歴史

【宮城県】戊辰戦争と奥羽越列藩同盟、奥羽の雄藩・仙台藩の事情と決断とは?

奥羽越列藩同盟の盟主となり、官軍との戦いでは中心的存在だった仙台藩ですが、戊辰戦争での動きはあまり知られていません。

総兵力3万5千とも称された東北最大の雄藩の内実は、幕府と明治新政府との間で揺れ動き続けていたのでした。

奥州随一の石高と家格の仙台藩

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幕末の仙台藩は外様大名ながら支藩も含め、宮城全県と岩手県南を領有し、表の石高62万石は当時3位でしたが、仙台平野の開拓で実質100万石を超えていたとされています。

また、藩主・伊達慶邦(だて・よしくに)は藩祖・政宗から13代目、伊達氏当主29代目にあたり、従四位上左近衛権中将という高い位階と「陸奥守」の官位が与えられ、将軍家からは松平性を許されるなど、奥州他藩とは別格扱いの超大藩でした。

尊王攘夷と佐幕開国の間で揺れ動く家中

戦争前の藩内は、朝廷に近づき中央政治への介入を目指す遠藤允信(えんどう・さねのぶ)ら尊王攘夷派と、新政府に対抗し佐幕開国を主張する但木土佐(ただき・とさ)らの勢力が対立していました。

しかし、遠藤が政争に敗れ但木土佐が藩の実権を握ったことで、仙台藩は佐幕へと舵を切ったのでした。

戦争回避に奔走する藩主・慶邦

1868年の鳥羽・伏見の戦い後、会津藩は朝敵とされ、藩主・松平容保(まつだいら・かたもり)は会津へ戻りました。

仙台藩は新政府から会津征討を命じられ、また会津藩からは朝廷へのとりなしを依頼されます。

慶邦は征討中止を求め、新政府に会津・庄内両藩を赦免する提言をすべく家臣を上京させましたが、すでに征討軍は出発し間に合いませんでした。

そこで奥羽他藩に提言書を送り、会津・庄内両藩の赦免嘆願への協力を要請し、仙台領内の白石で会議を開きます。

その一方で慶邦は、征討の命には形だけの出陣をして会津藩に降伏を勧めます。

しかし、会津藩は一度降伏に合意しますが、最終的には拒否し、慶邦は説得をあきらめます。

奥羽鎮撫総督府と官軍の仙台入り

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1868年3月、会津・庄内征伐のために奥羽鎮撫総督府(九条道孝総督)と官軍500名が仙台入りします。

官軍は奥羽諸藩の兵力をあてにしていましたが、諸藩の鈍い動きに業を煮やし単独で庄内藩を攻め、撃退されてしまいます。

藩内では会津・庄内両藩と共に官軍と戦うべしとの声が高まるなか、奥羽14藩による白石会議が開催され連名の赦免嘆願書を提出します。

しかし、これが総督府に却下され、憤った諸藩は追討の兵を引き揚げたのでした。

官軍下参謀の暗殺と奥羽越列藩同盟の成立

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仙台の官軍が庄内藩を攻めている間、総督府下参謀である世良修蔵(せら・しゅうぞう)が、仙台藩士により福島市内で捕縛され斬首される事件が起こります。

世良は傍若無人なふるまいで会津攻めに動かない仙台藩を嘲り、仙台藩士の反感を買っていました。

この事件と嘆願却下がきっかけで奥羽列藩同盟が立ち上がり、さらに長岡藩ら北越の6藩が加わり、奥羽越列藩同盟が成立しました。

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  • Google Map 世良修蔵官修墳墓

仙台藩出陣!白河口の戦い

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盟主となった仙台藩は、九条総督らの身柄を仙台城下に軟禁し、会津藩と呼応して官軍の手にあった福島県白河市の小峰城を奪還しますが、すぐに官軍に奪い返されてしまいます。

会津・仙台連合軍はその後7度に渡り小峰城を攻めますが、落とすことはできませんでした。

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  • Google Map 白河小峰城跡

官軍に押されまくる福島の浜通り

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1868年7月、官軍750名が常陸(茨城県)の平潟に上陸し、阻止しようとした仙台藩中心の列藩同盟軍は敗退、官軍は増援によって1,500名に膨らみ北上します。

磐城の戦いで磐城平城が落とされ、さらに増援が到着した官軍に敗退を重ね、相馬中村藩に降伏の動きがみられると、仙台藩は中村藩との藩境・駒ケ嶺まで後退しました。

仙台藩の命運をかけた駒ケ嶺・旗巻峠の戦い

仙台藩は藩境の要害・駒ケ嶺に兵2,000名、その西の旗巻峠に1,200名を配置して、相馬中村藩兵などを吸収した3,000名の官軍を迎え撃ちます。

実は、兵力3万5千とされる仙台藩が実際に動かせる兵力は7,000名ほどで、藩境の要害に3,200名しか配置できず、やがて駒ケ嶺を官軍に抜かれ、領内に官軍の侵攻を許します。

そして、駒ケ嶺奪還を何度も失敗し、旗巻峠も落ち、後顧の憂いを断った官軍は会津に攻め込みますが、仙台藩は動くことができませんでした。

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  • Google Map 駒ケ嶺

仙台藩の藩論は恭順へ、藩主・慶邦の決断

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戦うたびに敗北が続く状況に、仙台藩では次第に降伏論が高まります。

そこに頼りの米沢藩が降伏の意向との報が入り、このころ病床にあった慶邦はついに降伏を決断したのでした。

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  • Google Map 仙台城(青葉城)跡

まとめ

戦後、仙台藩は藩主・慶邦の謹慎と領地没収を命じられましたが、その後28万石に減封された上で嫡子の宗基(むねもと)の相続が認められます。

しかし、減封によって藩の経済は苦しく、家臣団が帰農したほか、伊達一門の亘理領主・邦成(くにしげ)と家臣達は北海道に集団移住して、今の伊達市を開拓したのでした。

「戊辰戦争と奥羽越列藩同盟」他記事

【福島県】戊辰戦争と奥羽越列藩同盟、福島県内諸藩の事情と決断とは?

【山形県】戊辰戦争と奥羽越列藩同盟、朝敵とされた庄内藩の健闘

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