会津藩校日新館(戟門)

【福島県会津若松】白虎隊が学んだ「日新館」は日本有数の藩校!ならぬことはならぬものです

会津藩校「日新館」は、1803年に会津若松城に隣接する形で建設され開校した会津藩の藩校です。

全国の藩校の中でも特に規模が大きく、日本有数といわれた会津の教育水準を支えたのがこの日新館で「ならぬことはならぬものです」など、人材育成の指針を教えていました。

戊辰戦争の折に消失し、1987年に会津若松市の外れにある河東町に完全復元されました。今でもその広大な敷地の中で勉強する子どもたちの様子が忠実に再現されていて見学することができます。

日本初のプールなどの貴重な施設はもちろん、当時の武士の教育がどんなものだったのかを肌で感じることができます。


会津藩の活躍は日新館あってこそ

会津藩士は敗軍という立場ですが、特に教育の分野で数多くの功績を挙げています。

NHK大河ドラマ「八重の桜」で有名な新島(山本)八重も、現同志社女子大学の開校に尽力するなどの功績を残しています。

会津藩校日新館(大学)
会津藩校日新館(大学)

こういった今の世にも残るたくさんの結果を出してこれたのは、質の高い会津の教育あってこそだと考えられています。

江戸時代には各藩に藩校が据えられ、立派な藩士になるための教育が実施されていました。

会津藩校日新館では武士だけでなく、農民や商人の家の子など広く門戸が開かれており、会津藩の子どもは10歳になると日新館に入る決まりになっていたのです。


のちの白虎隊が学んだ場所

悲劇のストーリーで全国的にも有名な白虎隊もここで学びました。

儒教や礼節などの学問はもちろん、弓・剣・槍・馬といった武術も必修科目として設置されていました。選択科目も置かれていて、子供たちは自分の家の稼業に応じて選択していたとされています。

会津藩校日新館(武講)
会津藩校日新館(武講)

特に儒教の素読で優秀な成績を収めると、やがて江戸に遊学できる道が拓けたそうです。


復元された日新館

日新館南門を入ると、右手に映写室があります。入館するとまずここで映像を鑑賞し、日新館が一体どんな場所なのかを学びます。

会津藩校日新館(南門)
会津藩校日新館(南門)

スマホ・タブレットで聴ける音声ガイドも用意されています。

順路を進むと「戟門(げきもん)」と呼ばれる大きな門があり、当時はこの門の左室に太鼓が置かれていて、今でいうチャイム代わりに太鼓の音が使われていたようです。


東京ドーム半個分の敷地に大成殿、大学、資料室が並ぶ

門を抜けると、日新館の中心である大きな庭があり、正面には大成殿と呼ばれる一際大きな建築物があります。その右手には大学、左手には資料館があります。順路は右側、大学より手前にある東塾の内部へと向かいます。ここはかつて子どもたちが勉強していた素読所だった施設です。

会津藩校日新館(大成殿)
会津藩校日新館(大成殿)

当時の子どもたちの人形が置かれていて、勉強をしている時や休憩中に腕相撲をしている様子が再現されています。大学や大成殿、資料館と全て見て回ることができます。

大成殿は日新館の象徴的な建物で、中央には儒教の始祖といわれる孔子像があり、両脇にはその弟子たちの像が安置されています。

資料館では会津松平家に関する資料や様々な当時の文献、日新館卒業生の功績など、様々な資料を見ることができます。


絵付などの体験コーナーがある

中に入って時間が経つにつれ、江戸時代にタイムスリップしたような気分にさせられます。そんな気分のなかで、弓道体験(1回300円 矢5本)や絵付体験(赤べこ:870円 起き上がり小法師:730円)、茶道体験(540円)や坐禅体験(500円)などが可能です。

それぞれの体験の様子が、動画で日新館のHPに載っています。

日新館:http://www.nisshinkan.jp/experiencing#zazen

絵付けコンテストが開かれています。賞をもらうと、日新館の公式HPや後援している福島民友新聞の紙面に写真が掲載されます。2018年のゴールデンウィークに開かれたコンテストの大賞などがHPにアップされています。

