【山形県鶴岡市】農民たちによって500年間独自に発展してきた国の重要無形民俗文化財「黒川能」

月山の麓、鶴岡市黒川の春日神社では、神事能として氏子(農民)によって500年もの間伝承され、国の重要無形民俗文化財に指定されている民俗芸能『黒川能(くろかわのう)]が奉仕上演されます。


観阿弥・世阿弥時代の能楽を色濃く残す「黒川能」

能楽には、観世流(かんぜりゅう)、宝生流(ほうしょうりゅう)、金春流(こんぱるりゅう)、金剛流(こんごうりゅう)、喜多流(きたりゅう)という能楽五流派が現存していますが、『黒川能』はどの流派にも属しておらず独自の伝承を続けてきました。そのため五流ではもう演じられることのない演目や古い様式などが数多く残っているのも特長となっています。

江戸時代までは猿楽能といわれ、5流派を中心に独自の世界を築いた能楽

能楽のもととなったのは、奈良時代に中国から伝わった散楽(さんがく)で、曲芸や軽業、奇術、歌舞、物真似など雑技といわれるさまざま芸のひとつだったといわれています。平安時代には散楽は猿楽(さるがく)といわれるようになりました。猿楽となった理由は定かではありませんが、鎌倉時代までにはその中から曲芸や物真似などが独立していき、猿楽は歌舞劇として寺院などで演じられるようになります。

猿楽図(写本/江戸後期) 能楽 所蔵:国立国会図書館
猿楽図(写本/江戸後期) 狂言 所蔵:国立国会図書館

猿楽はさらに静かに演じられる歌舞劇である能と笑いを中心にした狂言に別れ、発展していきます。


観阿弥・世阿弥が築いた能狂言の基礎

能面「大飛出」 蔵王権現(ざおうごんげん)や別雷(わけいかずち)の神といった、荒々しい神の役に用いる能面 江戸時代の作 所蔵:東京国立博物館

室町時代(1336年~1573年)には、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子が演じた猿楽能を、時の将軍足利義満が大変気に入り、幕府の庇護のもと芸術性を高めていきます。江戸時代には観阿弥・世阿弥の起こした観世流をはじめ、宝生流、金春流などの能楽五流派が将軍や各地の大名などの支援を受けながら覇を競っていました。

猿楽能が「能楽」と改められたのは明治時代に入ってからで、当時の猿楽能推進派の人たちが“猿”という響きを嫌ったからといわれています。


室町時代後期には黒川に伝わっていた能楽

黒川能の起源は、800年頃に第56代清和天皇が黒川に訪れた際に伝えられたとか、あるいは1400年頃全国行脚中の天皇の皇子が黒川に立ち寄った時とか諸説ありますが、室町時代後期には黒川に伝わっていたという説が有力になっています。

当時庄内地方を治めていた大宝寺氏(だいほうじ)/の11代大宝寺淳氏(きようじ)は、1464年に京都で将軍足利義政に謁見します。京都では猿楽能が盛んに演じられていて、それを淳氏が鑑賞したのではないかと云われています。また、1522年には大宝寺晴時が足利義晴に謁見しています。この出来事の後に猿楽能が黒川に伝わったと考えるのが自然です。

江戸時代には、藩主の酒井氏が「黒川能」を庇護し、城中での上演に際し諸道具や能装束類を支援し、黒川能は大きく発展を遂げます。

能楽百番「弓八幡」「羽前国黒川能」(大正時代)所蔵:立命館ARC

「黒川能」で氏子により演じられる能狂言は能540番、狂言50番

黒川能の担い手は今も昔も『春日神社』の氏子です。氏子衆は上座(かみざ)と下座(しもざ)のふたつの座に分かれ、それぞれが能と狂言を演じます。能の舞方(まいかた/能のシテ・ワキ・地謡を含む役者)から囃子方(はやしかた/楽器で伴奏)、狂言方(きょうげんかた/笑いが中心のせりふ劇を演ずる役者)などを含め総勢140名ほどで、ほかに能面250点、能装5,500点、演目数は能540番、狂言50番など民俗芸能としては大変大きな規模です。

