神社・仏閣

湯殿山の麓を抜ける六十里越街道は、出羽三山参りの道

湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊

「六十里越街道(ろくじゅりごえかいどう)」とは、羽州街道(うしゅうかいどう)の山形から鶴岡まで通じている街道で、出羽三山の麓にあるいくつかの峠を越えるため「六十里越街道」と呼ばれるようになったと伝わっています。

 湯殿山から見た「六十里越街道」 ©あさひむら
 湯殿山から見た「六十里越街道」 ©あさひむら

「六十里越街道」が使われるようになったのがいつなのかはよく分かっていませんが、出羽三山のひとつ羽黒山開山が593年、湯殿山総本寺の大日坊(だいにちぼう)を弘法大師が創建したのが807年なので、その頃には使用されていたようです。

江戸後期の庄内二郡名所一覧全図の一部 所蔵:鶴岡市郷土博物館
江戸後期の庄内二郡名所一覧全図の一部 所蔵:鶴岡市郷土博物館

時によっては軍用道路として使われた六十里越街道

飛鳥時代頃、東北地方は蝦夷(えみし)といわれ、大和朝廷の力が及ばない地域が多く残っていました。そのため朝廷は支配地域を増やすため軍隊を送り込んだのです。そのときに使われたのが「六十里越街道」で、軍用道路としての役割が大きかったようです。

蝦夷が大和朝廷の支配下になった平安時代後期から室町時代にかけては、出羽三山信仰の行者たちが通う信仰の道としての役割を果たし、さらに下って各地に戦国大名が割拠した戦国時代には再び戦いの道となったのです。

江戸時代になると「六十里越街道」は庄内藩(鶴岡市)や秋田藩が参勤交代の道として使われるようになり、庄内地方と最上村上地方を結ぶ通商路としても重要な役割を果たしました。


江戸から多くの庶民が訪れた出羽三山参り

山道の途中に宿場が設けられている。『金草鞋』十返舎一九著より 所蔵:国立国会図書館
山道の途中に宿場が設けられている。『金草鞋』十返舎一九著より 所蔵:国立国会図書館

長く続いた平和な時代には、お伊勢参りとともに出羽三山参りが流行し、江戸からも多くの庶民が押しかけるようになりました。湯殿山麓の松根・大網・田麦俣・志津・本道寺・白岩といった集落には宿駅が設けられ、大変な賑わいを見せていたのです。

宿場の様子。志津ほか。『金草鞋』十返舎一九著より 所蔵:国立国会図書館
宿場の様子。志津ほか。『金草鞋』十返舎一九著より 所蔵:国立国会図書館

その姿は1801年に出版された戯作者十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく/代表作『東海道中膝栗毛』)の『金草鞋(かねのわらじ)』という本の一節に“鶴が岡の街道を四里ばかりゆきて、右のかた湯殿山があり、ささ小屋という所を過ぎて田むぎの宿なり。全てこの辺、本道寺より湯殿の麓にて、大網より本道寺までを六十里越といふ。田麦俣を過ぎて、大日坊といふ湯殿の山別当の大寺あり。大網の宿御関所あり、これより一里半なり。大網にかかりて泊まる旅人は、お山道者の渡り鳥かな。それより松根をすぎて鶴が岡の御城下なり ”と書かれていて、街道や宿駅の賑わいが挿絵で添えられています。


戊辰戦争で街道沿いの集落が荒廃し、出羽三山参りも衰退

江戸時代から明治時代へ変わる1868年には、新体制の明治政府軍と江戸幕府を守ろうとする旧幕府軍が激しく戦った戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発しました。庄内藩は、福島の会津軍とともに旧幕府軍として新政府軍と戦いました。「六十里越街道」は政府軍の進軍道路として使われ、迎え撃つ庄内藩軍と激しい戦闘が行われたのです。街道沿いの集落は壊滅的な被害を受け、さらに終戦後には明治政府による神仏分離令が発され、出羽三山参りもすっかり廃れてしまいます。

