【東北】行ってきました!鉄道開業150年記念!JR東日本パスの旅。2日目後編①
目次
の続きになります。
2日目前編では秋田から盛岡、一ノ関を経由し平泉へ到着し中尊寺町営駐車場内の「泉橋庵」でわんこそばを食べました。
食後はいよいよ世界遺産の中尊寺、毛越寺へと向かいます。JR東日本フリーパスは3日間有効ですが今回は1泊2日の旅となります。
旅もいよいよ終盤です。皆様どうぞ!
と、その前に、
そもそもなぜ「平泉の文化遺産」が世界遺産?
と、思われる方も少なからずいると思います。
「平泉の文化遺産のしおり」からの引用とはなりますが説明すると、
「平泉の理想世界の表現は他に例の無いものとされ、寺院や庭園は、この世に理想世界を創り出そうとしたもので、海外からの影響を受けつつ日本で独自の発展を遂げたものであり、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な 寺院・庭園が、一群として良く残っている。」
というのが最大の理由となります。
世界遺産に登録されるには資産に「顕著な普遍的価値」があることが必要とされます。
その証明のためには、
①世界遺産委員会が示す10の価値基準のうち最低1つに該当すること
②真実性・完全性を満たすこと
③有効な保存管理体制
が整備されていること、を示す必要があります。
その中でも平泉は①の「10の価値基準」のうち、ⅱとⅵについて認められました。
【平泉に見る思想・文化の交流】
基準ⅱ:建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計、の発展に重要な影響を与えたある期間にわたる価値観の交流またはある文化圏内での価値 観の交流を表すものである。
【今日に伝わる平泉の思想の反映】
基準ⅳ:顕著な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある。
これらにより「平泉の文化遺産」は2011年6月29日に世界遺産一覧表に記載され、県民をはじめ広く国内外の人々の理解を深め、適切な保存を行うことにより将来の世代に継承していくこととなりました。
月見坂を登り目指すは世界遺産・中尊寺
中尊寺参道、月見坂入口より中尊寺本堂までは登り坂が続き距離にしては700m程で、徒歩でおおよそ11分程かかります。
月見坂途中には八幡堂、弁慶堂、地蔵院、観音堂があります。
月見坂を登り最初に現れる八幡堂は創建を天喜5年(1057年)とし、当時陸奥守であった源頼義と子の義家が俘囚の長である安倍氏を討つ為に、中尊寺境内月見坂で戦勝祈願した事が始まりとされています。
八幡堂から100m程でしょうか?上り坂を登って行くと中腹右側には東物見台があり北上平野を見渡せます。
北上平野は北上盆地とも呼ばれ、盛岡市から奥州市まで西を奥羽山脈、東を北上高地に挟まれた南北90キロメートル、東西幅は10から20キロメートルの細長い低地であり、岩手県の西部にある北上川流域の盆地のことを言います。
東物見台向かいには弁慶堂があります。
勝軍地蔵菩薩を本尊とした弁慶堂
弁慶堂は平安時代に五方鎮守のため火伏の神として勝軍地蔵菩薩を本尊として祀り愛宕宮といわれていましたがその後文政9年(1826年)に再建され、傍らに義経公と弁慶の木像を安置されたと云われています。
現在安置されている弁慶像は主君義経のために最期まで奮戦し衣川で立往生した姿になっています。
弁慶堂を過ぎ、地蔵堂、薬師堂、観音堂を過ぎ、月見坂を登り切ると中尊寺本堂の本坊表門が右手に見えてきます。
一山寺院、中尊寺
中尊寺というのは嘉祥3年、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山された山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院の事を言います。
中尊寺本堂はこの山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。
中尊寺で行われる法要儀式祭事等のほとんどがこの本堂で行われます。
中尊寺本堂に訪れるのは10数年ぶりくらい?いやもっと前かも知れません。
月見坂を登ったのは覚えてますが中尊寺本堂に訪れた時には過去の記憶と1人答え合わせするような感じでした。
中尊寺本堂を見学し、中尊寺の山を奥へ奥へと進みます。
中尊寺讃衡蔵
讃衡蔵は元々1955年に開館した中尊寺と山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設ですが現在の讃衡蔵は2000年に建て替えられています。
讃衡蔵という名称は奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の偉業を讃えるという意味で名付けられており、文化財3000点あまりを収蔵する宝物館は平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められています。
