【福島県二本松市】安達ケ原(黒塚)の鬼婆伝説。それは悲しい人間ドラマがある「ヒトコワ怪談」だった!
福島県二本松市安達ケ原には、旅人を襲う鬼婆(おにばば)がいたという伝説があります。
全国的にも有名なお話で、「奥州安達原」の名前で歌舞伎や人形浄瑠璃の演目になったり、「黒塚」の名前で能の演目になったりもしています。
今回は安達ケ原(黒塚)の鬼婆伝説を掘り下げつつ、現地に赴いてその痕跡を探してみました!
安達ケ原(黒塚)の鬼婆伝説
安達ケ原(黒塚)に伝わる鬼婆伝説は以下の通りです。
昔々、京都のある屋敷で乳母をしていた岩手(いわて)という名の老女がいました。
岩手が手塩にかけて育てていたその屋敷の姫様はいくら成長しても口をきくことが出来ず、医者に診せても一向に治りません。そこで易者(占い師)にみてもらったところ「妊婦の腹の中にいる赤子の生き胆を飲ませれば治る」と告げられました。
そこで岩手は、生き胆を手に入れるため京都を離れて奥州へと旅立ちます。そして阿武隈川のほとりに来たところで雨風を凌ぐのにちょうどよい岩屋を見つけて住みつきます。
そんなある晩秋の夕暮れ時、伊駒之助(いこまのすけ)と恋衣(こいぎぬ)と名乗る若い夫婦の旅人が訪ねてきます。
夫婦は宿が見つからずに困っているようで、さらに妻は身重で大きなお腹を抱えてます。岩手はこれはチャンスだと喜び、夫婦を泊めてやることにしました。
その夜、恋衣が急に産気づき腹痛を訴え、慌てた伊駒之助は急いで薬を探しに出かけてしまいます。その隙に岩手は、台所の出刃包丁で恋衣の腹を割いてしまったのです。
恋衣は死に際に「京都で生き別れた自分の母を探していること」を岩手に伝え、こと切れました。
そこで岩手が恋衣の持ち物を調べると1つのお守り袋が。中身を開けて岩手は驚きます。たった今殺してしまった恋衣は、生き別れとなっていた自分の娘だったのです。自らの手で娘と孫を殺してしまった岩手は、悲しみと苦しみで発狂し鬼と化します。
その後、岩手は旅人から金品を奪ったり、殺して生血を吸い、肉を食らうという生活をするようになり「安達ケ原(黒塚)の鬼婆」として噂が広がっていきます。しかし都から遠く離れた奥州での出来事ということもあり、咎める者もいませんでした。
数年後、紀州熊野の東光坊祐慶(とうこうぼうゆうけい)という僧が安達ケ原を訪れ、岩手に一夜の宿を求めます。
寒い夜だったこともあり、岩手は薪を調達しに家を離れます。その際「この奥の部屋は開けてはいけない」と祐慶に念を押します。
岩手の言を承諾した祐慶でしたが、好奇心に負け部屋を覗いてしまいます。するとそこには血に染まった屍や、朽ちはてた人骨が山となっていました。そこでこの老婆が噂の「安達ケ原(黒塚)の鬼婆」だと勘づき、慌てた祐慶は支度もそこそこに家を飛び出します。しかし、戻って状況を理解した岩手は祐慶を追いかけます。
追いつかれてしまった祐慶は岩手と対峙することになります。
覚悟を決めた祐慶は持ち歩いていた如意輪観音(にょいりんかんのん)の尊像に一心に祈りました。すると尊像が天空に舞い上がり、光を放ったかと思うと破魔の白真弓に矢をつがえ鬼婆を退治しました。
参考:真弓山観世寺「奥州安達ケ原(黒塚)縁起概説」ほか
自らの手で自分の娘と孫を手にかけてしまった岩手。気が狂ってしまうのも頷けます。しかし安達ケ原に来た時点で既に人を殺めるつもりだったことを考えると、最初から少し歪んでしまっていたのかもしれませんね…。
鬼婆はただただ恐ろしい妖怪だと思っていましたが、背景にこんな悲しいストーリーがあるとは知りませんでした…。結局本当に怖いのは人間というお話。ジャンルでいうと「ヒトコワ怪談」ですね!