1899年(明治32年)には山岳路で自動車が通れず不便だった「六十里越街道」に新道が建設されます。その後、何回かの改修を繰り返し、ようやく1953年(昭和28年)に国道112号となったのです。これにより山形市や寒河江市から鶴岡市へのインフラは大変便利になり、出羽三山へも車やバスで行けるようになりました。その反面旧道の「六十里越街道」は、ほとんど歩く人のいない忘れられた街道となってしまいまったのです。


忘れ去られた旧道には多くの遺跡が残された

 石畳が残されている現在の六十里越街道 ©西川町
 石畳が残されている現在の六十里越街道 ©西川町

国道112号線からはずれた湯殿山麓の旧道は取り残された故開発から逃れ、古い遺跡が多く残っています。また、湯殿山と深くつながった古刹や神社もあり、今また「六十里越街道」として脚光を浴びています。通行が困難になった街道も整備され、ハイキングやトレッキングコースとして多くの人たちが訪れるようになりました。

「六十里越街道」は湯殿山麓部分だけで30kmほどになります。全コースを一気に歩くのには最低3日間かかります。そのため、いくつかに区分けした日帰りコースも設定され、ガイドさんに案内をお願いすることもできます。

「六十里越街道」の東部分に位置する西川町で設定されたルートが

■一本木沢~志津口留番所跡~石跳川橋間 約6.8km/所要時間…約5時間~

■石跳川橋~道心坊坂~焼山尾根~大岫峠~湯殿山ホテル跡間 約6.6km/所要時間…約5時間~

■湯殿山ホテル跡間~笹小屋跡~細越峠~弘法茶屋~蟻越坂間 約6.6km/所要時間…約5時間~

■田麦俣蟻腰坂~柳清水~賽の神峠~ 稲荷峠~注連寺間 約6.6km/所要時間…約5時間~

■注連寺~大滝山追分石~庚申塔~ 松根の八幡神社 約6.4km/所要時間…約5時間~

(実施期間:6月~11月 ガイド料金:1日15,000円~)

また、西側エリアにある鶴岡市あさひむら観光協会でも、いくつかのショートコースが紹介されています。

※「六十里越街道」は山岳路のため天候等により交通止め区間が生じることがあります。常に最新情報を西川町(0237-74-84-0566)・あさひむら観光協会(0235-53-3411)等へお問い合わせください。

山中にあったといわれる独鈷茶屋跡 ©あさひむら
山中にあったといわれる独鈷茶屋跡 ©あさひむら

六十里越街道沿いに今なお残る全盛時代の神社仏閣

「六十里越街道」には、出羽三山に関する重要な寺院や神社があります。そのうちのいくつかを紹介しましょう。

湯殿山四ケ寺のひとつで今は神社になった「本道寺口之宮湯殿山神社」

戊辰戦争後再建された本道寺口之宮湯殿山神社の本堂 ©西川町
戊辰戦争後再建された本道寺口之宮湯殿山神社の本堂 ©西川町

「本道寺口之宮湯殿山神社(ほんどうじくちのみやゆどのさんじんじゃ)」 は、809年に弘法大師が開基した「月光山本道寺」が、明治の神仏分離令で「湯殿山神社」と改宗したものです。本道寺は湯殿山に弘法大師が開基した湯殿山四ケ寺のひとつで、江戸時代は徳川将軍家の祈願所にもなっていました。

社殿は戊辰戦争で焼き払われたため再建されたもので、神仏分離の際散逸してしまったお寺時代の仏像などが130年ぶりに戻ったことが話題になりました。

INFORMATION

  • 名称:本道寺口之宮湯殿山神社
  • 所在地:山形県西川町大字本道寺字大黒森381
  • 電話番号:0237-74-3565
  • 拝観時間:9:30~16:30
  • 拝観料:300円
  • アクセス:
  • 鉄道/JR佐沢線佐沢駅からタクシーで約25分
  • 車/山形自動車道西川ICから国道112号で約7分
  • URL:本道寺口之宮湯殿山神社

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湯殿山四ケ寺の総本山「湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊」

