【宮城県塩竃市】1000年以上前に国から特別扱いされていた?陸奥国一之宮の鹽竈神社と志波彦神社
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宮城県民のお正月の初詣といえば、仙台市の大崎八幡宮、仙台東照宮、岩沼市の竹駒神社、塩竃市の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)が有名どころですが、その中でも塩釜市の鹽竈神社ははるか昔から格式高く由緒ある神社として有名だったことをご存じですか?
今回はそんな鹽竈神社と志波彦神社の歴史を紐解いていきます!
同一の境内に存在する二つの神社
巨大な敷地内に巨大な神社が二つ同居しているなんとも不思議な場所ですが、もともとここには鹽竈神社のみが鎮座していました。明治時代に志波彦神社が境内に遷座して、現在は正式名称を「志波彦神社・鹽竈神社」として1つの法人となっています。
鹽竈神社
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は宮城県塩竃市にある神社で、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社です。
陸奥国一之宮(むつのくにいちのみや)とされており、陸奥国、つまり現在の福島、宮城、岩手、青森と秋田の一部の地域の中で最も社格の高い神社だったとのこと。
現在は「全ての神社は対等の立場である」として社格制度は廃止されていますが、神社の規模から一般神社と同じ扱いをすると不都合がある為、特別な扱いとなる別表神社(神社の規程の別表に記載されていることから)とされています。
主祭神は別宮に祀られている塩土老翁神(しおつちおじのかみ)で、さらに左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、そして右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。
鹽竈神社境内は少し不思議な作りになっていて、門をくぐり正面にあるのは左宮、右宮で、主祭神が祀られている別宮は入って右手にあります。
これは現在の社殿が1704年に伊達家によって造営されたもので、左宮、右宮の配神が伊達家の守護神であり、大神主である伊達家藩主がいつでも城から遥拝できるように仙台城の方角を向けて整備されたからと考えられています。
武甕槌神と経津主神は東北を平定するために派遣された朝廷の軍神とされていて、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)は二人の先導役として塩竈にやってきたとされています。
武甕槌神と経津主神が去ったあとも塩土老翁神はこの地に残り、人々に漁業や製塩法を教えたといわれています。
この伝説から塩土老翁神が主祭神とされているんでしょうね。
志波彦神社
志波彦神社は仙台市内を流れる七北田川(別名:冠川)の河畔に降臨したと伝わる志波彦神を祭る神社。
このことからもともとは宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の七北田川左岸にあったといわれています。
1695年に書かれた縁起によれば、志波彦神の由来を鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神のことだとし、さらに栗原郡の志波姫神社と同体であるとされていますが、諸説あり事実は定かではありません。
農耕守護・殖産・国土開発の神と伝えられています。
927年にまとめられた全国の神社一覧表「延喜式神名帳」内で2861社の中に225社しかない名神大社の一つとして記載されています。
しかしその後は衰退し、岩切村の牛頭天王社(現・八坂神社)に合祀され、明治時代に国幣中社に列せられたことを機に志波彦神の由来を塩土老翁神とする神縁から鹽竈神社境内に遷宮されました。
国から破格の待遇を受けていた鹽竈神社
歴史に初めて鹽竈神社が登場するのは820年に撰進された「弘仁式」で、この中の「主税式」に「鹽竈神を祭る料壹萬束」として祭祀料10,000束(束は当時の税の単位)を国家から受けたことが記載されていて、さらに927年の「延喜式」の「主税式」でも祭祀料10,000束を国の税収から受けたことが記されています。
鹽竈神社の他に国家から祭祀料を受けていた神社はわずか3社しかなく、それぞれ
- 伊豆国三島社:2,000束
- 出羽国月山大物忌社:2,000束
- 淡路国大和大国魂社:800束
と、明らかに鹽竈神社だけが破格の待遇を受けていたことがわかります。
しかし同年にまとめられた全国の神社一覧表「延喜式神名帳」に記載された神社(式内社という)2861社の中に鹽竈神社の記載は無く、当時すでに存在したが神名帳に記載がない式外社(しきげしゃ)という扱いでした。
これだけの祭祀料を支給しながら一覧表には記載しない…理由は現在も謎のままです。
国の天然記念物に指定されている鹽竈ザクラ
鹽竈神社には、神社の神紋ともなっている鹽竈ザクラの木があり、境内にある31本の桜の木が「鹽竈神社の鹽竈ザクラ」の名称で国の天然記念物に指定されています。
鹽竈ザクラは大輪の八重ザクラで、文献に残る記録から平安時代には既に桜の品種として成立していたと考えられてます。
1940年に古くから著名な桜の木として国の天然記念物に指定されますが、高齢木のため枯死してしまいます。そのため天然記念物の指定が解除されますが、枯死直前に接木がされ「塩竈桜保存会」によって育てられた苗木が後に境内に54本植えられ、このうち31本が1987年に国の天然記念物として再指定されました。
地元住民の努力によって現在まで受け継がれている由緒ある桜の木です。
塩竈の地名の由来となった御釜神社
鹽竈神社の東参道(裏参道)入口の鳥居から南に約100mほど行った塩竈市中心部の商店街に境外末社である「御釜神社」があります。
一般的に本社祭神の后(きさき)神、御子(みこ)神をまつる神社であったり、本社旧跡に設けた神社など、関係深い社を摂社、それにつぐ社が末社といわれます。さらに本社境内にあるものは境内摂社・境内末社、境外のものは境外摂社・境外末社と呼ばれます。
御釜神社には4口の竈が安置されていて、この竈は鹽竈神社の主祭神である塩土老翁神が海水を煮て製塩する方法を人に教えた時のものといわれています。
主祭神の后神、御子神をまつる社ではなく本社旧跡でもありませんが、主祭神が使った道具が安置されている神社である…その関係性から末社という扱いになっているんでしょうね。
そしてこの「鹽土老翁神が塩を焼いた竈」がそのまま「塩竃」の地名の由来となったとされています。
御釜神社<Information>
- 名 称:御釜神社(鹽竈神社境外末社)
- 住 所:〒985-0052 宮城県塩竈市本町6−1
- 電話番号:022-367-1611
- 公式URL:http://www.shiogamajinja.jp/
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まとめ
有名な神社でも、その長い歴史の中で一度は衰退する時期があったりするものですが、鹽竈神社にはそのような記録がありません。常にその時代の治世者に崇敬され、住民には愛されて続けてきた神社といえます。
戦時であっても平時であっても、どんな時代でも人になければならない「食事」に関わる塩を司る神様ということが信仰が絶えなかった理由なのかもしれませんね。
塩竃市を訪れる機会があれば是非お参りしに立ち寄ってみてください。
志波彦神社・鹽竈神社<Information>
- 名 称:志波彦神社鹽竈神社 社務所
- 住 所:〒985-0074 宮城県塩竈市一森山1−1
- 電話番号:022-367-1611
- 公式URL:http://www.shiogamajinja.jp/