【福島県福島市】「しのぶもちずり」とはどんな意味?関連スポットや民話などを紹介

皆さんは、「しのぶもちずり」という言葉をご存じでしょうか。和歌の世界にたびたび登場する言葉なのですが、実はこれは現在の福島県福島市とゆかりのある言葉。現代は生活の中では目にすることがなくなってしまいましたが、長い時間を経ても和歌・民話・史跡に名を遺すほど、都でもてはやされた名産品の名なのです。

今回はしのぶもちずりをキーワードとして、福島の歴史の一端をご紹介します。


そもそも「しのぶもちずり」ってどういう意味?

『陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに』

こちらは小倉百人一首に収録されている、河原左大臣の歌です。小倉百人一首とは、百人の歌人から優れた歌を一首ずつ集めた歌集。ここに登場する“しのぶもぢずり”とは、一体どんな意味なのでしょうか。

実は、しのぶもちずり(しのぶ摺)とは、染物の名です。かつて信夫郡(現在の福島市)でつくられていたしのぶもちずりは、都でも人気の品でした。草からとった染料を石に塗りつけ、布を押し付けてすり込むように模様をつけます。

そして冒頭の河原左大臣の和歌は、次のような意味になります。

『みちのくで作られる”しのぶもちずり”の乱れ模様のように、私の心が乱れているのは、他ならぬあなたのせいですよ』

しのぶもちずりの模様を、自らの恋心と重ねて表現しています。しのぶもちずりの模様とは、ひし形の連続が基本のパターンです。しかし幾何学模様ほどキッチリしておらず、不規則に配された様子は現代アートに通じるおもむきです。

こちらの短歌が名作として百人一首の中に選出されていることからも、当時のしのぶもちずりが都で有名だったことがうかがえます。そしてしのぶもちずりはたびたび和歌の題材として登場するので、しのぶもちずりそのものが生産されなくなっても、文学を通して後世に名を残していきました。

松尾芭蕉も信夫の地を訪れた際、『早苗とる手もとや昔しのぶ摺』の句を詠んでいます。『今は田植えをしている人たちの手つきに、昔この地で行われていたしのぶ摺の所作が残っているのだろうか』といった意味です。芭蕉がこの地を訪れた際も、しのぶもちずりがつくられていた、かつての姿に思いを馳せていたことがうかがえます。


福島市にはしのぶもちずりの民話も残っている

先に紹介した河原左大臣の歌にまつわるストーリーとして、福島市には「しのぶもちずり」と題される民話が残されています。

民話の内容は以下の通りです。

河原左大臣が、みちのくへの旅のとき、信夫文知摺のあたりで、一人の農夫にあいました。
日暮でもあるし、一夜の宿を頼みますと、
「わたしは、この山口に住んでおりますが、案内しましょう。」
行ってみると、この農夫の家は山里には珍らしい大家でした。
この家には、虎女とよぶ若い乙女がいて、なかなか美しく、心をうごかされたものの、左大臣という重職にあるので、いつまでもいることができません。
「いやいや、長い間一方ならぬもでないをうけて感謝しています。任務が終ったら、又戻ります。まっていてください」
と別れました。しかし、いくらまっていても便りはありません。
虎女は悲しくなるたびに、文知摺石の前にきては、
「文知摺石よ、きょうから、麦草をもって百日間、石の面をこするから、必ず左大臣の顔を現わしておくれ」
と毎日こすりつづけました。
すると石は光り輝いて、鏡のようになりました。
父母は、気でも違ったのではないかと思って、虎女をいさめましたが、虎女の心は固く、どうしても止めることはできません。
こうして誓いの百日目。左大臣の顔が、石の面にボウと浮かびました。
「ああうれしい」
とさけんだなり、倒れてしまいました。まえからの無理が重なって、病気はいつの間にか重くなっていたのでした。
その時、思いがけなくも、都から使者がきて、左大臣の贈り物がとどきました。
それには、一首の和歌がそえてありました。
みちのくの信夫もちずり誰ゆえにみだれそめにしわれならなくに
虎女は喜んで歌と贈り物を胸に抱いて、夢かとばかり嬉しがりました。しかし病気はしだいに進み、その後、いく日もたたないうちに、山口の里で淋しく死んでいったのでした。

片平幸三編『福島の民話 第一集』(未來社、2015年)

河原左大臣は、本名を源融(みなもとのとおる)という平安時代の人物です。一説では、源氏物語の主人公「光源氏」のモデルとなったといわれています。嵯峨天皇の皇子でありますが、皇族の身分を離れて家臣となり、左大臣を務めました。六条河原に邸宅を設けたことから、河原左大臣と称されるようになったとされています。

その河原左大臣が、みちのく旅行で訪れた信夫の里で、長者の娘・虎女(とらじょ)と恋に落ちる物語です。前章で紹介した和歌は、虎女のために河原左大臣がしたためたとされています。

物語の中で、虎女は河原左大臣と再会することなく亡くなってしまいました。しかし、虎女が愛しい人と会いたさ故に願をかけて磨いたとされるもちずり石は、現在も福島市に残されています。


民話の舞台となった福島県福島市「文知摺観音」

文知摺観音

福島市の東部に位置する山口地区に、文知摺観音という史跡が残されいます。和歌に由縁する地であることから、昔から文人が訪れる地として有名でした。現在は曹洞宗寺院・普門院の境内で静かに歴史を伝えています。

文知摺観音 文知摺石

境内には、虎女が磨いたとされる「もちずり石」のほか、福島県の重要文化財指定を受けている「多宝塔」、美術資料や歴史資料が展示されている古文書が展示された資料館「伝光閣」も見ることができます。歴史ある史跡の数々は、おごそかな雰囲気。自然環境も豊かで、秋には美しい紅葉が見られるので、散策や写真撮影も楽しめます。

お立ち寄りの際、御朱印帳をお持ちでしたら、持参をお忘れなく。

文知摺観音<Information>

  • 名  称:文知摺観音
  • 住  所:〒960-8202 福島県福島市山口字文知摺70
  • 電話番号:024-535-1471
  • 拝観時間:9:00~17:00(冬季16:00まで)
  • 公式URL:https://antouin.com/index.html

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しのぶもちずりの名をつけたお菓子も販売

余談ではありますが、福島で人気のお菓子にも、もちずりの名がつけられています。

それは柏屋から販売されている、「くるみゆべし もちずり」です。こちらのお菓子は、お土産・お持たせ・日常使いに浸透している定番中の定番。県内のスーパーマーケットなどでも姿を見られます。福島県内に住んでいれば、きっと一度は目にしたことがあるものです。

にぎやかな色見でちょっと愛嬌のあるパッケージは、なごみ要素があります。中身はやさしい甘さでモチモチの「ゆべし」に、たっぷりのクルミが埋め込まれている、食感の楽しいお菓子です。モチモチ系のスイーツが好きな方には特におすすめなので、見かけた際はぜひ手に取っていただけたらと思います。

くるみゆべし もちずり<Information>

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まとめ

今回は「しのぶもちずり」というワードについて掘り下げました。

元々は特産品の染物の名だったしのぶもちずりは、雅な和歌の世界に使われ、今も民話や史跡に名を残しています。かつてこの地を訪れた歌人や文人たちも、きっとしのぶもちずりの姿に思いを馳せたはず。

文学好きな方はぜひ、歴史のおもかげを追って、訪れてみてはいかがでしょうか。


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