春日神社 ©黒川能保存会

黒川能が奉納される『春日神社』は、平安時代初期の807年に創建されたと伝えられています。1609年には社殿が建立され、社殿内に舞台も造られました。1674年には庄内第3代藩主酒井忠義(ただよし)が本殿を造営し、1739年に酒井藩により拝殿が造営されています。酒井藩が黒川能をいかに重要視していたかがわかります。


2月1日から2日間、夜を徹して黒川能が奉仕される『王祇祭』

『大地踏』下座/春日神社旧例祭・王祇祭(平成25年) ©黒川能保存会

黒川能が奉仕上演されるのは、毎年2月1日から2日間斉行される『春日神社』の旧例祭「王祇祭(おうぎさい)」です。2月1日早朝に上座、下座の最年長者の自宅である“当屋”に神様の依代である『王祇様』をお迎えして午後6時頃から演能が始まり、両座とも夜を徹して神様をもてなします。

『王祇様』とは3本の棒の頭に紙垂(しで/しめ縄や玉串などの前に垂らす折った紙)が巻かれ、柱に白い布を巻き開くと扇状になるように繋がれています。神様の依代である王祇様の前で幼児が務める“大地踏(だいちふみ)”で「黒川能」がはじまります。当屋で奉仕される能狂言は、黒川能保存会を通じて一般の見学も可能です。また、最近は長老宅ではなく公民館などを借りて開催されることも多くなっています。

翌2日は午前8時頃に王祇様が春日神社に還り、祭典の後に社殿内の能舞台で、上座、下座がそれぞれ能一番、両座立会の大地踏と式三番が演じられた後に神事が行われ、午後5時頃に「王祇祭」は幕を閉じます。

野外能楽「水焔の能」 ©やまがたへの旅

『春日神社』では3月23日「祈年祭」・5月3日「例大祭」・11月23日「新嘗(にいなめ)祭」においても黒川能が奉仕上演されます。また、7月15日に羽黒山山頂で開催される「出羽三山神社 花祭」への奉納能。イベントとして「水焔(すいえん)の能」(7月最終土曜日)、「黒川蠟燭(くろかわろうそく)能」(開催時期不定)でも演じられます。


「王祇祭」にはなくてはならない豆腐を焼いて凍らせた「凍み豆腐」

凍み豆腐を作るため当屋集落の人たち総出で5,000本もの豆腐を焼く ©黒川能保存会

「王祇祭」は伝統料理“凍み豆腐(しみどうふ)”が振る舞われるため、別名“豆腐祭”と呼ばれています。準備は1月中旬に各当屋集落の人たちが約5,000本もの直方体に切られた豆腐を焼くことから始まり、後1度凍らせて凍み豆腐の完成です。祭り当日に味噌風味で煮た凍み豆腐に、酒、醤油、胡桃、海苔、山椒などで味付けをした“二番汁”といわれるタレにつけ、当屋へ奉納に訪れた人も含め「王祇祭」に関わるすべての人たちに提供されます。

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  • 名称:王祇祭
  • 開催場所:春日神社(座中当屋)
  • 所在地::山形県鶴岡市黒川字宮の下291
  • 電話番号:0235-57-3019(春日神社社務所)
  • 「王祇祭」(斎行期間):2月1日~2月2日
  • URL:黒川能

黒川能の資料を展示「黒川能の里・王祇会館」

王祇会館 ©王祇会館

「黒川能の里・王祇会館」は、黒川能を広く紹介する展示する資料館です。稚児舞「大地踏」を実物大の人形で再現しているほか、「王祇祭」「黒川能の1年」「水焔の能と蝋燭能」「豆腐祭 -昭和41年-」の映像を大型スクリーンで見ることもできます。上座、下座、春日神社所蔵の装束や能面なども展示されていて、黒川能が肌で感じられる施設です。

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  • 施設名称:黒川能の里・王祇会館 (公益財団法人黒川能保存会)
  • 所在地:鶴岡市黒川字宮の下253
  • 電話番号:0235-57-5310
  • 開館鑑賞:9:00~16:30
  • 休館日:水曜日・年末年始
  • 入館料:おとな 400円、小中高生 200円
  • アクセス
  • 鉄道/JR羽越本線鶴岡駅からタクシーで約20分
  • 車/山形自動車道鶴岡ICから山形市方面に約20分
  • URL:王祇会館

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