
見れたら幸運?金田一温泉で語り継がれる“座敷童子”の真相に迫る!【岩手県】
目次
岩手県北部、二戸市の山あいにひっそりと佇む金田一温泉(きんだいちおんせん)。古くから湯治場として親しまれてきたこの温泉地には「座敷童子(ざしきわらし)」の伝説が語り継がれています。
座敷に佇む…または遊びまわる子どもの姿。見えた者には幸福が訪れるとされ、金田一温泉は「座敷童子に会えるかもしれない温泉地」としても知られるようになりました。
この記事では、金田一温泉にまつわる座敷童子の伝説と、その真相に迫っていきます。
座敷童子はどんな妖怪?
座敷童子(ざしきわらし)は、日本の民間伝承に登場する子どもの姿をした妖怪または精霊といわれています。主に東北地方を中心に語り継がれており「ざしきぼっこ」などと呼ばれることも。

彼らが現れるのは家屋の座敷や蔵の中で、その家に住みつき、見た者に幸福をもたらすと言われています。
座敷童子の特徴
- おかっぱ頭、またはざんぎり頭の小さな子ども(性別は一定しない)
- 男子の場合は絣か縞の黒っぽい着物、女子の場合は赤いちゃんちゃんこを羽織ることが多い
- 無言で佇み微笑んだり、音をたてたり足跡を残したりする悪戯好きな一面もある
- 人に害をなすことはなく、むしろその家を守護する存在
幸福をもたらす福の神のような存在ですが、それと同時に「座敷童子が去った家は、いずれ衰退する」ともいわれています。

つまり、座敷童子がいる=家の繁栄の象徴であり、その不在=見えない何かが失われた証とも捉えられるのです。
全国各地で似たような存在が伝承されていますが、岩手県北部の金田一温泉では、ひときわリアルな目撃談や噂が絶えません。その中心地が金田一温泉の「緑風荘」という宿です。
金田一温泉「緑風荘」に伝わる座敷童子の話
金田一温泉にある老舗旅館「緑風荘(りょくふうそう)」には、古くから座敷童子が現れるという言い伝えがあります。

昭和の時代から「この宿には座敷童子が住んでいる」と噂され、実際に宿泊客や従業員から数々の目撃談や不思議な体験談が報告されてきました。
さらに緑風荘には正体不明とされている座敷童子の正体に迫る由来が残されています。
緑風荘の座敷童子の由来
南北朝時代(1336年~1392年頃)、南朝方に仕えていた万里小路藤房(までのこうじ ふじふさ)は、戦乱を避けて東北へと逃れ、現在の岩手県二戸市金田一の地に辿り着きました。
しかしその旅路の途中、連れ立っていた二人の子どものうち、兄の亀麿(かめまろ)が6歳で病に倒れ、今際の際に「末代まで家を守り続ける」と言い残し息を引き取ったとされます。
以来、亀麿はこの家の守り神「座敷童子」として、緑風荘の奥座敷「槐(えんじゅ)の間」に現れるようになったと伝えられていて、緑風荘にはこの亀麿を祀る神社「亀麿神社(わらし神社)」も存在します。
藤房の下向に関しては、歴史研究の視点では“仮説に過ぎない”ですが、地域文化の中では“信仰的真実”として根付いています。
目撃談の一例
ある晩、宿の一室に宿泊していた客が、夜中にふと目を覚ますと、部屋の隅に知らない子どもが座っているのが見えたといいます。
無言でただ静かにこちらを見つめるその姿は、どこか人間離れしており、気づくとすっと消えていたとのこと。
翌朝、宿の人に話すと「ああ、それは座敷童子ですね。見られて良かったですね」と言われたそうです。
一度消えた存在と宿の再生
2009年、緑風荘は一度火災で全焼してしまいます。「座敷童子が姿を消したせいでは」と囁く声もありました。
しかしその後、宿は見事に再建され伝説はなおも続いています。「座敷童子も戻ってきた」という噂も再びこの地に人々を呼び寄せています。
金田一温泉の座敷童子は単なる昔話ではなく、今も「現在進行形の伝説」として静かに息づいています。
まとめ
座敷童子の伝説は決して遠い昔の話ではなく、いまも金田一温泉で静かに続いている“生きた物語”ということがわかりました。
宿を訪れた人の誰もが彼(彼女?)に出会えるわけではないですが、障子の向こうにそっと気配を感じたり、布団のそばに何かの気配を感じたり。
そんな「ちょっとした違和感」に気づいたときこそ、座敷童子がそばにいるのかもしれませんね。
緑風荘<Information>
- 名 称:座敷わらし伝説の宿 緑風荘
- 住 所:〒028-5711 岩手県二戸市金田一長川41番地
- 電話番号:0195-27-2131
- 公式URL:https://www.zashiki-warashi.co.jp/