営業時間などは「山形まるごと館 紅の蔵」ホームページ参照
  • URL:山形まるごと館 紅の蔵

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もと紅花商。創業時の貴重な建物を大切に保存「丸十大屋」

現在は使われていない「丸十大屋」の創業当時の店舗蔵。個人宅なので非公開 ©丸十大屋

丸十大屋(まるじゅうおおや)は、十日町に本社を置く醤油、味噌、調味食品、漬物など発酵食品の製造販売元です。創業は1844年、山形藩の家臣から紅花商に転身した御用所商人でした。表通りに面した旧店舗蔵は、大火を免れた創業当時の貴重な建物です。現在は住居になっていて非公開です。

隣接する工場内には店舗と食事処「蔵膳屋」が併設されています。

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  • 施設名称:株式会社丸十大屋
  • 住所:山形市十日町3-10-1
  • 電話番号:023-632-1122

     ※個人宅です。絶対に立ち入らないでください。

  • 施設名称:蔵膳屋
  • 営業時間:10:00~17:00(LO16:30)
  • 休業日:土曜日、日曜日、祝休日
  • URL:丸十大屋(蔵膳屋)

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近江商人から発展した「近江屋丸太中村」

旧「丸太中村」本社。個人宅なので非公開 ©丸太中村

近江屋丸太中村(まるたなかむら)は、1858年「近江屋中村喜兵衞商店」として創業した紅花、木綿、砂糖などを扱う商店で、創業者は近江八幡(滋賀県)出身の近江商人でした。現在では本社は移転しましたが十日町には明治時代に建てられた蔵造りの旧本社社屋と住居が残っています。(旧社屋および門内は非公開)

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  • 施設名称:株式会社丸太中村
  • 住所:山形県山形市流通センター1-12-1(本社住所)
  • 旧本社建物住所:山形県山形市十日町2-4-10(非公開)

     ※個人宅です。絶対に立ち入らないでください。

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江戸時代創業の菓子店「乃し梅本舗 佐藤屋」

山形銘菓「乃し梅」 ©norijun/乃し梅本舗佐藤屋

「乃し梅本舗 佐藤屋」は、1821年創業の和菓子・洋菓子の老舗です。山形銘菓“のし梅”の元祖で、江戸時代に薬として重用されたというのし梅を、昔ながらの製法を受け継いで製造しています。のし梅は、水戸(茨城県)などの梅の名産地でも銘菓として販売されていますが、山形から伝わったといわれています。十日町本店の建物は昭和初期に建てられたものです。

「佐藤屋」の本店店舗は昭和初期築 ©norijun/乃し梅本舗佐藤屋

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  • 施設名称:乃し梅本舗 佐藤屋(本店)
  • 所在地:山形県山形市十日町3-10-36
  • 電話番号:023-622-3108
  • 営業時間:9:00~18:00
  • 休業日:1月1日
  • URL:乃し梅本舗 佐藤屋

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江戸時代創業、蔵造りの店舗が現役の「羽毛布団とまくらの専門店 のむらや」

当代で12代目。江戸初期から繊維業を営んでいた「のむらや」 ©野村屋寝装株式会社 

「のむらや」は江戸時代初期創業の繊維問屋で、江戸時代後期頃から寝具用の木綿わたや布団等の木綿製品を扱い始めました。現在の当主で12代目となり、店舗は昔のままの店舗蔵を使用しています。

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江戸時代の用水を復原した「御殿堰」

復原された御殿堰。山形城の堀に流れ込むように作られていた ©山形県

御殿堰(ごてんせき)は、七日町の中心部に復原された旧用水路です。山形城の周辺には、農業用や生活用の用水が5本造られました。御殿堰はそのうちの1本で、お城の堀に流れ込む用水だったため御殿堰と呼ばれていました。“堰”とは本来取水堰など水の取り入れ口などに設けられる取水量を調整する仕切りのことですが、山形の場合は堰の名前がそのまま用水路の名称として使われるようになっています。

御殿堰脇には、呉服と小物の店「結城屋」(創業110年)、そば処「庄司屋」(江戸時代創業のそば処の支店)などが8店舗入った商業施設「七日町御殿堰」があります。

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  • 施設名称:御殿堰・七日町御殿堰
  • 所在地:山形市七日町2-7-6
  • 電話番号:023-623-0466
  • 店舗名:岩淵茶舗/KEN OKUYAMA CASA/呉服と小物「結城屋」/そば処「庄司屋」/カフェ・レストラン「いつもの場所」/米沢織「布四季庵」/ClassicCafe/群言堂
  • ※各ショップの営業時間、休業日などは「山形御殿堰」ホームページ参照
  • URL:御殿堰

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