日新館:http://www.nisshinkan.jp/news/10025.html


日本初のプール

水練水馬池(今でいう学校のプール。周囲153m)も見所の1つです。ここは日本で初めてのプールということで知られています。

水練というだけあって、今の学校の体育でプールをするような生易しいものではありません。当時は、甲冑を着たまま泳ぎの訓練をしていたそうです。洋服を着たまま泳ぐのも相当にしんどいのに、甲冑を着たままというのは想像を絶するきつさだったはずです。

向井流という独特の泳法を学び、ときには馬に乗って池の中を移動することもありました。さらに「食事をしながら渡る」「書道をしながら泳ぐ」ということもあったそうです。

乃木坂46の「逃げ水」のmvは日新館が舞台になっています。雰囲気や中の様子までよく分かるのでおすすめです↓

他にも天文台、弓道場など見所は満載です。


日新館は実力主義の学校

進級は実力主義で行われました。家柄や年齢は関係ありませんでした。文武両道を重んじていたので、勉学、武芸ともに優れ、日々努力する人が上がっていきました。

会津藩校日新館(弓道場)
会津藩校日新館(弓道場)

そういった実力主義の学校だったので「弟が兄を追い抜いてしまう」ということも普通にありました。名家の子どもは日新館での成績が重視されていて、もしも卒業できない事態になったら家を継ぐことが認められない…ということもあったようです。

素読所において、15歳で一等を獲得した人は今でいう国立大学を卒業できる程度の学力を有していたといいます。

このように厳しい体制が敷かれていた日新館でありましたから、当時全国に250もある藩校のなかで一際名声を轟かせていました。今でいう東大への進学率が一番良かったそうです。


日新館での生活とは

実際に日新館に通っていた藩士の子どもたちは、どのような生活をしていたのでしょうか。朝は集団登校です。今の登校班のような感じです。

会津藩校日新館(天文台跡)
会津藩校日新館(天文台跡)

授業時間は日が昇ってから沈むまでで、夏は授業時間が長くなり、冬は短くなります。全校生徒数は1000人程度でした。

儒学を中心に勉強し、まずは素読所に入ります。素読所には4級~1級までの等級がありました。


家によって獲らなければならない等級が違った

前述したように、実力主義の学校でしたから、等級を得るのに歳は関係ありません。18歳で1級修了が、可もなく不可もなく、といった感じです。

なかには14歳で1級を獲る生徒もいてこれは非常に優秀な部類です。高嶺秀夫、南摩綱紀といった明治時代の偉人は「神の子」と呼ばれるほどこの素読所で高い評価を得ていたました。

家によって修了しなければならない等級に違いがあり、禄高500石未満の家の長男は二級、禄高500石以上の家の長男は一級を取ることが義務でした。

もしも必要な等級を終了できない場合には、ずっと勉強をし続けなければならず、なんと35歳まで勉強をすることが認められていました。


授業中でも喧嘩上等!負けることは許されぬ

授業はとても騒々しかったそうです。テレビドラマなどで学校シーンが流れると、みな静かに黙々と勉学に励んでいるイメージがあります。

しかし実際にはそうではなく、授業中に大喧嘩が始まることもあったそうです。今では教師や周りの人が止めますが、やはりそこは武士の世界。喧嘩上等の精神で親も教師もやりたいだけやれば良い、という姿勢でした。

もし喧嘩に負けて家に帰ろうものなら、逆に親に怒られてしまいます。だから喧嘩も本気そのものでした。


日新館についてまとめ

日新館は、会津出身の偉人が漏れなく通っていた藩校です。NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した八重の兄の山本覚馬や、最初の夫の川崎尚之助は日新館の教授をしていました。

八重の隣の家に住んで、のちに白虎隊に加わることになる伊東悌次郎が日新館で学んでいました。

八重は悌次郎を弟のように可愛がっていて「悌次郎は鉄砲を撃つとき、いつも目を瞑ってしまう。だから臆病者と叱っていた」と語ったことも。

日新館では元気に学校に通っていた白虎隊の様子を鮮やかに感じることができます。のちに飯盛山で集団自決することになるとは思ってもいなかったでしょう。

在りし日の子どもたちの溌剌とした姿を思い描きながら日新館を廻ると、哀愁や切なさなど様々な感情が去来して厳かな時間の波に誘われます。

日新館<Information>

  • 名  称:会津藩校日新館
  • 住  所:福島県会津若松市河東町南高野字高塚山10
  • 電話番号:0242-75-2525
  • 公式URL:http://www.nisshinkan.jp/

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