三湖伝説 - 旅する八郎太郎

【北東北の三湖伝説:後編】物語を肉付けする各地に伝わるサイドストーリー

前編では三湖伝説の本筋と、物語の体系化に関する考察を紹介しましたが、後編では本筋と少し外れた様々なサイドストーリーを紹介します。


新天地を求め…辰子に会うため…各地を旅した八郎太郎

三湖伝説のサイドストーリーは南祖坊に敗北し八郎潟に辿り着くまで、そして、辰子に会うための田沢湖への道のりを描いた寄り道譚が主なものとなります。

八郎太郎と鹿角の43体の鎮守の神様

南祖坊に敗れ、十和田湖を追われた八郎太郎は鹿角の里(秋田県鹿角市)に辿り着きます。

そして里を見下ろしながら、小坂川、大湯川、米代川の合流地点をせき止めれば鹿角盆地を大きな湖としてここを住処にできると考えます。そこで八郎太郎は近くの山に縄をかけて背負い、川の合流地点をせき止めようとしました。

三湖伝説 - 八郎太郎と鹿角の43体の神様
八郎太郎と鹿角の43体の神様

この様子を見て慌てたのは鹿角の43体の鎮守の神様たちです。神様は大湯のお宮に集まり八郎太郎を追い出すための相談をしました。そして鍛冶屋に金槌などをつくらせ、牛で運ばせ、八郎太郎が造った堰を壊したのでした。

こうして神様たちの反撃に遭い、住処を失った八郎太郎は再び米代川沿いに下って行ったのでした。


八郎太郎と七座の天神様

鹿角を追われた八郎太郎は、米代川沿いに下り七座山(秋田県能代市)付近に辿り着きます。

そして蛇行している米代川をせき止めて湖をつくり住処にしようとしますが、今度は七座山に住む8柱の神々の横やりが入ります。神々は相談して一番賢い七座天神との力比べを八郎太郎に提案します。

三湖伝説 - 八郎太郎と七座の天神様
八郎太郎と七座の天神様

石投げで競うことになった二人は交互に大きな石を投げます。八郎太郎の投げた石は米代川の中ほどに落ちますが、七座天神は八郎太郎よりも大きな石を軽々と投げ、その石は米代川をはるか越えていきました。

勝負に負けた八郎太郎は、七座天神から「天瀬川の方にもっと広い場所がある」という話を聞き、素直にこの地を去ることを受け入れます。

すると七座天神は自身の使いである白鼠を呼び寄せて堤に穴をあけます。一気に流れ出した水の勢いに乗り、八郎太郎は更に下流へと下っていくのでした。


八郎太郎と天瀬川の老夫婦

米代川を下り、七座天神に聞いた天瀬川(秋田県山本郡三種町)に辿り着いた八郎太郎は一夜の宿を求めて歩き回ります。そして年老いた心優しい老夫婦に出会い、一宿一飯の恩を受けることになりました。

三湖伝説 - 旅の僧に化けた八郎太郎と潟屋の老夫婦
旅の僧に化けた八郎太郎と潟屋の老夫婦

すると八郎太郎は二人に礼を述べ、自身が龍であると正体を明かし、明朝、鶏が鳴くと同時に大地が割り洪水を起こしてこの地を湖とすることを告げます。

老夫婦は驚きながらも八郎太郎のお話を信じ、避難しようと荷物をまとめました。

翌朝になり鶏の声が響くと、八郎太郎の言葉通りに轟音とともに水が溢れだします。避難を始めていた老夫婦ですが、姥が逃げる途中で忘れ物に気づき慌てて取りに戻り水に攫われ溺れてしまいます。

龍の姿となりこれに気づいた八郎太郎は、助けようと尾で姥をはじきますが、方向を間違えて翁とは反対の岸に飛ばしてしまいます。こうして老夫婦は命は助かりましたが離ればなれに暮らすこととなってしまいました。

