【福島県会津若松市】戊辰戦争の痕跡が残る唯一の現存する建築物「旧滝沢本陣」
旧滝沢本陣(別名:横山家住宅)は鶴ヶ城から北東に約3km、会津若松から白河を通り江戸へと続く滝沢峠の入り口付近の旧白河街道沿いにある、東北地方最古の民家といわれる建築物です。
歴代の会津藩主が白川街道を通る際の休息所
現存する建築物は延宝4年(1678年)に建築され、滝沢組郷頭だった横山家に設けられたことから別名:横山家住宅とも呼ばれています。
歴代会津藩主の江戸への参勤交代や領内巡視、藩祖保科正之をまつる猪苗代の土津神社への参詣などの際に、白河街道・滝沢峠へ入る前の支度処、休息所として使用されていました。
敷地と建物は、江戸時代の交通・通信・経済・生産活動などを知るうえで重要として、1970年に国の史跡に指定されています。
さらに茅葺書院造の主屋は東北地方最古の民家ともいわれており、座敷部分は19世紀初めに一度建て替えられていますが、その希少性から主屋、座敷ともに1971年に国の重要文化財に指定されました。
当時の藩主の在所であった御座之間の脇には遠州流の庭園も設けられています。
戊辰戦争時に松平容保が白虎隊に出陣を命じた場所
江戸時代末期の戊辰戦争の渦中である慶応4年8月、二本松を占領した新政府軍は会津に向けて進軍します。
そして8月21日、新政府軍は母成峠で進軍を食い止めようとする旧幕府軍(会津藩、他諸藩の連合軍)を破り、約40kmの距離を急進して8月23日早朝に若松城下に突入しました。
会津藩の本営が置かれていたこの滝沢本陣にいた会津藩主 松平容保(まつだいら かたもり)は虚を突かれる形になり、予備兵力だった白虎隊にも出陣を指示します。しかしあえなく敗北し、この滝沢本陣も戦場と化しました。
邸内にはその時の弾痕や刀傷など、生々しい戦いの痕跡が今でもそのまま保存されており、当時の様子を垣間見ることができます。
戊辰戦争時の遺構の数々は、鶴ヶ城をはじめとして大半が焼失しており、当時の様子をそのまま伝えるこの旧滝沢本陣は、そういった意味でも貴重な建築物となっています。
まとめ
旧滝沢本陣にはこの他に歴代藩主の愛用した身回りの品や参勤交代の道具類、古文書なども保管されています。
会津若松の観光名所である飯盛山から徒歩五分程度と近い場所にあるので、飯盛山観光の際に少し寄り道してみるのもいいかもしれません。
旧滝沢本陣<Information>
- 名 称:旧滝沢本陣(横山家住宅)
- 住 所:〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢122
- 電話番号:090-7334-9277
- 公式URL:会津若松観光ナビ – 旧滝沢本陣