【秋田】八郎太郎伝説とは?秋田県民もあまり知らない3つのエピソードをご紹介
秋田には八郎潟の龍神である八郎太郎が人間から龍となり、八郎潟に住まい田沢湖の辰子姫と結婚するまでの八郎太郎伝説が各地に残されています。
この記事では多くの八郎太郎伝説の中から、秋田県民もあまり知らない3つのエピソードを選んでご紹介します。
【episode1】八郎太郎の失恋
八郎太郎が田沢湖の辰子姫と結ばれた話はよく知られていますが、その前に別の女性を好きになっていたことはあまり知られていません。
しかし、八郎太郎伝説の中には八郎太郎が八郎潟に住み着いた後、冬に八郎潟が凍ってしまうため凍らない湖を求めて探し回った結果、男鹿の北浦という場所にある一ノ目潟とそこに住む女神に目をつけ通い始めるという話が残されています。
一ノ目潟の女神は困り、京都出身の弓の名手、武内弥五郎真康(たけのうちやごろうまさやす)に八郎太郎を追い払ってくれるように頼みました。
真康は女神に八郎太郎を追い払うには狙いをどこに定めたらよいか尋ねると、女神は八郎太郎が寒風山の上から黒雲に乗って現れるためそれを目当てに矢を打てば良いと答えたのです。
真康は先祖伝来の弓矢を準備すると、一ノ目潟のほとりの三笠の松に姿を隠して八郎太郎が現れるのを待ち、黒雲が現れたタイミングで矢を放ちました。
矢は八郎太郎に当たったため体から矢を抜き、「この恨みは子孫七代まで必ず片眼にする」といいながら矢を真康めがけて投げ返します。
矢は真康の左目にあたってしまい、以後七代目の子孫まで左目が不自由だったと言われます。
この後八郎太郎は一ノ目潟の女神をあきらめ田沢湖の辰子姫のところに通うようになりましたが、一ノ目潟に住む鮒はみんな片眼になってしまいました。
八郎太郎が失恋しただけではなく、冬に住めると思っていた一ノ目潟もあきらめざるを得なくなるエピソードで少しかわいそうな展開ではありますが、一ノ目潟の女神からすると住む場所を目当てに言い寄られた形にも見えるので、痛み分けの結果だと言えるのではないでしょうか。
【episode2】八郎太郎の泊まった宿
八郎太郎伝説の中には、八郎太郎が一の目潟や田沢湖に通う際に泊まった宿についての話が残っています。
場所は男鹿、上淀川、西明寺、中川、神宮寺、土川、秋田市など秋田県内でもさまざまなのですが、どの土地に伝わっている伝説でも共通しているのが、「見るなのタブー」の話型であることです。
「見るなのタブー」とは何かをしているところを「見てはいけない」と禁止されていたにもかかわらず、それを破ってしまったために悲劇的な結果や恐ろしい目に合うというストーリーで、日本神話や民話などにも多く見受けられます。
八郎太郎伝説においては八郎太郎が僧侶の姿で宿泊し「部屋を決してのぞかないように」と念押しするのですが、誤って家の人が八郎太郎の寝姿を見てしまい、それ以来八郎太郎が泊まりに来なくなるのはもちろん、その他の客も来なくなり宿は廃れてしまうのです。
【episode3】菅江真澄が「十曲湖」に記録した「八郎太郎伝説」
江戸時代後期の旅行家・博物学者の菅江真澄(すがえ ますみ)は1807年8月に十和田湖周辺について書いた紀行文「十曲湖(とわだのうみ)」の中で鉛山鉱山に宿泊し、休屋で南祖坊と八郎太郎の物語を聞いています。
八郎太郎伝説については、マタギだった八郎太郎が仲間と共に奥瀬山に入り、イワナを仲間の分まで食べた所のどが渇き、水を気が済むまで飲んだ所人間の姿ではなくなってしまったため、身に着けていた蓑笠を親や同胞に渡してほしいと仲間に言づけるという話が十曲湖内に書き残されているのです。
「十曲湖(とわだのうみ)」は秋田叢書別集第一に収録されているため、原文を読んでみたい人は国立国会デジタルコレクションから目を通してみましょう。
参考:国立国会図書館デジタルコレクション「秋田叢書別集第1」
まとめ
八郎太郎伝説の中では八郎太郎が龍の姿となって八郎潟の主となり、辰子姫と結ばれる話が有名ですが、秋田県内に伝わる他の伝説の中にも興味深いエピソードがたくさんあることがわかりました。
この記事も参考に、ぜひさまざまな八郎太郎伝説に触れてみてください。