今も参拝客が多く訪れる大日坊の本堂 ©やまがたへの旅
今も参拝客が多く訪れる大日坊の本堂 ©やまがたへの旅

「湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊(りゅうすいじだいにちぼう)」は、807年に弘法大師が開山した湯殿山四ケ寺の総本山です。湯殿山が女人禁制の山だったため女性がお参りできる寺として創建されました。 神仏分離の際には寺として残り、弘法大師自作の本尊と即身仏「真如海上人(しんにょかいしょうにん)」、国指定重要文化財「金銅仏釈迦如来立像(こんどうぶつしゃかにょらいぞう)」 などの文化財を守っています。

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  • 名称:湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊
  • 所在地:山形県鶴岡市大網字入道11
  • 電話番号:0235-54-6301
  • 拝観時間:8:00~17:00(受付16:30まで)
  • 拝観料: おとな 500円、中学生 400円、小学生 300円
  • アクセス:
  • 鉄道/JR羽越本線鶴岡駅から湯殿山方面行き路線バスで約45分、大網バス停下車徒歩約20分
  • 車/山形自動車道月山ICから国道112号線で約30分
  • URL:湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊

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現在は湯殿山の中心的寺院「湯殿山 注連寺」

生まれ代わりの山湯殿山入り口を守る注連寺 ©やまがたへの旅
生まれ代わりの山湯殿山入り口を守る注連寺 ©やまがたへの旅

「湯殿山 注連寺」は、825年に弘法大師が開基した“湯殿山四ケ寺” のひとつで、湯殿山表口の別当として、また江戸時代には大日坊と同様に女人遙拝所として隆盛を極めました。神仏分離後一時衰退しましたが、その後再び湯殿山の中心的寺院として多くの参拝者が訪れています。鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)の即身仏が安置されていることでも知られています。

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  • 名称:湯殿山 注連寺
  • 所在地: 山形県鶴岡市大網字中台92-1
  • 電話番号:0235-54-6536
  • 拝観時間:
  •    5月~10月/9:00~17:00
  •    11月~4月/10:00~16:00
  • 年中無休
  • 拝観料:おとな 500円、こども 300円
  • URL:湯殿山 注連寺

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出羽三山参りの宿場として栄えた「田麦俣集落」

 田麦俣にわずかに残る兜(かぶと)造りといわれるかやぶき屋根の多層民家 ©やまがたへの旅
 田麦俣にわずかに残る兜(かぶと)造りといわれるかやぶき屋根の多層民家 ©やまがたへの旅

「六十里越街道」の宿場のひとつに田麦俣(たむぎまた)があります。江戸時代には多くの湯殿山参りの旅行者が訪れました。しかし、明治時代以降はこの山間の集落には訪れる人が少なくなりすっかり寂れてしまいます。

一方鶴岡では明治時代になり、のちに“さむらいシルク”と呼ばれる絹織物の生産が始まります。しかし、鶴岡では絹糸の原料となる蚕の飼育(養蚕/ようさん)が行われていなかったので、田麦俣の人たちは生計を立てるため養蚕に取り組みました。その結果、自宅を養蚕用に改築し4層3階建てという大変珍しいかやぶき屋根の背の高い建物が建てられたのです。

ほぼ完全な形で残っている旧渋谷家住宅は、国の重要文化財として鶴岡市内の「致道博物館」に移築され保存されています。

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  • 名称:田麦俣
  • 所在地:山形県鶴岡市田麦俣
  • 電話番号:0235-53-2111(鶴岡市役所朝日庁舎)
  • 鉄道/JR羽越本線鶴岡駅から田麦俣行路線バスで約1時間20分(1日2便)
  • 車/山形自動車道湯殿山ICから約2.5km

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NORIJUN

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旅が好きが高じて一昔前は旅行誌、今はWEBの旅行ライターをしています。取材では東北地方を中心に全国47都道府県すべて訪れていますが、楽しみは温泉に入り、古い町並みや暮らし、芸能工芸など日本の伝統文化にふれることです。

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