鬼婆伝説ゆかりの地
現在の安達ケ原には「鬼婆伝説は本当にあった話」だと裏付けるような史跡がいくつも現存しています。
真弓山観世寺(まゆみざんかんぜじ)
鬼婆が住んでいたといわれる岩屋は今も残っており、現在はその岩屋を含めた敷地に観世寺(かんぜじ)というお寺が建っています。
奈良時代から続く由緒あるお寺で、江戸時代には奥の細道の道中で松尾芭蕉が、明治時代には正岡子規がこの地に参拝に訪れています。
観世寺の宝物史料館。鬼婆に関わる多数の史料が展示されています。
中には「鬼婆の包丁」や「生き胆をいれていた壺」、「鬼婆を葬るときに穴を掘ったクワ」なんていうものも展示されています!真偽の方はわかりません!
如意輪観音堂。伝説の中で鬼婆を退治するために東光坊祐慶が力を借りた如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)が祀られています。
鬼婆が住みついていたといわれる岩屋。確かに雨風を防ぎ、人が住みつくにはいい場所かもしれませんね。大岩の数々に妙な迫力を感じます…。
観世寺の敷地内にはこの他にも「鬼婆の石像」や松尾芭蕉が腰かけて休んだといわれる「芭蕉休み石」、「出刃洗いの池」等々、見どころがたくさんあります。
Information
- 名 称:天台宗 真弓山 観世寺(まゆみざんかんぜじ)
- 住 所:〒964-0938 福島県二本松市安達ヶ原4丁目126
- 電話番号:0243-22-0797
- URL:二本松市公式HP
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黒塚(くろづか)
黒塚(くろづか)は東光坊祐慶と如意輪観音の力によって退治された鬼婆が葬られたと伝わる鬼婆の墓所。観世寺から歩いて2~3分ほどなのでせっかく来たなら一目見るべき場所です!
観世寺を出るとすぐ目の前に案内の看板があります。
阿武隈川の堤防を上るとすぐに川岸に見下ろす形で一本杉が見えてきます。この杉の根元に黒塚があります。
黒塚の石碑。住んでいたといわれる岩屋からすぐの場所に葬られていることも含め、なにかすごい伝説の「現実感」を感じます。
Information
- 名 称:黒塚(くろづか)
- 住 所:〒964-0938 福島県二本松市安達ヶ原4丁目
- URL:二本松市観光連盟HP
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安達ケ原ふるさと村で鬼婆グッズも購入可能!
観世寺周辺は「安達ケ原ふるさと村」として公園整備もされています。道の駅+キッズパーク+公園といったような施設で、周辺観光の際はこちらの駐車場を利用することになるかと思います。
公園には昔ながらの古民家や武家屋敷、茶室なども移築されていて、その中でも二階建ての豪農の館を移築した農村生活館はその大きさに圧倒されます。
秋になると、赤い雲海のように20万本以上の曼珠沙華(別名:彼岸花)が咲き乱れる曼珠沙華まつりも開催されるため、この時期に併せて訪れるのもおすすめです。
敷地内の安達ケ原ふるさと館では、地元の美味しい野菜・加工品・お菓子やお土産選びを楽しめます。鬼婆グッズも販売中。バッピーちゃんという鬼婆をモチーフにした可愛いマスコットキャラクターもいます。
Information
- 名 称:安達ヶ原ふるさと村
- 住 所:〒964-0938 福島県二本松市安達ヶ原4丁目 100番地
- 電話番号:0243-22-7474
- URL:安達ケ原ふるさと村HP
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まとめ
この記事では福島県二本松市の安達ケ原に伝わる鬼婆伝説について紹介しました。
おとぎ話の一種だと思っていた鬼婆伝説に、これだけ色々な痕跡が残っていることには結構ビックリ。訪れる前までは「ただのおとぎ話」という認識だったのが、全てを見た後には「本当にあったヒトコワ怪談」という認識に変わってしまっていました!
昔から脈々と語り継がれ、江戸時代には松尾芭蕉が、明治時代には正岡子規が訪れるほど全国的に知れ渡っていたと考えるとこれは信憑性があるのではないでしょうか?
二本松を訪れた際は是非立ち寄ってみてほしいスポットです!