【岩手県】岩手県を一周!?盛岡発・盛岡行きの急行「そとやま」と「五葉」

東京都の山手線や大阪府の大阪環状線、愛知県の名古屋市営地下鉄名城線といった路線では、多くの列車が環状運転を行っています。
そのため、ある駅で列車に乗ると、その列車は路線を1周してくるので、乗車した駅に戻ってくることができるのです
(そのような乗り方をする意味があるのか、その場合に運賃がどのように計算されるのかということは別問題とします)。
そして、こういった環状の路線を走る列車とは別に、JRの前身である国鉄の時代には、始発駅を出発して、いくつかの路線にまたがって運行されて、最終的には始発駅に戻ってくるという「循環列車」が複数運転されていました。
東北地方の岩手県にもそのような循環列車が運行されていて、それが今回紹介する「そとやま」と「五葉(ごよう)」です。


循環列車「そとやま」「五葉」とは?

「そとやま」と「五葉」が登場したのは1965年のことで、当初は「準急」という種別の列車でした。
翌1966年に「急行」に格上げされました。

「そとやま」は盛岡の北東部にある山々の総称です。
「五葉」の名前の由来は、岩手県南東部にそびえる五葉山(ごようざん)だと思われます。
いずれも岩手県内の山にちなんだ名前ということになります。

「そとやま」の運行経路を述べます。
まずは岩手県の盛岡駅を出発し山田線を東へ進んで宮古駅に到着します。
宮古駅に到着すると、続いて太平洋沿岸を南へ進み、釜石駅へ向かいます。
宮古駅から釜石駅までの区間は、2019年以降三陸鉄道のリアス線という路線になっていますが、当時はこの区間も国鉄山田線の一部でした。

釜石駅からは釜石線に入り花巻駅へ向かいます。

なお、釜石線(正確にはその前身である岩手軽便鉄道)は、花巻出身の作家である宮沢賢治が記した『銀河鉄道の夜』のモデルになったとされています。
そのため、釜石線には銀河鉄道の夜をモチーフとした「SL銀河」という列車が運行されていました。
しかし、2023年の6月限りで惜しまれながら運行を終了しています。

そして花巻駅からは東北本線を北上して、盛岡駅に戻り、ここが終着駅となります。
この列車は始発駅と終着駅が全く同じなのです。
このような列車は「循環列車」と呼ばれています。

「五葉」の運行経路は「そとやま」の運行経路を逆回り、つまり反時計回りにしたものです。
なお「そとやま」と「五葉」の始発から終着までの所要時間は6時間ほどでした。

「そとやま」と「五葉」の運行経路

どのような人が利用したのか?

環状運転を行っている列車に、1周するまで乗ることは、1周するまで乗ること自体が目的でもなければないでしょう。
「そとやま」「五葉」についても同じことで、さすがに盛岡駅から乗って盛岡駅で降りる人は、通常はいなかったものと思われます。
それではどのような人がこのような循環列車を利用したのかというと、例えば盛岡から宮古へ行きたい人、宮古から釜石へ行きたい人、釜石や花巻から盛岡へ行きたい人といった人たちが利用していたのです。
つまり、運行の途中で車内の乗客は何度も入れ替わっていました。

盛岡から宮古を経由して釜石までを結ぶ急行列車と、釜石から花巻を経由して盛岡までを結ぶ急行列車を、ひとつの列車としてつないで運行した列車が「そとやま」だという見方もできるでしょう。
別々に列車を仕立てるよりも1本の列車にした方が、運行する国鉄にとって効率的であったのだと思われます。
また、複数の路線にまたがって移動をしたい乗客(例を挙げれば、山田線の茂市駅から、釜石線の遠野駅へ移動したい乗客)にとっては、1本の列車に乗りっぱなしにして移動できるので、乗客にとってもメリットのある列車だったと言えます。


わざわざ遠回りしたい人にも有用な列車?

既に述べたような実用面での利点とは別に「わざわざ遠回りをしたい人」にとっても「そとやま」のような列車は有用でした。

紀行作家の故・宮脇俊三氏が記した『最長片道切符の旅』という本があります。
最長片道切符というのは、国鉄・JRのルール上発券できる片道切符の中で、最も経路が長くなる切符のことです。
この旅では同じ駅を2度通らないようにしながら、とにかく日本中の国鉄線に遠回りを繰り返して乗車することになります。
宮脇氏が旅を実行した1978年秋の最長片道切符の経路は、13,319.4キロにも及びました。