この時できた湖が八郎潟で、八郎太郎はこの地の主となったといわれています。


八郎太郎と一ノ目潟の女神

八郎潟の主となった八郎太郎でしたが、冬に湖が凍るのを嫌い方々を訪ね歩き、男鹿の北浦に冬も凍らない一ノ目潟(秋田県男鹿市)があることを聞きつけ冬の間の棲み家にしようと考えます。

三湖伝説 - 八郎太郎と一ノ目潟の女神
八郎太郎と一ノ目潟の女神

困った一ノ目潟の女神は弓の名手である武内弥五郎真康(たけのうちやごろうまさやす)を頼ります。真康は女神に八郎太郎を追い払うにはどこを狙えばいいか尋ねると、女神は八郎太郎は寒風山の上から黒雲に乗って現れるのでそれを目当てに矢を打てば良いと答えました。

真康は先祖伝来の弓矢を携えると、一ノ目潟のほとりの三笠の松に姿を隠して八郎太郎が現れるのを待ち、黒雲が現れたタイミングで矢を放ちました。

矢は見事に命中しますが、八郎太郎は「この恨みは子孫七代まで必ず片眼にする」といいながら抜いた矢を真康めがけて投げ返します。

矢は真康の左目にあたり、八郎太郎の言葉通り、七代後の子孫まで左目が不自由だったと言われています。


辰子に会う旅路の途中、各地で宿を求めた八郎太郎

田沢湖の辰子の噂を聞きつけた八郎太郎は僧侶の姿で辰子のもとへと向かいます。その旅路の途中、潟上の足洗の井戸で身だしなみを整え、男鹿、上淀川、西明寺、中川、神宮寺、土川、秋田などで宿を求めながら田沢湖へと向かったとされています。

三湖伝説 - 足洗の井戸で身だしなみを整える旅の僧に化けた八郎太郎
足洗の井戸で身だしなみを整える旅の僧に化けた八郎太郎

宿には泊めたお礼に薬の製法を授けてくれたなどのいい話がある一方で、「見るな」のタブーを破り、八郎太郎の寝姿を覗いた者がいる宿は、後に廃れて滅びてしまったといわれています。


まだまだある!八郎太郎の伝承

この他にも八郎太郎が登場する伝承は数多くあるようです。以下にその一部をご紹介します。

  • 三戸岳の下滝川をせき止めて、青森県の三戸郡を湖にしようとしたが、長谷の観音や諏訪明神などに攻撃されあきらめた。
  • 八郎太郎は新天地を求めて北上川の高水寺付近(岩手県紫波町)に来たが、権現に止められて花輪(秋田県鹿角市)に移った。
  • 青森県八戸市の新井田川の上流の島守盆地で八郎太郎がモッコで土を運んだところが、一モッコ(青森県八戸市南郷大字島守一本向)、二モッコ(不明)として地名に残っている。
  • 階上岳(青森県三戸郡階上町)をひっぱって住処を作ろうとしてひっくり返った所が浜名だという伝説がある。
  • 馬渕川(青森県三戸郡南部町)の赤石沢と竜の口の間に三戸の城山を担いで来たが、諏訪の神に止められた。
  • 三戸郡倉石村のはなれ森は、八郎太郎が十和田湖に行く途中に五戸川の水をせき止めて沼にしようとしてモッコで担いだ跡だといわれている。

これらは主に南祖坊に敗北した八郎太郎が、米代川沿いに西に下ったのではなく、十和田湖から東に下ったいう伝承です。中にはかなり南に下った岩手県紫波町の伝承があるのも興味深いですね。


まとめ

普通は、伝承・言い伝え・昔話といわれるものは5分もあればさっと読めるもの…と思っていましたが、三湖伝説は規格外の壮大な民間伝承だとわかりました。

進化を続けている物語だということを考えれば、未来にはもっと内容が濃く深くなっていくのかもしれませんね。今後も三湖伝説の進化を見守っていこうと思います!


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