【秋田県】平福百穂とは?作品から鑑賞できる場所まで詳しくご紹介
秋田県生まれの画家として平福百穂が有名なのは知っているけれど、具体的にどのような作品を残したかまではよくわからないという人も多いのではないでしょうか。
この記事では平福百穂の作品の内容から鑑賞できる場所まで詳しくご紹介します。
平福百穂とは?
平福百穂は日本画家の平福穂庵の四男として、1877年に秋田県角館町に生まれました。
1890年より父に絵を学び始めますが、不幸にも平福穂庵はその年の12月に亡くなってしまいます。
しかし平福百穂は平福穂庵の後援者の方からの援助を受けて上京し、1894年には日本画家で東京美術学校教授でもあった川端玉章に弟子入りするのです。
その後自然主義と古典が融合した作品を生み出す一方で、短歌雑誌「アララギ」の中心人物とも言える伊藤左千夫と親しくなり、歌人としても活動するようになります。
平福百穂は日本画家、そして歌人として多数の作品をこの世に残した後、1933年にこの世を去りました。
平福百穂の作品について
平福百穂は日本画家と歌人、2つの道で大成していますが、それぞれの分野でどのような作品を残したのでしょうか。
絵画と短歌に分けてご紹介します。
絵画
平福百穂の作品は文展、帝展などの官設公募美術展や、七絃会展などのグループ展でも多数入賞しているのですが、現在国立近代美術館に所蔵されている「富士山の図」は平福百穂の作品の中では数少ない富士山を題材とした絵画として有名です。
「富士山の図」は2点あり、灰色の空に白く浮き上がる富士山の姿を描いたものと、青い山肌が白い雲海に包まれ、冠雪が見える富士山の姿を描いたものがあります。
同じ題材でも前者は富士山のなだらかな形の山肌と霞んだような雲の表現が一抹の不安を感じさせるのに対し、後者は白い雲海の中でも山頂が見える富士山の姿にどこか希望を感じさせる絵画となっています。
他にも文展で特選だった「豫譲」、優雅な紅白2つの牡丹を描いた「富貴花図」などたくさんの絵画が残っているので、興味のある人は鑑賞してみましょう。
短歌
平福百穂はアララギ派の歌人として活動し、歌集「寒竹」を残しています。
また平福百穂の7回忌を記念して1939年に建立された「百穂先生之碑」には次の2つの歌が並刻されているのです。
うつろへる川の流れを見るにさへ年ふりにけり国を出しより
ひとときに芽吹き立ち匂ふみちのくの明るき春にあひにけるかも
1つめの歌には若くして上京した自分は、今は川の流れを見るだけでも年老いたと感じるようになったという、しみじみとした感情が表現されています。
また2つめの歌は、一瞬にして植物が芽吹くみちのくの春に明るい希望を感じていることがいきいきと表現されているのです。
自然を愛した平福百穂らしい、素晴らしい短歌だと言えるでしょう。
平福百穂の作品を鑑賞するには?
平福百穂の残した絵画作品の数々は、どこで鑑賞できるのでしょうか。
平福百穂の絵画が収蔵されている美術館は次の通りです。
- 角館町平福記念美術館
- 秋田県立近代美術館
- 秋田市立千秋美術館
- 北海道立近代美術館
- 福島県立美術館
- 東京国立近代美術館
- 東京国立博物館
- 世田谷美術館
- 青梅市立美術館
- 小田急美術館
- 京都国立近代美術館
- 熊本県立美術館
興味のある人は、ぜひ各地の美術館に足を運んでみましょう。
まとめ
平福百穂は秋田県角館町に生まれ、日本画家と歌人の2つの道で大成した人物で、現在でもたくさんの作品が日本各地の美術館に収蔵され、人々の心を楽しませていることがわかりました。
平福百穂に興味を持った人は、この記事も参考にしてぜひたくさんの作品に触れてみてください。