【岩手県盛岡市】盛岡のパワースポット4選!歴史好きが訪れるべき史跡をご紹介
目次
盛岡市の歴史は、遠く平安時代に征夷大将軍の坂上田村麻呂が志波城を築いた事までさかのぼります。
南北朝時代になると、甲斐源氏につながる三戸(青森県三戸町)南部氏が南に勢力を伸ばし、盛岡城の前身となる不来方(こずかた)城が築かれました。
江戸時代初期の1615年に、南部氏27代(盛岡南部家2代当主)の南部利直によって不来方城が改修されて盛岡城が築かれ、そこに形成された城下町が現在の盛岡市の始まりです。
志波城古代公園(しわじょうこだいこうえん:上鹿妻)
803年、蝦夷の首長であった阿弖流為(アテルイ)を降伏させた征夷大将軍の坂上田村麻呂が、陸奥国最北端の防衛のために造った古代城柵で、陸奥国の国府多賀城(宮城県)と匹敵する規模だったと言われています。
高速道路工事に伴う発掘調査にて発覚
1976年に東北自動車道建設前の発掘調査によって、それまでにあった小さな遺跡が志波城跡である事がわかり、1983年に国指定の史跡に認定されました。
この志波城がいわば、歴史に残る盛岡誕生の基となるパワースポットであり、平安時代初期では盛岡が大和朝廷と蝦夷との境だったことを示す史跡です。
INFORMATION
- 施設名:志波城古代公園
- 所在地:岩手県盛岡市上鹿妻五兵エ新田47-11
- 電話番号:019-658-1710
- 入場時間: 9:00~17:00(案内所およびトイレ、公園内はフリー)
- 定休日:年末年始
- URL:盛岡市 公式サイト
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三ツ石神社の鬼の手形(名須川町)
もりおかの別名「不来方(こずかた)」の地名の由来となった「鬼の手形」がある三ツ石神社は、お寺が多い名須川町という閑静な住宅街の中にひっそりとたたずむパワースポットです。
境内には小さなお社のほかに、岩手山の噴火で飛ばされたという伝説がある、しめ縄や鎖でしばられた巨岩が3つあり「三ツ石神社」という名前の由来になっています。
実は今では鬼の手形ははっきり見えず探すのをあきらめる観光客が多いのです、写真では右側の岩の緑のコケが生えているところにあるとされ、手の形が不明瞭ですがその部分だけコケが生えないとされています。
また、お社にまだはっきり見えていたころのレプリカが飾られているので、見比べて探してくださいね。
鬼の手形が「不来方」と「岩手」の由来
その昔「羅刹(らせつ)」という鬼がここに住み着いて里人々や旅人などに悪さを働くので、里人たちが困り果てて「三ツ石様」に退治をお願いしたところ、三ツ石の神様は3つの大石に羅刹を縛り付けました。
羅刹は降参し二度と悪さをせず、この地にも二度と戻ってこないとの証しとして、大石に手形を残して南の南昌山の方へ逃げていったと伝えられ、「不来方」は鬼が二度と来ないとの意味を表わしています。
羅刹が岩に手形を残したので「岩手」と呼ばれるようになり、鬼が逃げた事を喜んだ里人たちが三ツ石を囲み「さんささんさ」と踊って感謝したのが、さんさ踊りの始まりというのが定説です。
毎年、8月1日から開催される「盛岡さんさ踊り」が始まる前に、毎年選ばれる「ミスさんさ踊り」の皆さんが、開催中の無事を祈ってさんさ踊りを奉納します。
INFORMATION
- 施設名:三ツ石神社
- 所在地:岩手県盛岡市名須川町2-1
- 電話番号:019-622-2061
- URL:岩手県観光ポータルサイト
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盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん:内丸)
城下町盛岡を訪れたなら、必ず足を運んでいただきたい史跡はやはりここでしょう。
天守閣も櫓もなく、現存しているのは石垣と城の縄張りと濠跡の池などですが、散策すれば「三日月の丸くなるまで南部領」とされた大藩、南部藩の城としての風格を感じます。
1906年に「岩手公園」として整備され、開園100年にあたる2006年に「盛岡城跡公園」との愛称が付けられて、春は桜の名所として、秋は紅葉の名所として盛岡市民に愛されています。
なお、盛岡市では天守閣の写真や図面などの資料を収集するなどして、盛岡城の復元を目指しています。
南部利祥中尉銅像の台座(御本丸跡)
太平洋戦争以前の城跡には、日露戦争で活躍しながらも戦死した南部家第42代当主の南部利祥中尉の銅像がありましたが、戦争中の金属類回収令で供出され、今も復元されずに台座のみが残されています。
城跡の石川啄木歌碑、宮沢賢治詩碑、新渡戸稲造記念碑などを巡る
盛岡城跡にはたくさんの記念碑があり、それらを巡ることで盛岡の歴史に触れることができます。
石川啄木(いしかわたくぼく)歌碑(二の丸跡)
盛岡出身の歌人、石川啄木の記念歌碑です。
文学に目覚めた若き日の啄木が学校を抜け出して本を読んでいたとされる二の丸跡にあり、彼の心境を詠んだ「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」という有名な歌が刻まれています。
宮沢賢治(みやざわけんじ)詩碑(旧県立図書館広場)
宮沢賢治は花巻出身ですが、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に通学していました。
碑に刻まれた「かなたと老いしタピングは…川と銀行木のみどり まちはしづかにたそがるゝ」との詩は、賢治が無くなる1ヶ月前の昭和8年8月につくられた文語詩です。
INFORMATION
施設名:盛岡城跡公園(岩手公園)
所在地:岩手県盛岡市内丸1番37号
電話番号:019-681-0722(NPO法人 緑の相談室)
URL:盛岡城跡公園 公式サイト
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櫻山神社(さくらやまじんじゃ:内丸)
櫻山神社は1749年に33代当主で盛岡藩7代藩主の南部利視(としみ)公によって建立され、南部藩総鎮守として現代においても盛岡市民に信仰されています。
現在の本殿・拝殿・神門は1899年に建立されたもので、120年以上の間、盛岡を見守ってきました。
祭神として南部家初代当主の光行公、26代当主(初代藩主)の信直公と、その長子で27代当主(2代藩主)の利直公、そして36代当主(盛岡藩11代藩主)の利敬(としたか)公が合祀されています。
盛岡藩のお守り岩「烏帽子岩」
櫻山神社の奥にある「烏帽子岩(えぼしいわ)」は27代当主(盛岡藩初代藩主)利直公が盛岡城を築城する際に、この周辺を掘り下げた時に出てきた大岩です。
掘り下げる以前のその場所には別の神社があり、神域から出た岩であることから盛岡藩の「宝大石」として祀られています。
INFORMATION
- 施設名:櫻山神社
- 所在地:岩手県盛岡市内丸1-42
- 電話番号:019-622-2061
- 営業時間:9:00~20:30(参集殿利用時間)
- URL:櫻山神社 公式サイト
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まとめ
盛岡の代表的なパワースポットには、ほかに「盛岡八幡宮」や「報恩寺の五百羅漢」などたくさんありますが、今回の記事では今の盛岡ができる礎となった史跡に焦点を当ててみました。
盛岡へお越しの際にはぜひ立ち寄っていただいて、みちのくの小京都・盛岡の歴史を感じてください。