【岩手県】復興支援や沿線活性化のために登場したSL銀河がラストランを迎えて早一年、「ありがとうSL銀河!」

岩手県の花巻駅と釜石駅を結ぶ釜石線を「SL銀河」というSL列車が走っていました。SL銀河は、今から1年ほど前の2023年6月に惜しまれながらラストランを迎えました。本記事では、SL銀河とはどのような列車だったのかを、改めてご紹介いたします。


SL銀河とはどんな列車だったのか?

SL銀河
旧釜石鉱山付近を走行するSL銀河

釜石線は花巻駅と釜石駅を結ぶ、JR東日本の路線です。
この区間を2014年から2023年までの9年間、主に土曜日・日曜日に運行されていた列車がSL銀河です。
岩手県を走る列車であることとSL銀河という名前から想像がつくように、花巻出身の作家である宮沢賢治が記した『銀河鉄道の夜』をモチーフとした列車でした。

『銀河鉄道の夜』に登場する銀河鉄道のモデルは、釜石線の前身である岩手軽便鉄道であったとされています。
『銀河鉄道の夜』をモチーフとしたSL列車が走るのには、この上ないほどの路線だったと言ってよいでしょう。

SL銀河が誕生したきっかけは、2011年に発生した東日本大震災でした。
観光面での復興支援、そして釜石線沿線をはじめとした地域の活性化につなげるために、2014年から新たなSL列車を運行することになったのです。

以来9年間、沿線地域を元気づけながら、そして観光客や鉄道ファンといった人たちに様々な思い出を残しながら、釜石線を走り続けました。


公園で保存されていたC58形蒸気機関車239号機

C58形蒸気機関車239号機

SL銀河は、SL列車というからには蒸気機関車がけん引する列車です。
JR東日本はSL銀河に使用するために、新たに蒸気機関車を確保することとしました。選ばれたのは、盛岡市内の岩手県営運動公園で保存されていたC58形蒸気機関車の239号機でした。

C58形蒸気機関車は、1938年に登場して、10年の間に427両が製造された中型の蒸気機関車です。旅客の乗る客車や、貨物を運ぶ貨車をけん引して、国鉄(JRの前身)の地方路線で活躍していました。239号機は1940年に製造され、3年後の1943年からは宮古機関区に配属、そして1970年からは盛岡機関区に配属されました。製造から廃車までのほとんどの期間を、岩手県内の機関区所属の機関車として過ごしたのです。
そして1972年に廃車された後の1973年より、公園で大切に保存されていました。

239号機は2012年に公園から搬出され、およそ1年の時間をかけてボイラーなどの徹底的な修復が行われました。そして走行できる状態となり、2014年1月にJR東日本の盛岡車両センターに到着しました。


『銀河鉄道の夜』をイメージした車内

星座が装飾されたSL銀河の客車

SL列車には、蒸気機関車の他に、乗客が乗る客車が必要です。
SL銀河の客車は4両編成で、外装・内装共に『銀河鉄道の夜』をイメージした装飾等が施されました。

外装は、花巻方の先頭車にあたる1号車から順に、さそり座・いて座・わし座・はくちょう座のシンボルが装飾されていました。

SL銀河車内
SL銀河の車内

内装は、宮沢賢治が生きた大正時代の世界観を感じさせるものです。
ガス灯風のランプや、ステンドグラス風の飾り証明とか、南部鉄器風の荷棚などを採用した、他の列車にはないような雰囲気のインテリアとなっていました。
また、1号車には、列車内のものとしては世界初のプラネタリウムが設けられていました。


変わり種の客車、キハ141系

SL銀河客車
自走するSL銀河の客車

SL銀河の客車は、内外装のみならず、技術的な観点でもかなり独特で変わり種の車両でした。
元々SL列車のために作られた車両ではないばかりか、そもそもJR東日本の車両ですらなかったのです。

SL銀河の客車であるキハ141系は、JR北海道が運用していたものをJR東日本が買い取って改造したものでした。
そのJR北海道のキハ141系も、元々は国鉄時代に製造された50系客車というものを改造した車両だったのです。

50系客車
50系客車 出典:Wikipedia
著作者:永尾信幸 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=93035113による

50系客車は1977年より製造された車両で、動力を持たない車両なので機関車にけん引されて走っていました。
北海道・東北地方・山陰地方・九州などでは普通列車に多用されていたポピュラーな車両で、レッドトレインという愛称もありました。
東北地方では1990年代までは普通に走っていて、筆者も1992年の山形新幹線開業直前の奥羽本線の列車に、父に連れられて乗った記憶があります。

キハ141系気動車
JR北海道が50系客車を改造したキハ141系気動車 出典:Wikipedia
著作者:出々 吾壱(talk / Contributions) at the Japanese Wikipedia – File:JRN DC143-100 20061103 001.jpg from the Japanese Wikipedia, GFDL,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7776007による

しかし機関車が客車をけん引して走る列車は様々な点で非効率的であったことから、50系客車は、自走できる車両である電車や気動車(軽油を燃料にして走る車両)にとってかわられていきました。
中でもJR北海道は、余剰になった50系客車に運転台やディーゼルエンジンを搭載して、自走できる気動車に改造してしまいました。
これがキハ141系気動車です。

SL銀河の話に戻ると、釜石線には勾配が急な箇所があり、C58形蒸気機関車が独力で4両の客車を引いて急勾配を登ることは困難でした。
そこで元々は客車だった車両に動力を取り付けたJR北海道のキハ141系がSL銀河の客車にはふさわしいということになり、JR北海道で余剰になっていたキハ141系をJR東日本が4両買い取り、SL銀河の客車にするための再改造が行われました。

SL銀河の運行時には、蒸気機関車だけでなく客車の運転席にも運転士が乗り込み、急な上り坂では機関車と客車が力を合わせて走行していました。
自走もできる客車によるSL列車の運転は、日本では他に例がありません。
また、この客車を回送する時は、キハ141系が自走する形で回送が行われていたのです。
なお、JR東日本ではキハ141系を、自走できる客車ということで、本来の客車とは区別して「旅客車」と呼称していました。


SL銀河の引退

2021年に、SL銀河は老朽化を理由に運行を終了することが発表されました。
老朽化が問題になったのは1940年生まれの蒸気機関車ではなく、客車のキハ141系の方でした。2023年6月11日の、釜石発・花巻行きの団体向け列車の運行を最後に、SL銀河は9年2月にわたる運行を終えました。普段は日中に走るSL銀河でしたが、最終運行はまさに『銀河鉄道の夜』を思わせるような日没後の運行でした。老朽化した客車はこのまま完全に引退するものと思われますが、蒸気機関車については当面動かせる状態で維持されるとのことです。


まとめ

復興支援や沿線活性化のために登場したSL銀河は、客車の老朽化のため運行終了という重大な区切りを迎えました。
しかしSL銀河に乗った人たちや、沿線で手を振って見送った人たちの思い出の中では、いつまでも走り続けてくれることでしょう。
「ありがとう、SL銀河!」


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