宮脇氏はこの旅を実行する過程で、盛岡駅から山田線・釜石線を経て、花巻駅に移動する必要がありました。
この遠回りの移動を実行する上で「そとやま」はうってつけの列車でした。
盛岡駅から花巻駅まで、途中で一切乗り換えずに移動できるからです。
そして宮脇氏は実際にこの列車に乗車しています。

最長片道切符のルートを急ぐ人間にとっては好都合な列車で、もとより私は宮古にも釜石にも下車せず、コの字型に乗り通して花巻まで行く。
 発車してまもなく、車掌がとおりかかったので、「花巻までの急行券をください」と私は言った。
「え、お客さん、これ宮古回りですよ」
 と車掌は愕然としたように言う。花巻までは東北本線の急行なら三〇分もかからない。しかし宮古、釜石経由のこの急行は五時間一八分もかかるのだから車掌が驚くのも無理はない。
(『最長片道切符の旅』新潮文庫、131~132ページ)

当時の時刻表を見てみると「そとやま」は8時58分に盛岡駅を出発し、11時7分に宮古駅着、12時21分に釜石駅着で、花巻駅には14時16分着でした。
なお、盛岡駅には14時50分着でした。
一方、盛岡発・仙台行きの東北本線の急行「くりこま2号」は、9時20分に盛岡駅を出発すると、9時47分に花巻駅に着いてしまいます。
東北本線を経由するよりも時間をかけ、高い運賃と急行料金も払って盛岡から花巻へ移動することなど、この車掌の反応が示しているように、全く常識的な行動ではなかったのです。
しかし宮脇氏のようなことをする人にとっては「そとやま」は有用な列車でした。
現在もこのような列車が残っていたら、鉄道系YouTuberのような人たちが、様々な楽しみ方を見出していたかもしれません。


東北新幹線の本格開業と共に廃止

1982年の東北新幹線の開業に伴い、東北地方を走る在来線の特急・急行列車は大幅に整理縮小されることになりました。
その結果として、11月のダイヤ改正で「五葉」は廃止されました。
「そとやま」は、列車名こそ残ったものの、快速列車に格下げされた上に、運行区間は盛岡駅~宮古駅間に短縮されてしまいました
(念のため記すと、遠回りはせずに素直に山田線のみを経由する列車です)。
改正前の急行「そとやま」とは、名前が同一なだけで別物の列車と言ってよいでしょう。

1985年3月のダイヤ改正では、盛岡駅~宮古駅間で「そとやま」よりも停車駅を減らした特別快速「リアス」の運行が開始されました。
やがて盛岡駅~宮古駅間の快速列車は「リアス」に一本化されて「そとやま」は廃止され、その歴史を終えたのです。


幻となった令和の循環列車

昭和時代に廃止されてしまった循環列車の急行「そとやま」と「五葉」でしたが、令和の2024年に、なんと臨時快速列車として復活運転が行われることになりました。

2024年10月から12月まで、岩手県では「いわて秋旅キャンペーン ~秋は短し旅せよ岩手~」が開催されます。
「そとやま」と「五葉」の復活運転は、それに先駆けての企画でした。

2024年9月28日に、盛岡発、花巻経由、釜石行きの「五葉1号」と、釜石発、宮古経由、盛岡行きの「五葉2号」が運行されて、翌29日に盛岡発、宮古経由、釜石行きの「そとやま1号」と、釜石発、花巻経由、盛岡行きの「そとやま2号」が運行されることが、JR東日本から5月に発表されました。
2024年版「五葉」と「そとやま」は、一応釜石駅を境に別々の列車として設定されましたが、1号と2号を乗り継いで利用することができるダイヤ設定になっていて(おそらく1号に使用された車両を2号でも引き続き使用する予定だったのでしょう)、国鉄時代の循環急行列車の復活と事実上言えるものでした。
現在は三陸鉄道に移管されている釜石駅~宮古駅間にも乗り入れて運行が行われることもあり、注目を浴びたのです。

臨時快速列車に使用されたJR東日本のキハ110系気動車(写真は快速「リアス」)

しかし、この令和の循環列車は残念ながら幻となってしまいます。
臨時快速の運行発表よりも後で発生した8月の集中豪雨で山田線が被災してしまい、運転再開に時間を要することになったためです。
臨時快速「五葉」と「そとやま」は、運行はされましたが、山田線を通れず循環運転ができないので、運行区間を盛岡駅から花巻駅・釜石駅経由で宮古駅までに短縮して運行されました。
「五葉」「そとやま」の運行経路の再現ではなくなったものの「陸中」の再現にはなったなあと、筆者は思いました。
また、三陸鉄道線内をJRのキハ110系気動車が走行するという、もう1つの注目ポイントは無事実現したのです。

循環列車についても、将来再び実現することを期待したいところです。


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