東北地方の鉄道がモデルの絵本『しゅっぱつしんこう!』の旅程を追ってみよう
目次
福音館書店から出版されている、故・山本忠敬(やまもと・ただよし)さんの絵本『しゅっぱつしんこう!』を読んだ経験のある人は多いと思います。
筆者にとっても、子どもの頃大好きだった絵本のひとつで、今は自分の子にこの絵本を読み聞かせすることもあります。
今回は、東北地方が舞台だとされるこの絵本で描かれている鉄道の旅を解説していきます。
しゅっぱつ しんこう!
『しゅっぱつ しんこう!』のあらすじは「おかあさん」と「みよちゃん」が、特急列車・急行列車・普通列車の3本の列車を乗り継いで「おおきなえき」から「ちいさいえき」に行き「おじいさん」に会うというものになっています。
二人が具体的に日本のどこを旅しているのかについて、文中では一切述べられていませんが、絵からある程度推測することができます。
また、作者の方は、この絵本を作成するにあたって事前に編集部の方と一緒に、取材のために東北地方で列車に乗っています。
絵本の内容はこの取材に沿ったものになっているので、順を追って解説していきます。
とっきゅうれっしゃ しゅっぱつ しんこう!
絵本の最初の文はこのようなものです。
おかあさんと みよちゃんは、おおきなえきから、
とっきゅうれっしゃに のりこみました。
この大きな駅というのは、東北地方随一の大きな駅である「仙台駅」だと考えられます。
また、みよちゃんたちが乗り込んだ特急列車は、絵の中にしっかり描かれている通り「はつかり」号です。
「はつかり」は上野駅と青森駅を結んでいた特急列車です。
描かれている車両は国鉄(現在のJRの前身)を代表する特急形電車である485系です。特急「はつかり」については別の記事で解説しておりますので、こちらもぜひご覧ください。
駅のホームには「12時50分 青森行き」と読める掲示がされています。
筆者の手元にある1978年10月や1982年6月の時刻表によると、12時50分に「はつかり3号」青森行きが仙台駅を発車することになっているので、絵のモデルは「はつかり3号」で確定と言えます。
とっきゅうれっしゃは
ぐんぐん すぴーどを あげて はしります。
次のページでは、12両編成の堂々たる威容を示している「はつかり」の奥の方で、緑色の電車が走っています。
これは東北新幹線の開業時の車両である200系電車で間違いないでしょう。
「しゅっぱつ しんこう!」が初めて出版されたのは1982年8月です。
東北新幹線はその2か月前の6月に大宮駅~盛岡駅間で「暫定開業」しています。作者の方が取材に行ったのはその前年のことで、このページの東北新幹線の電車は、試運転の様子を描いたものだと思われます。
なお1982年11月には東北新幹線は「本格開業」を迎えます。本格開業後は特急「はつかり」の上野駅~盛岡駅間での運行は取りやめられて、盛岡駅~青森駅間での運行に変更されます。
つまりこの絵本のように「はつかり」と東北新幹線が並走する様子が見られたのは、東北新幹線の試運転が始まってから、1982年11月の本格開業までのわずかな期間ということになります。
てっきょうのうえで、
でんききかんしゃと すれちがいます。
鉄橋の上で「はつかり」とすれ違った赤い車両は、ED75形電気機関車です。東北・常磐地区や、北海道や九州で、お客の乗る客車や、貨物を運ぶ貨車をけん引していた車両です。
この絵本の絵では、電気機関車の後方が描かれていないので、どのような列車を引いているのか、あるいは機関車が単独で走っているのかは不明です。
やまのふもとに まちが みえてきました。
特急列車はやがて山のふもとの街に到着します。これは盛岡の街だと考えられます。
仙台駅から盛岡駅までは183.5kmの道のりで、当時の時刻表によると「はつかり3号」の盛岡駅の到着時刻は14時54分なので、仙台駅からの所要時間は2時間4分。
子どものみよちゃんにとってはちょっとした長旅ですね。しかし二人の旅はまだまだ続きます。
きゅうこうれっしゃ しゅっぱつ しんこう!