館内は撮影禁止となっているため写真の掲載はしませんが中に入ると3体の丈六仏(「薬師如来坐像(閼伽薬師)」、「阿弥陀如来坐像」、「薬師如来坐像(峯薬師)」)が鎮座しており入り口で圧倒されます。
他にも金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図や千手観音菩薩立像、などなど、、。
資料館ともなっているため入館料(金色堂と共通券)は掛かりますが訪れた際には立ち寄る事を強くお勧めします。
INFORMATION
- 名称 : 中尊寺讃衡蔵
- 所在地 : 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
- 入館料 : 大人800円/高校生500円/中学生300円/小学生200円(全て金色堂と共通券)
- 定休日 : 無休
- 拝観時間 : 3月1日~11月3日 08:30~17:00 / 11月4日~2月28日 08:30~16:30
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創建遺構「金色堂」
金色堂は1124年、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。
こちらも讃衡蔵同様、館内の撮影が禁止されている為、外観のみの写真とはなりますが、数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現されています。
内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工、そして象牙や宝石によって飾られています。
須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっています。
この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。
中尊寺公式ホームページからの引用ですが
仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。
そう、この金色堂は仏教美術の円熟期に東北地方を治めた清衡公が建立した堂塔になります。
そしてこの金色堂は中尊寺の中でも唯一の創建遺構で、中尊寺で幾度となく起きた火災の中で創建当初のまま残っている堂塔になります。
INFORMATION
- 名称 : 中尊寺金色堂
- 所在地 : 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
- 入館料 : 大人800円/高校生500円/中学生300円/小学生200円(全て讃衡蔵と共通券)
- 定休日 : 無休
- 拝観時間 : 3月1日~11月3日 08:30~17:00 / 11月4日~2月28日 08:30~16:30
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中尊寺には他に
- 峯薬師堂: 讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来はもとはこの堂の本尊。
- 経蔵: ご本尊騎師文殊菩薩(重文)と三方の経棚に納められていた紺紙金字一切経(国宝)は宝物館「讃衡蔵」に移され、新たな騎師文殊菩薩が安置されている。
- 旧覆堂 : 古い記録には「鞘堂」とも記されており、松尾芭蕉をはじめとする文人墨客、あるいは伊達政宗、明治天皇といった歴史上の人物は、薄暗いこの堂内に入り金色堂を参拝しています。もとは中尊寺内の他の場所にありましたが金色堂解体修理(昭和の大修理)の際、現在地に移築されました。
- 釈迦堂 : 1719年の再建で本尊は釈迦三尊様、正月6日には、中尊寺の多くの僧侶達によって正月の法要が営まれています。
- 弁財天堂 : 本尊の弁財天十五童子は仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。
- 能楽殿 : この能舞台は嘉永六年、伊達藩によって再建されたもので正統かつ本格的な規模と形式の能舞台としており、現在も毎年5月4日・5日に古実式三番と神事能が中尊寺一山の僧侶によって勤められます。
など、いくつもの堂塔、蔵、能舞台などがあります。
昼食も取り、ゆっくりと中尊寺内を散策をしていると時刻は16時過ぎ、毛越寺、観自在王院跡方面にも行きたいのでこの辺で中尊寺を下ります。
話も長くなるので後編②として毛越寺、観自在王院跡のお話は次回に。
本日の交通費1日目総まとめ(通常運賃の場合と比較して)
2日目の移動、運賃のまとめになります。
出発は秋田駅で盛岡駅、一ノ関駅を経由しての平泉駅、最後にまとめ運賃表をどうぞ!
R東日本開業150年記念、フリーパスチケット 22,150円
交通区間 | 電車 | 通常運賃 | 乗車時間 |
秋田駅ー盛岡駅 | こまち18号 | 4,620円 | 1時間48分 |
盛岡駅ー一ノ関駅 | やまびこ60号 | 3,560円 | 39分 |
一ノ関駅ー平泉駅 | 東北本線 | 200円 | 7分 |
2日目前編合計 | 8,380円 | 154分 |