【宮城県】仙台の地名の由来になった?太白区向山にある大満寺 虚空蔵尊の千躰仏!
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仙台市中心部から長町方面へ向かう途中、仙台市営地下鉄南北線の愛宕橋駅の程近くにある愛宕山。ここには愛宕神社があることで有名ですが、そのすぐ裏手には大満寺 虚空蔵尊が存在します。
ここには「仙台」の地名の由来となったといわれている千体の木製の仏像、通称千躰仏(せんたいぶつ)が安置されています。
奥州藤原氏が創建したと伝わる曹洞宗の寺院
大満寺は奥州藤原氏によって創建されたと伝わる曹洞宗の寺院で、山号は虚空蔵山、ご本尊は釈迦如来と虚空蔵菩薩。
800余年の長い歴史があり、荒廃していた1573年頃に虚空蔵堂を再造した龍泉院三世量山廣寿という人物が中興の祖といわれています。
主塔である虚空蔵堂と別当寺である大満寺で構成されていて、北国八十八ヶ所霊場第三番札所、仙台七ヶ所観音霊場第三札所でもあり、ご本尊が虚空蔵菩薩であることから、丑年と寅年の守り本尊でもあります。
ちなみに隣接する愛宕神社は辰年・巳年の守り本尊です。
仙台の地名の由来となった大満寺 虚空蔵堂の千躰仏
伊達政宗公が仙台の地に拠点を構える前、現在、青葉山と呼ばれている一帯には長泉寺、龍泉寺、光禅寺、玄光庵、大満寺の五つの寺院が存在し、その中でも大満寺の虚空蔵堂が主塔であったため、当時は虚空蔵城や虚空蔵楯(館)と呼ばれていました。
その後に陸奥国宮城郡(現在の仙台市~松島町周辺)一帯を治めていた国分氏が入城。虚空蔵堂に安置されていた千躰仏(せんたいぶつ)から、名前を千躰城(せんたいじょう)と改めたそうです。(千躰仏とは、供養のために彫られた千体の木彫り仏像)
このことは「伊達治家記録」の中に「城辺に千躰仏を社るが故に千躰城と号す」と記されています。
つまり大満寺の虚空蔵堂の千躰仏が「千躰」>「千代」>「仙臺(仙台)」と、地名が生まれるきっかけになったといわれています。
仙台城築城から二度の遷座を経て現在の地、向山へ
大満寺は伊達政宗公の仙台城築城の際に虚空蔵堂とともに経ヶ峯へと移され、さらに二代藩主伊達忠宗公の霊廟である感仙殿の造営の際に再度、現在の地である愛宕山へと移されたことが文献に記されており、その愛宕山への移築の際、移築奉行として陣頭指揮をとったのは伊達騒動で有名な原田甲斐であったとされています。
仙台十二支守り本尊の丑年・寅年の寺院
大満寺の虚空蔵堂は仙台の十二支守り本尊の丑年・寅年の寺院でもあります。
仙台十二支守り本尊
- 【子】 ・善入院観音堂(千手観音)
- 【丑】【寅】・虚空藏堂 大満寺(虚空蔵菩薩)
- 【卯】 ・鷲巣山 文殊堂(文殊菩薩)
- 【辰】【巳】・愛宕神社(普賢菩薩)
- 【午】 ・二十三夜堂(勢至菩薩)
- 【未】【申】・大日堂(大日如来)
- 【酉】 ・三瀧山 不動院(不動明王)
- 【戌】【亥】・大崎八幡宮(阿弥陀如来)
さらに虚空蔵堂の境内には十二支守り本尊の八体全ての守り本尊がお参りできる八角堂や十二支石像もあるので、干支の違う家族や友人同士で訪れてもみんな自分の守り本尊のお参りができます!
さらにさらにですが、虚空蔵堂のすぐ隣には仙台の十二支守り本尊の辰年・巳年の神社である愛宕神社もあります。
がん封じのご利益でも有名!
大満寺はがん封じのご利益でも有名で、願いがかなったとの口コミから、現在では全国各地から参拝客が訪れるそうです。がん封じ祈禱も受付しています。
まとめ
千躰仏は第二次世界大戦の際の空襲により約半分が焼失してしまい、現在千躰堂に安置されている仏様のうち450体ほどが難を逃れて現在まで伝わるものだそうです。
仙台の地名のルーツとなった仏様。中心部からもそれほど遠くない場所で見ることができます。機会があれば是非足を運んでみてください。
大満寺<Information>
- 名 称:虚空蔵山 大満寺 虚空蔵尊
- 住 所:〒982-0841 宮城県仙台市太白区向山4丁目4−1
- 電話番号:022-266-6096
- 公式URL:https://www.daimanji.or.jp/