やまのふもとの えきに つくと、おかあさんと
みよちゃんは、とっきゅうれっしゃを おりて
きゅうこうれっしゃに のりかえます。
盛岡駅と思われる山のふもとの駅に着いた二人は、特急列車を降りて、急行列車に乗り換えます。
急行列車が停まっている、線路が行き止まりになっているホームは、現在の盛岡駅の0番線、いわて銀河鉄道線の列車や、JR花輪線の列車が発着しているホームだと考えられます。
二人が乗り込む急行列車は、後のページでの描写から、盛岡駅から太平洋岸の宮古方面へ向かう山田線の急行列車だと推測されます。
車両は、国鉄時代の急行列車でおなじみのキハ58形気動車です(軽油を燃料にして走る車両であり、電車ではありません)。
ところで、この急行列車はいったい何という名前の列車なのでしょうか?絵から得られる情報は、この列車が急行列車であることと、4両編成であることくらいです。当時の時刻表によると、盛岡駅から山田線を宮古駅の方へ走って行く急行列車は
- 8時58分発 そとやま(盛岡発・宮古~釜石~花巻経由・盛岡行き)
- 12時34分発 よねしろ2号(秋田発・花輪線経由・宮古行き)
- 17時15分発 リアス(盛岡発・宮古経由・釜石行き)
の3本が運行されていました。
絵の急行列車は行き止まりのホームに停車していることから、盛岡駅始発の急行列車だと考えられます。すると秋田駅からやってくる「よねしろ2号」は、候補から外れます。
そして17時15分発の「リアス」に関しては、夏至の時期であっても走っている内に日が暮れてしまうことと、この後で登場する普通列車の最終列車に間に合わなくなってしまうことから、絵本の描写には合致しません。
では「そとやま」で決まりなのかと言われると、それも疑問が残ります。特急「はつかり3号」の盛岡駅への到着は、先ほど記したように14時54分です。盛岡駅を8時58分に出発する「そとやま」どころか、12時34分発の「よねしろ2号」にも間に合いません。これは仮に、特急列車が朝一番の「はつかり1号」(13時57分盛岡着)だった場合でも同じことです。
つまり「はつかり」と山田線の急行列車を乗り継いで、その日の内に旅の目的地である「ちいさいえき」に到着することは不可能なのです。このことはどう解釈すればよいのでしょうか?
実は、この絵本の旅について作者の方は「この絵本は、この取材の旅での私の心象の風景と時間の中を走っている列車の架空の旅のお話」と断っています。作者の方もこの絵本の描写通りの旅は不可能だと認識していたものと筆者は推測します。
きゅうこうれっしゃは やまのなかの えきに つきました。
こんどは ふつうれっしゃに のりかえます。
急行列車から普通列車に乗り換える、山の中の駅のモデルは、山田線の途中にある茂市(もいち)駅だと思われます。
ただし、普通列車が停まっている1番線がなくなっている、線路の上に架かっていた跨線橋が解体されているなど、現在は絵本と変わっているところもあります。また、絵にはしっかりと複数の駅員が描かれていますが、2018年4月に駅員が終日不在の無人駅となっています。
それと、このようなローカル線の駅にも、貨物を運ぶための貨車が停まっていることにも時代が感じられます。
この絵本が出版されて間もない1982年11月に、茂市駅での貨物の取り扱いは終了となり、1986年11月には山田線を走る貨物列車自体が廃止されています。
盛岡駅から茂市駅までは87.0kmの道のりで、急行列車で1時間50分~2時間程度。またまた子どもにとっては長旅でした。
ふつうれっしゃ しゅっぱつ しんこう!
茂市駅で乗り換えた普通列車は、既に廃止された岩泉線の列車がモデルです。
岩泉線は茂市駅を起点として、岩泉町にあった岩泉駅までの38.4kmを結んでいた路線でした。
岩泉線の利用者は昔から少なく、たびたび廃線が議論されてきましたが、代替バスが通れるような道路が整備されていなかったことから、廃止を免れてきました。しかし、廃止は免れたものの利用者の減少は続き、2000年代にはついに日本一利用状況の悪い路線にまでなってしまいました。
そして2010年7月に土砂崩れによる列車の脱線事故が発生して以来、全線での運転を見合わせることとなり、その後一度も列車が走ることのないまま2014年4月1日に廃止されました。
絵本の普通列車はキハ52形気動車(これも電車ではありません)の2両編成で描かれています。描かれている乗客も、これまでに乗ってきた2本の列車よりも少ないように見受けられます。
当時の岩泉線も、このような利用状況だったのでしょうか。
絵本が出版された当時の岩泉線の全区間を走る列車は、1日5往復しかありませんでした(廃線直前は1日3往復でした)。また、茂市駅を18時10分に発車する列車が、岩泉行きの最終列車です。
急行列車の話題のところで述べたように、茂市駅に19時16分に到着する急行「リアス」は岩泉線の最終列車に間に合わないし、そもそも日が暮れてしまっています。
やはりこの絵本の旅はあくまで架空と位置付けるべきもののようです。
やまのおくの ちいさいえきに つきました。
ついにおかあさんとみよちゃんは、旅の目的地である小さい駅に着きました。
小さい駅のモデルは、岩泉線の終点である岩泉駅の2つ手前にあった浅内(あさない)という駅とのことです。茂市駅からは31.0kmの道のりで、所要時間は40分~50分程度でした。
作者の方は「編集部の方の勘」でこの駅で降りたとのことですが「絵本の終着駅にそのまま使えるピッタシの駅」とコメントしています。
絵の中で普通列車の運転士と駅員が手渡しを行っているのは、列車の運行の安全を確保するために必要な「タブレット」だと思われます。これを持っている列車だけが次の駅へ向かって走ってよいというルールになっていることで、列車同士の衝突を防ぐという仕組みです。なお、浅内駅も1986年に無人駅となっています。
絵本の最後のページの、おかあさんとみよちゃんが、おじいさんや友達と対面する場面で描かれている駅の時計は、6時7分を示しています。朝の6時ということはありえないでしょうから、18時7分と考えられます。
しかし、当時の時刻表によると18時頃に浅内駅に到着する列車も存在しないので、これは完全に架空の時刻設定と見てよさそうです。
大きい駅を出発したのは12時50分ということでしたから、小さい駅まで5時間あまりかかったことになります。これまでに乗った3本の列車の、現実での所要時間の合計はおよそ5時間になりますから、最後のページの時計は、このような時刻に設定されたのかもしれません。
浅内駅の駅舎は、岩泉線が廃止された現在も残されています。廃止された岩泉線の代替となるバス(岩泉茂市線)が、付近のバス停を1日3便程通るので、公共交通機関で訪れることも一応可能です。
Information
- 名称 浅内駅駅舎
- 所在地 岩手県下閉伊郡岩泉町浅内上糸坪
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仙台駅から浅内駅まで、日中に移動することは可能だったのか?
繰り返しになりますが、絵本に描かれているように、
特急「はつかり」→山田線の急行列車→岩泉線の普通列車
を乗り継いで、仙台駅から浅内駅までを1日の内に移動することは、現実では不可能でした。
ではどうすれば1日の内に移動できたのでしょうか?そのためには、特急「はつかり」か、山田線の急行列車のどちらかについて、乗車する列車を変更することになります。
例えば仙台駅を12時50分に出発する「はつかり3号」で14時54分に盛岡駅に着いた後、14時58分盛岡始発の釜石行き普通列車に乗り換えれば、17時17分に茂市駅に到着します。そして茂市駅を18時10分に出発する岩泉線の最終列車に乗り換えれば、18時58分に浅内駅に到着します。
あるいは仙台駅を10時ちょうどに出発する急行「くりこま3号」青森行きに乗れば、盛岡駅に12時28分に到着します。
あとは12時34分に盛岡駅を出発する急行「よねしろ2号」が14時25分に茂市駅に到着し、15時8分発の岩泉線の普通列車に乗り換えれば、15時56分に浅内駅に到着します。
この辺りが現実的な旅程になるでしょうか。
いずれの旅程にしても、仙台駅から浅内駅まで301.5km、所要時間は6時間程度という結構な長旅になります。この長い旅をどうにかして乗り切ったみよちゃんとおかあさんに感服してしまいます。
まとめ
「しゅっぱつ しんこう!」で描かれている鉄道の旅は、旅程こそ架空のものではあります。
しかし、作者の方の取材に基づいて描かれている絵は写実的で、甘さがありません。もしも今後この絵本を手にする機会があったならば、ぜひ物語だけでなく絵の細部にも目を向けてみてください。
なお最後なので余談を記します。
「出発進行」とは「出発信号機が進行」である、つまり出発の可否を示す「出発信号機」が青信号であるということを、列車の運転士が確認するために発する言葉です。
決して「さあ出発するぞ!」という意気込みみたいなものを表す言葉ではありません。豆知識として記憶にとどめていただけると幸いです。